#9 スマホ社会に生きる
みなさんこんにちは。半年ぶりのご無沙汰です。
この時期は受験まっさかりのシーズンですね。結果の出た人もまだこれからの人も、ちょっと手を休めてこの記事を読んでいただけないでしょうか。
今回はスマホについて話してみたいと思います。
かなりな長文になるので、よろしくお願いします。
高校生の皆さんはほとんどの方がスマホを持っていると思います。このスマホは映像・音声・文字の情報処理機能・通話できる通信機能を持っていますね。
これはもうすでに電話ではなく、手のひらサイズのコンピュータです。
CPU(中央演算処理装置;プロセッサ)、メモリ、入出力装置(液晶画面、キーボード(タッチパネルのフリック入力による)、補助記憶装置等)をハードウェアとして、そしてiOS、アンドロイドのオペレーティングシステム(OS:基本ソフト)、アプリケーション(アプリ:応用ソフト)を持つ、通話できるコンピュータなのです。
さて、話は変わって今からおよそ30年前のバブル経済崩壊後になります。そのころマルチメディアという言葉が流行ったことがありました。このマルチメディアとは、コンピュータ上で映像・音声・文字などの多様な素材を総合的に扱うことです。双方向性(通信機能のこと)を持つことを条件に含める場合もあり、厳密な定義はありません。
実はこのマルチメディアは今に始まったことではありません。
江戸時代末期には写真(静止画像)がもうすでにありましたし、明治に入ってからは電話サービス(通信)が、大正14年にはラジオ放送が開始され、昭和初期には映画(動画)が公開されるようになりました。そして、昭和28年にはテレビの本放送(NHK、日本テレビ)が開始されています。
つまり戦前・終戦直後には情報化社会につながる、そしてスマホの祖先であるマルチメディアがすでに産声を上げていたのですね。
現在は情報化社会と言われてからおよそ半世紀がたちます。
Windowsパソコンの登場以降、スマホというデバイス(ハードウェア)とSNS等のアプリ(ソフトウェア)の出現でこの高度情報化社会はさらに加速され、超高度に発達した情報化社会になったと思います。
ところで、情報を受け取るということは受動的な行動なのでしょうか?
例えば、野球を例にとってみましょう。キャッチャーがピッチャーの投げたボールと受け捕るからと言って、キャッチャーの行動は受動的行動なのでしょうか?センターがセンターフライを捕るからと言って、それは受動的行動なのでしょうか?
同じことが情報についても言えます。情報を受け取るということは決して受動的な行動ではないはずです。
そこには情報を取捨選択するという行動が必要になります。
だからこそ、それを行うための自分なりの考えが必要になってくるのです。
もしそれをしないのなら、その人はだだの○○(自主規制)です。w
スマホはあくまで2次情報源です。
web上の情報がすべてだとは言いませんが、ここの情報のほとんどは誰も検閲・校正をしていないとても不確かな情報であると言えます。
ですから、より正確な情報を手に入れたいのなら、エキスパートにより検閲・校正等されている1次情報源(書籍・新聞等)で確認する必要があるでしょう。
皆さんも超高度情報化社会という大海原を航海していく上で沈没してしまわないように、自分で判断する考え方の基準というものを常に磨いておきましょう!
(そのためには、まず読書したり、様々な人とコミュニケーションを取ったりすることだと思います。)
それこそが今の社会の中で、不確かな、あるいは悪意ある情報によって他人を傷つけないことですし、他人からも傷つけられない処世術であると思います。
スマホは諸刃の刃(もろはのやいば)です。
包丁も一流の料理人が持てば多くの人々を楽しませる美味しい食事を提供してくれますが、他方、もし気が狂った殺人者が持てば多くの人々を死傷させてしまう、ということ同じことです。
このとても便利なデバイスを使わないことは、とてももったいないことです。
上記、いろいろと書きましたがこれらのことを念頭に置いて、このとても便利な超高度な情報化社会を楽しみましょう‼(でも、スマホの使い過ぎにはくれぐれもご注意をお願いします!)