働きアリの法則の例えを出されると、違和感を覚える

有名な法則なので、それ自体の説明は省略しますが、この法則は、「人を管理する側」が持ち出すケースと、「管理される側」が持ち出すケースがあって、それぞれで意図が異なるものだと思います。

管理される側は「重要な仕事こなしたり、周りから評価されたりしてないけれど、自分みたいな人がいるから組織は回っている」という考えの礎として用いたりします。

管理する側がそれを口にするときは、おそらく組織が上手く回っていないときの方が多いのではないでしょうか。「使えない奴ばかり。あいつも、期待外れだし、働きアリの法則と同じで2割しか使えない。」といった感じでしょうか。

そんな風に使われがちな「働きアリの法則」ですが、なぜ、違和感があるかを述べようと思います。(使われがち、というか、なんとなくそういうときに、頭に浮かびやすいワードなのかも。「働きアリ」というワードの印象に魔力があるというか…)

人間って働きアリじゃなくない?

ただの愚痴とか軽い会話として使われる分にはもちろん構わないのですが、自分を正当化するとか組織の状況を捉えるための思考としてこの例えを持ち出されると、当たり前のことなんですけど「え、 人間って働きアリじゃなくない?」と違和感を覚えてしまいます。

「働きアリの法則」という概念は、そのネーミングは覚えやすく、内容も子供でも理解できる解りやすいものだから、非常に使いまわしの良いものだと思います。しかし、だからといって、働きアリの習性を、あたかも其れ即ち人間に適用可能である、かのように持ち出されると「その理解で大丈夫…?」と言いたくなるのです。

この法則を当てはめる対象の規模は?

何万人もの従業員をかかえる大企業をマクロ的にみる?
企業の一部門単位?課?
はたまは、数人で立ち上げたベンチャー企業?
学校のサークル?

組織の役割は?
営業・事務・研究・開発でも同じように適用できるもの?

組織の歴史や人員構成は?

それから業種は?
IT企業のような無形のものを扱う業種と、有形のものを扱う業種が同じような割合になるのでしょうか?なんだったら、「働く」ということを資産で評価するならば、細かいことは抜きに「1人の働くジェフ・ベゾスと、働かない99.9%以上の日本人」くらいなりますけど…

と、疑問は尽きません。

一口に組織と言っても、それ自体の属性も様々であり、それに影響するファクターなんて無数にあるわけで、おそらく恣意的な閾値の設定なしにデータを3分類しても各分類が「2:6:2」の比率にならないことの方が多いでしょう。

誤解が無きように言っておくと、この法則自体に問題があると言いたいのではありません。

ただ、ときに「働きアリの法則」が「人間組織のあらゆる箇所に普遍的にみられる法則である」かのように持ち出されたり、「人間組織に対して、働きアリの法則を(恣意的に)当てはめ、なんだか解った気になる」ために使われる事があり、それに違和感を持つ、ということです。

人間社会がマクロ的に幸福度を高めるための気づきとして、この法則が持ち出されるといいなぁ、と思います。

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