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「私、この先生に診てほしいです」という患者〜医師の診療と属人性との戦い〜


「え、今日、田中先生じゃないんですか?せっかく東京からわざわざ来たのに‥」

田中先生は、私が所属する診療科の教授だ。1週間のうち何コマか、初診外来を開いている。その外来には、県内はもとより、他府県からも紹介受診する患者が後を耐えない。

この先生に診察して欲しい‥と思って、わざわざ何ヶ月待ち、という外来枠を予約して、県外から訪れる人もいる。

田中先生は忙しいから、今日も出張に出かける。

先生が開いた「教授初診外来」の代診は、私だ。

今日も患者からは「え、、。教授が診てくれると思って来たんですけど、どうしてこんな若い先生なんですか‥?折角遠いところから来たのに‥」と言われる。

5分で終わる外来も、25分のそんな愚痴というか文句というか、医学そのものとは関係の無い話をして、終わっていく。

「確かに私はまだ若いです。卒業して10年も経ってない。診察や検査のオーダーは教授自らすることは無いけれど、初診で来た患者さんの治療方針は診療科内で全例カンファレンスを開いているので、不利益は無いはずなんだけどな‥」


どうしてこんなことが起こってしまうのだろうか?


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医療者と患者の間で、「属人性」という言葉の持つ意味合いが違うために生じる問題だと思っている。

医療者からみた「大学の初診外来」

医療者の視点からすると、

患者がどこから来たか?
患者は誰から紹介されてきたか?
患者は誰の関係者か?

ということは、大した意味を持たない。

例えば大腸癌の進行度分類を決める時、その人がどこに住んでいるか?という話は、全く持って関係が無い情報となる。沖縄に住んでいようが、港区に住んでいようが、ステージ3は3である。

進行度分類を決める段で、「その患者は誰か」という情報は、意味を持たない。


そしてこれは、大学病院であろうと市中病院(地域にある病院)であろうと、構造は変わらない。


1人で独立開業しているクリニックの院長でも無い限り、その人個人の意思決定が治療方針を決定してしまう、ということはまず無い。

医者は「ガイドライン」や「論文を集約した二次情報」、更には「経験」を用いて診療をしている。
基本的に「私が考えた最強の医療」は起こり得ない。

そんな状況だからこそ、そもそも診察の段階で「教授じゃないから」と怒る人間の意味がわからないと言っても、理解できる。
逆に「教授だから」という理由で安心してしまうのであれば、その人のリテラシー自体を疑う。

患者の視点から考える「大学病院の初診外来」

患者の視点から考えてみよう。

「たまたまやった健診で引っかかった」病気で、
「なんだか顔つきが悪そうだから」と天下の大学病院を紹介され
「教授の初診外来」にやってくるのだから、心持ちもだいぶと変わってくる。家でも「今日、大学病院受診なんだよね」「ええ!大学病院に行くの!?」なんて会話を、しちゃったりする。

どんなことを言われるんだろう‥という不安だったり

教授なんだからしっかり治療してくれるんだろうな‥という期待があったり

様々な思惑が絡まり合う。

それがきっと医療者以外から見えている「大学病院の、教授の初診外来を受診する」ということなのだろう。

そんな初診外来で、どこの馬の骨とも分からない若造が「今日は代わりに担当しますね」なんて言ってくるもんだから、ついつい文句を言いたくなるのだろう。気持ちは分かる。

「属人性」との戦い。主治医とは何か?

属人性とはそもそもビジネスで用いられる用語で、知識やスキル、個人的なノウハウに依存しており、担当者しか作業ができない状態をいいます。

その人にしか作業ができない仕事のことを「属人性が高い仕事だね」と表現し、逆にそのような知識・ノウハウに依存しておらず、誰にでも出来る仕事のことを「属人性が低い」もしくは「標準化された業務」と表現します。

この言葉を用いる時には「誰にとって」属人性が高い/低いのか、ということを意識することが重要です。

医師の仕事は多岐に渡ってなされることが多く、医師に多くの権限が付与されています。患者の問診、診察、検査結果の解釈、治療方針の決定、処方、他院への情報診療提供、、、もっといろいろあるでしょう。

その中で「医師にとって」属人性が高い仕事と、そうではない仕事があります。

検査結果の解釈や治療方針の決定は、医師にとって属人性が高い仕事と言えるでしょう。
片や患者に問診をすること、診察をすること、他院への情報提供書作成‥これらの仕事は、ある程度の標準化が可能です。
他職種が予めこれらの仕事を8割前後終了させ、最後に医師が確認程度目を通す。必要な情報があったら追加する。このような業務の進め方も、あるべきでしょう。

最近話題の「医師の働き方改革」では、職場内でのTotal仕事量は同じでも、その「医師への偏り」を少なくしよう‥という想いがある。
医師としての属人性が高い部分を医師が担い、医師にとって属人性が高くない場所は一旦他職種で補う、ということだ。

医者の属人性、高くない??

研修をしていて、医師の業務の「属人性の高さ」は異常です。
看護師は勤務帯間でキッチリ引き継ぎをしていて、インシデントに対してもしっかりディスカッションしていて、キャリアアップもステップラダーに準じて行っている‥医師よりよっぽど成熟したシステムを持って、職場で働いています。

医療者の中で、医師の業務は、他の業種と比べて、属人性が高い。

そして更に、医師の中で、教授の業務は、他の医師の業務と比べて、属人性が高くなると考えます。

「教授にとって」属人性が高い仕事と、そうではない仕事というのは確実に存在しています。
例えば「教授会に参加して意見を述べる」これは、教授自らが参加しないと話が進まない可能性が高いため「属人性が高い」となります。

片や1人の初診外来を進めることは「属人性が高い」とは言えない。

教授に求められている姿は「所属する医局員のQOL、医療の質向上」でしょう。そうなると必要なことは「1人1人の患者を診察する」こと以上に、自分が教授を務めている医局員のマインド含めた能力の向上にあると思っています。

教授と同じ思考プロセスで診断する人が増えれば、対応できる患者数が増える‥端的に言えば「標準化された」ということでしょう。標準化してしまえば、その仕事は他の人で代用することが出来る!となる訳だから。

その「属人性」は誰のために?

ここまで、「属人性」という文脈で書き連ねて来ました。

最初に挙げた田中教授の初診外来の話は、実は複数の側面から見ることで違って見えてきます。

教授や医療者から見ると初診外来は「属人性は低く」あるべきであり、誰が担当しても同じような治療を行なうことが出来ることが理想です。

片や患者サイドからすると、「医師」の中でも特別な「教授」から診てもらえることそのものが、例え治療が上手く行かなかったとしても「教授先生が頑張ってくれたんだから、誰がやっても限界はあったんだよ」という解釈を形成することに貢献しています。

初診を担当する医師。患者から「どうしてお前なんだ」と文句を言われると、ついカッとなってしまうことがあります。そんな時にふと、「この人は今日どんな思いでここにやってきたんだろう」と想いを馳せてみる。


ひとりに1度しか与えられていない「生」。

その生命が終わりに近づいている。そんな時に、冷静な判断を、寡黙な反応をする人ばかりではないでしょう。

そんな壮大な物語に携われている事に感謝しながら、今日も研修に向かう。



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《最後まで読んで下さって、ありがとうございます!普段はAnki やNotion などデジタルツールの使い方や日々の研修で発見したことを発信しています。
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