オンライン授業で質問し続けた話【医学生の日常】
「えー、それでは、フロアからなにか質問などありますでしょうか」
10秒ほど、パソコンのファンの音だけが、部屋を満たす。
何回ほどこれを続けただろうか。
「先生、質問よろしいでしょうか」
その瞬間の、パッと明るくなる先生の顔が忘れられない。
2019年から国中、いや世界中を席巻した新型コロナウイルス感染拡大の影響で、大学の授業はすべて対面からオンラインに切り替えられた。
医学部の授業も、例外ではない。
臨床講義と呼ばれる、実際の病気について勉強する講義が、オンラインツール「Zoom」を用いて、行われていた。
基本的に、顔出しをする人はいない。
大学からは「限られたネット環境で授業を受けている人もいますから、強制はしません」との返事。先生は毎授業、真っ黒な画面に「山田太郎」とだけ書かれた画面と、何度発表しただろう、という自分のパワーポイントを見ながら、50分話し続ける。YouTube撮影に慣れている人ならば問題ないだろうが、授業をやっているのはYouTube とは程遠い、大学病院の教師、医師である。
そんなオンライン授業で私は顔を出し続け、事あるごとに質問し続けていた。あれから2年。自分は初期研修医になり、大学病院で初期研修を行っている。
あの時オンライン授業をする側だった先生とコミュニケーションを取る機会も増えている。ここらで1つ、「顔出し」「質問」の意義について、考えてみようと思う。
コミュニケーションは双方向に行うもの
「伝える」ではなく、「伝わる」だ。
理想の教育とは、どのようなものか?
学習者の側から能動的に学習する。学習者から教育者に対して質問し、教育者がそれに答える。時に網羅的な学習が必要な場合に、教育者が学習者に教材を提示したり、学習項目を提示する。
このような、双方向の学習が理想的だと考えている。
教師から学生に一方向に向けられた授業だけを聞いて、分かりにくいと責任を相手(教師)に押し付けるのは、あまり健康的ではないと感じる。
質問は一歩進む行為。自分の恥を晒せ
「えー、それでは、フロアからなにか質問などありますでしょうか」
一時期これに対して、とりあえず質問をぶつける、ということをやっていた。
「こんなこと当たり前かもしれない」
「周りの人からアホやと思われるかもしれない」
「これはググったら終わりの、前景疑問かもしれない」
とか色々考える訳だが、質問しない限り調べようとも思わないし、自分事として捉えることができなくなるのだ。
周りの人からアホやと思われる。いいじゃないか。
「こんなことも分かってへんのか」と周囲から思われようと、分かっていないことは事実なんだから。
その事実を見ないふりをして、だましだましで続けるくらいならば、
早い段階で恥をかいた方が良い。
1つ実感としてあるのは、そうして質問をして、相手とコミュニケーションを取りながら考えたことの方が、頭に定着する、ということだ。
「えー、それでは、フロアからなにか質問などありますでしょうか」
とりあえず、手を上げてみよう。そうすると貴方は、フロアに座る有象無象から脱して、知的探求を志す人間になれるから。