聖隷クリストファー高校の選考漏れに思う事
1.曖昧な選考基準
一般的に地区大会(近畿大会や東海大会など)の成績で選考されていると思われがちだが、あくまでもその結果は参考資料であって大会での成績が必ずしも選考に反映されるとは限らない。こういう建前論の選抜選考だが
各高校の県大会、地区大会での力関係が
A高校>B高校、B高校>C高校、C高校>A高校
のような現象が起こることは多々あり選考後に物議をかもす一因になっているのは紛れもない事実なのだ。
これはトーナメントで行われる限り起こり得る現象であり、例えば「A高校とB高校が10試合やったらB高校は勝てても1試合ぐらいだろう」という力関係の時、トーナメントではその1試合がその大会で出てしまう事があるからだ。夏の予選はこのノックアウト方式がシンプルで高校野球の面白さを如実に表しているが、春の選抜は選考委員の主観で決められるためどんな決め方をしても選考に漏れた側にも”何故?”という主観が生まれてしまう。
スポーツライターの小林信也氏が提唱しているように秋はリーグ戦でやる(ハードルは高いが)という方式をとれば勝率での順位になるので前述を例に挙げれば、A高校は勝率9割、B高校は勝率1割という結果で順位付けができる。
しかしリーグ戦にしたところで結局上位チームからの選考になるわけだから、単純な話地区大会の決勝進出チームは無条件で選出という形にすればいいだけの話である。(地区大会の優勝校が選考に漏れることはまずない)
事実、今大会(2022年第94回大会)における出場校の内、聖隷クリストファー高校を除くと地区大会での優勝、準優勝校は全て選出されており、その他の高校も4強進出高校から(近畿はベスト8を含む)という至ってシンプルに選出されているのだ。
夏は朝日新聞社、春は毎日新聞社が主催し2010年からはそれぞれの大会に各社が後援という形で名を連ねてはいるが、夏春の特色の違いを出したい思惑は明らかで一体誰のための大会なのかを考えれば、選抜における選考方法の曖昧さは透明性の上でもそろそろ時代にそぐわなくなってきているのではないかと思う。
2.選考枠の変遷(下図参照)
選抜が32校に確定されたのは1984年第56回大会からだが一般枠は各地区同士の増減はありつつも32校が維持された。2001年は21世紀最初の大会という事で21世紀枠(以下21枠)2枠が設けられたのだが、出場校を34校に増やすことで一般枠の減枠は無かった(図1、※1)。しかし次の2002年、あろうことか21枠2枠を残したまま一般枠2枠を減枠したのだ。私はこの頃からおかしくなり始めたと思っていて、21枠で選ばれる2校のために今までなら一般枠で選ばれていたであろう高校が出場できなくなったのである。そして続く2003年は第75回の記念大会という事で出場校は再び34校となったが、新たに神宮枠(この枠については次章で述べる)と希望枠がそれぞれ1枠増えたことで一般枠は30のままだった。ここで高野連は記念大会をいいことに昨年減枠した2枠をさらっと希望枠と神宮枠にすり替え、そして次年の通常大会からは増えた希望枠、神宮枠を残した上で再び一般枠2枠を減枠するというマジックを見せたのである。
2008年は90回を数える節目の記念大会という事もあり出場校も36校に増やし神宮枠は準優勝校にも与え21枠も1増枠し3となった。さすがに一般枠も2増やされたがその後も一般枠増枠は記念大会だけで通常は28が基本となった。
そして次の高野連マジックは増やした21枠はそのまま3枠とし希望枠を廃止して一般枠を28のままにする数字的なつじつま合わせがされたのである。
ざっとこういう現状だ。
まず近畿だが6府県に対し7枠もあったのがそもそも異常でこれは高野連のお膝元である身内びいき感は否めない。ましてや6になったところで単純に考えても一府県一校あたりの枠数になっていることに変わりはない。関東においては関東大会と東京大会の別地区大会でありながら選考では最後の一校は関東大会と東京大会との比較で選ばれる。東京から一校の選出は確定しているので他の関東地区7県で4.5枠、中四国も元々多かったが2.5枠ずつに推移している。東海も激戦区でありながら3から2に減らされておりこうしてみても近畿の6は突出していると感じてしまう。
このことから選抜の枠の数に関しては不公平だという声が後を絶たない。選挙で言う一票の格差と同じく一校の格差の話になるからだ。
しかし一概に選挙と比較し校数と出場枠の格差を数の論理だけで決めるのは少し無理があるので、私は記念大会で校数を増やせるのならその数を基本として通せばいいと考えている。記念大会に当たった年の選手が通常より出場の可能性が増えるほうが不公平だと思うし、21枠は廃止して各地区のベスト4までは無条件出場、のようにしてしまう方がシンプルで今回のような騒動は起きないのではないかと思っている。
3. 二十一世紀枠の在り方
この枠に関しては「高校野球は教育の一貫である」が命題になっているのは間違いない。しかし果たしてそうだろうか?私はここに高野連のうさん臭さを感じてしまう。
その前にまず神宮枠に触れておく。実はこの枠、神宮大会で優勝したチームに出場権、という訳ではないのだ。あくまでも優勝した高校の地区に1枠与えるという考え方。要するに神宮大会に出場している高校は各地区大会で優勝して出てきているので選抜選考で選出される事は間違いない。という事は優勝したチームに出場権を与えるというのは実質理にかなってないとはいえる。なので優勝した高校の地区に1枠与え本来なら漏れていたであろう高校が繰り上がり選出されるというややこしい考え方のようだ。
しかし地区大会の成績はあくまでも参考資料と言い続けているのにもかかわらず、神宮大会では優勝した高校の地区には1枠与えるという矛盾を抱えるなら、神宮枠は無くし一般枠で少ないと思われる地区の枠を単純に1つ増やしてあげるほうが話はスッキリすると私は思う。
話を21枠に戻す。
前章でも述べたように21枠ができたことで今までなら一般枠で選ばれていた高校が落選することになり、代わりにその高校よりも成績の悪い高校が選ばれるという事になった。今回の騒動も東海地区の枠が2枠しかない事がねじれ現象を起こしているわけで、その原因を作っているのはまさしく21枠なのだ。これのどこが教育の一貫なのだろうか?
