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どこかの誰かに罪の告白をし、悔い改める現代人に憧れて。

昔はというか、キリスト教とか仏教徒の人がやっている懺悔が当たり前の様に存在する地域は、しっかりと失敗を受け入れられるのかもしれないな、と思う。
懺悔って何?という人の為に、Wikipedia から引用。

懺悔(ざんげ、さんげ)とは、それぞれの宗教における神、聖なる存在の前にて、罪の告白をし、悔い改めることをいう。

仏教とキリスト教で微妙に差があるみたいですが、本質は同じです。神、聖なる存在の前で「罪の告白をして、悔い改める」のです。

つまり、自分がしてきた失敗を認めるということ。


失敗。例えばご飯を温める時にラップを付けるのを忘れてカピカピになってしまったとか、熱々の風呂に浸かったもののスマホをイジっていたらすっかり冷めてしまったとか、毎日生きていると様々な失敗をするものです。

失敗というのは、「やっちった、テヘヘ」で終わってしまっては、無駄になってしまいます。
しかし「どうしてミスしてしまったのだろう」と考え、次に繋げる。



例えばカピカピご飯の件からは「電子レンジの扉に『ご飯温めの時はラップ!!』と書く」のように。

水風呂の件からは「スマホを持って風呂に入らない」のように。

解決策を考えることで、次につなげます。「失敗した時に人を責めるのではなく、システムを疑え」という言葉も、ここで効いてきますね。

完璧な解決策である必要はありません。考えた解決策でまた失敗したのなら、それを防ぐ解決策2をまた考えればよいのですから。

失敗することを恐れているのかもしれません。




さて、今の自分を振り返ってみて、失敗したことを全て悔い改めれているかというと正直微妙なところです。

TwitterなどのSNSで暴露できるレベルの小さな「失敗」であれば、自分のフォロワーをまるで集合神のように見立てて、ツイートという「懺悔」をすることができます。


しかし、実際問題、ツイートにできないレベルでどうしようもない失敗、を日常的にやってしまっているのです。

このNoteの読者の方の中にも、同じような境遇の人がいらっしゃるのではないでしょうか。。

普段おちゃらけてツイートしているけど、あれはまだ失敗の上澄みで、もっとヤバい失敗を心のうちに秘めているのではないでしょうか。



失敗を全て表に出せない理由は何か

 ではここで、自分の失敗を包み隠さず表に出すことができない理由について、考えてみたいと思うのです。(ここでは「全て」であることをどうやって証明するのか、みたいな話は一旦省略します)


自分がツイート(懺悔)するとき、一体何を考えているでしょうか。

「こんな失敗していると周りに知られたら恥ずかしい」
「こんなやつだと思われたら友達が減ってしまうかもしれない」

このあたりでしょうか。



最近はゾーニング、が流行りですからね。
あんまり変な失敗ばかりして、それをツイートしていたら、全員からミュートされてしまうかもしれません。
雑多垢(趣味ごとに統一されていないアカウント)の場合は特にその可能性が高まります。


大学の同期をフォローする「リア垢」
ObsidianやAnki、メモのとり方、などの学習方法、知的生産について考える「Anki界隈」「知的生産クラスタ」
「美容界隈」
医学部に所属する学生がこぞって参加する「医クラ」
「VOCALOID界隈」
動画編集やプログラミングなどの副業で経済的自立を目指す「副業界隈」

界隈の名前は参考程度に捉えてください。

ざっとこんな人たちをフォローしていたら、そりゃあ噛み合わないツイートが回ってくることもあるでしょう。

そんな人達のツイートが自分の目に触れることで不快を感じることを避けるために行う「ミュート」「ブロック」などの機能がTwitterには備わっていますね。

数多の界隈をまたにかけるアカウントは、その時にお熱な界隈からは邪魔な存在。ミュートの対象になってしまうこともあるでしょう。


例えば

勉強が素晴らしい!!!

と語る界隈の前で

「まぁ勉強も自己実現の1つだよね。勉強以外にも恋愛とか仕事とか、色々あるよね。勉強を推してる人って、他の分野で結果が出せなかったことを根に持ってるんじゃないの???」

みたいなツイート、見たくないじゃないですか。

私もそう思いますもん。水指すな、って話です。でもブロックしたら波風立つし。そうだ、ミュートしよう。

とまぁ、こんな流れでしょうか。



失敗を表に出せない理由でしたね。

おそらくそれは、

他人から嫌われたくない」という、自己防衛本能

からくるものではないでしょうか。




神は、あなたの罪を許さない。悔い改めることを勧める。

神は、罪を犯した貴方を嫌うことはありません。変なやつだと思うことはありません。

ただ、貴方にたいして悔い改めるよう、勧めるだけなのです。
もしそれが犯罪だったのならば、自首を勧めます。

私はどこか、日々のどうでも良い失敗から、やばすぎる失敗、総じて人に語ることができないと判断した失敗を悔い改める機会を求めている、そんな気がしました。


色眼鏡で人を見ることは避けられません。何かを発言すれば、自分を見る他人のメガネに、新しい色を追加することになるのです。



例えば生涯を添い遂げる相方というのは、お互いがお互いの懺悔を聞きあう、そんな関係なのかもしれませんね。
今日もまたここに、2つの失敗を供養します(寒い)(晩ごはんは美味しくなかった‥)


では。


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