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見える化コスト

ここ10年くらい前から見える化という言葉がよく聞かれますが、初出は1998年という結構古い言葉で、見える化とともに可視化という表現もあります。
単純にデータを公開するような時には可視化。そのデータから何かを促すようにするのが見える化らしいのですが、見える化って簡単な単語に感じるけれど意外とわかりづらいように思います。
シチュエーション的には上司から今の仕事状況を見える化していかないととか、指示される時なのだと思いますが、見える化って誰のため?とも感じてしまいます。
例えば営業部に今月の売り上げ状況のグラフを貼ると言えば、今月は今からこの金額か、そうすると目標はほぼ達成するぞとか、まだ30%なのに半月過ぎてるよ大丈夫か?と感じる。これは正しい見える化ではあるのではないでしょうか。
実際には日々生きていると仕事も当然目標は頭にあっても忙しさから目的にいつもフォーカスしているとは限らない。また、このような営業部の売り上げくらいならまとめるのも簡単だけれど、なんでもかんでも見える化した場合、負担も大きく、よくあるのはいつのまにか見える化作業が仕事化してしまい、本来の目的よりも手間が掛かってしまうということになりかねない。
少なくとも凡人の私には陥りやすいケースです。
最近では日々の業務報告を定時レポートとして入力することでまとめるようなツールもありますが。
そもそも見える化と唱えている人ほど見せてくれないことが多いのでモヤっとすることもあるのではないでしょうか。
人は自分にないものを求める法則(私の考えた法則です)が概ね働くので、自分が自身の仕事についての公開作業が出来てないと感じていると、何故か自分でやるのではなく、人に求めてしまう事が多いように思います。単純に見える化するのでなく、課題解決する上でそれが本当に必要かを考えないとただ作業コストが増えるだけで、増えた分は本来の作業のクオリティが下がるだけになってしまうと思います。
漠然と見える化とするのではなく、課題解決のために行う手段にしない限り、無駄な作業が増えるだけになるため注意が必要です。

話は少しそれますが、黒塗りばかりの世の中の情報公開、本来は見える化以前に必要なのは情報公開のほうではないでしょうか。見せるべきものを都合が悪いからという理由で隠せるのならば、組織として問題があると思います。すべてをネット公開しろという事ではなく、議事録や見積書の公開を求めたら黒塗りなしで閲覧できるような世の中になってもらいたいものです。今の時代ならば会議の内容も自動で文字起こしするのも高度化していますから。

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