事実、21枠で選ばれた高校が不祥事を起こしたり、練習環境が実は恵まれていたりと21枠の理念からはかけ離れた現状も数多くある。
現在の高校野球は完全に私立隆盛の時代。これは、勝つことだけが全てじゃない、高校野球は教育の一貫、を掲げている高野連にしてみれば不都合な事実なのだ。しかし私立における部活動が勝利至上主義になることは普通の事で、経営をしている以上生徒が集まらなくては高校の存続は難しく部活動が高校の広告塔になっている事実は否めないと思う。私立の特待生制度にしても問題発覚は高校生ではなく2007年プロと大学生の金銭授受問題が端を発したもの。その後高野連も実態調査をしたのだが、私立が特待生で選手集めをしていた事実を高野連は知らなかったみたいなとぼけた態度に私は驚いた。今さら何を言ってるのかと思った。私が高校野球をしていた1980年代にはもう当たり前のように特待生という言葉は飛び交っていた。当然だが中学3年時の受験前には「○○君は特待で○○校に決まったらしいよ」なんていうのは普通の会話だった。特待生にメスを入れて制度として明確になったのは2011年だったと思うが、時すでに遅しでそんな制度を使わなくても私立の勢力分布は実質すでに出来上がっていて、集める時代から選手側が野球留学を望む形に変わってきている。だから初出場の高校は極端に減りどの大会にもレギュラーのように出場してくる高校は増える一方なのだ。特待生は5人までと決めたところで私立なら抜け穴はいくらでもありあってないような制度であることは言うまでもない。
ましてや近年は私立高校も無償化の就学支援が始まり家庭の事情で強豪私立に行けず、地元の公立校に進学していた生徒の門戸も広くなったのではないかと思っている。そうすると益々私立>公立の構図は大きくなり公立高校の甲子園は遠のく一方なのだ。だから高野連にとっての21枠というのは高校野球は教育の一貫というのを、それこそ貫くのに適したものになっているということになる。
これまで61校が21枠で選ばれているが私立は高知代表の土佐高校のみ。これを見ても私立の波に押される公立高校にスポットを当てたいだけで、その反面21枠の甲子園での戦績は圧倒的に初戦敗退が多いという散々な結果なのだ。私立隆盛の大会に放り込んでおいて勝つことだけがすべてではないという事を実証させる高野連の綺麗ごとに21枠は使われていると言っても過言ではない。
私は兼ねてから21枠をやるのなら夏の大会でやればいいと思っている。
申し訳ないがあまりにも力の差がある高校が大会に選出されるのは今回の騒動を鑑みても疑問しか生まれないからだ。
まず予選前に各地区高野連で21枠の高校を指定しておき(今の推薦の仕組みで良い)予選を戦わせた上で好成績を残したチームに21枠として出場させればいい。例えば21枠に指定した高校が準優勝やベスト4に残ったならその高校を選べばいいし、同じような戦績の高校が複数あった場合は勝ち上がりの力関係を選出の基準にすれば理由もはっきりする。優勝した高校は普通に甲子園行のきっぷを掴み、予選前に指定された高校は優勝できなくても好成績を残せば可能性があるとモチベーションにもなる。当然指定されなかった高校との不公平感はあると思うが今よりも仕組みがはっきりするので不公平感は薄くなり透明性も担保できると思う。
高校野球は選手のものであり、そして長い歴史があり大きな利権が生まれるからこそ透明性を確保し選手の将来にプラスになるものでなければ、本当の意味での教育の一貫にはなり得ないと思う。いまだにプロとの交流をオープンにせず高野連という高校野球だけ特別で閉鎖的な組織が存続する限り、野球界の発展にブレーキを掛ける存在になってしまわないか危惧するとともに、選手のために各カテゴリーの野球連盟が一つになることを心から切に願うばかりです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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