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女性と近い距離で踊るのが恥ずかしい

趣味でアイルランドの社交ダンスの一つ、セットダンスをしています。

アイルランドではセットダンスにかかわるフェスティバルが通年で開催されています。最も規模が大きいのが7月のWillie Clancy Festival(ウィリー・クランシー・フェスティバル)。そして、今回行ってきたのは最も大御所のダンサーが集まるであろう(?)1月中旬のConny Ryan Dublin Dancing(コニー・ライアン・ダブリン・ダンシング)。

フェスで得たこと、感じたことはいくつかあるのですが、今回はダンスに臨む際の(極めて個人的な)心構えについて記そうと思います。

もくじ

・「相手を見つめて、大切にしなさい」
・パートナーを大切に扱っているか?
・なぜ恥ずかしいのか

「相手を見つめて、大切にしなさい」

アイルランドのセットダンスについて知らない人のために説明しますが、セットダンスはペアダンスです。男女がペアになり、4組のペア計8人で踊ります。ペアダンスなので男女で構えるのですが、この距離が近い。

これ(グレーのポロシャツのおじちゃん)、よくある構えで名を「ワルツ・ホールド」と言います。どのくらいの距離で踊るかは人それぞれなのですが、結構近い。

男性はまだいいんです。女性は男性の横顔を直視することになるので、日本人的感覚(ボディータッチが一般的ではなく、人との距離も遠い)からすると結構恥ずかしい。女性の中には顔を横に向けて踊る人も一定数います。直視するのは恥ずかしい(?)

僕、初めはこのことに全然気が付かなくて。というのも、ダンスを始めた当時は「女性を見る」よりも「女性をリードする」ことを意識しがちだったからです。

セットダンスには簡単な動きとたまに複雑な動きがあります。自分自身が次にどう動くか、女性をどうリードするか……文字通り前ばかり見ており、女性との距離を全然意識していませんでした。

ひょんなことから女性役をやったときに「(男の顔)ちかっ!」と気付きました(改めて考えてみると、ダンスを始めるときの障壁は男性よりも女性が多そう)。

で、そのホールドに関して今回フェスに行った際にアイルランド人直々に指摘されました。「もっと近くで、相手をしっかり見つめて、大切にせよ」と。

「女性をどのようにホールドするか?(≒どのように女性を扱うか)」というテーマは奥が深いテーマで、人によっては近かったり、あるいは遠かったりします。その方のパーソナル・スペースやパートナーとの仲の良さ...ダンスを通して親密になるにつれて変わったりする...など様々な要因があります。

僕自身はホールドはゆるく構え、相手を自由にさせつつ適宜リードするスタイルを近頃確立したのですが、そこのところを注意された訳です。「もっとちゃんとリードしなさい」と。

パートナーを大切に扱っているか?

セットダンスにおけるホールド、近い距離と遠い距離では果たしてどちらが女性にとって踊りやすいのでしょうか?

答えはありません。少なくとも、最も踊りやすい構えというのを僕はまだ知りません。

男性にちゃんとリードされたい女性もいれば、自分の意思である程度動きたい女性もいますし、あるいは男性との呼吸を合わせて楽しむ女性もいるかもしれません。ダンスよりも社交、お喋りを重視する人もいれば、伴奏が良ければ万事オッケーという方もいるでしょう。

セットダンスはいわゆる社交ダンスの一種ですが、一般的な社交ダンスよりも男性がダンスをリードする機会が少ないです。女性が単独で動くときがありますし、何よりダンス中に(一時的に)パートナーを変えることがままあります。

性格によるものか育ちによるものか、いわゆる男らしさ少な目の僕としては「男がリードする!」という、いかにもな社交ダンスが苦手です。その点、男性がリードする側面がありつつも、相互にリードし合えるセットダンスは僕にとても合っていました。

ところで、アイルランドはヨーロッパの一国で、レディーファーストの文化が強いです。少し前は男尊女卑がひどかったとか。とにかく男性が女性をエスコートする、女性を大切にする文化が強く感じられます。

そして、アイルランド男性は踊るとき、女性にとても近づきます。それは文化的な文脈によるものか、踊りやすさを意図してのものか、はたまた別の理由か、わかりませんが。とにかく女性のお胸が男性のからだに触れるくらい近づいて踊ります。女性もさほど気にしていません。「ダンスとはそういうものである」という相互認識があるのでしょう。

もちろんただ距離が近いだけではなく、パートナーと離れるときは丁寧にお辞儀したり、パートナーが戻ってきたときは温かく出迎えたり。パートナーではない相手にはかしずいたり、ぶつかりそうになったら体で守ったり。当然、終始笑顔でニコニコ。男性が動き方を間違えたら女性に対して必死に謝るとか。

ただ近いだけではない。こころとからだに染み付いた魂で踊る様は、僕にはとても新鮮でした。「女性との距離が近い」というよりも、「近いところで女性を守っている」ように僕の目には映りました。対して僕は自分の心ばかり守って、女性を守れていないのではないか……。

なぜ恥ずかしいのか

下記の画像はとあるイベントで使った紙で、「人と近い距離で踊るとなぜ恥ずかしいのか」を自己分析したものです(途中)。

僕にとって、人と近い距離にいることは以下のようなことを示します。

・(性を問わず)親しさ、親密さを示す
・(男女の仲であれば)ロマンチックな雰囲気である
・身体的な接触がある場合、上記の印象がより強くなる

多くは映画や漫画の刷り込みでしょう。

こうした思い込みがあると、女性とダンスしているとドキドキしてしまいます。音楽にノッていーかんじの雰囲気になったり、楽しくなってきて相手が笑ったりしていると、仲良くなったような気になってしまうのです。実際は互いにダンスを楽しんでいるだけなのに。

これ、僕自身の思い込みや偏見が根底にあって、もっと言うと「人と仲良くありたい」という僕の願望が現実を書き換えていると言えます。

とは言え、セットダンスの基礎的な動きやリードの仕方を覚え、物理的・精神的に余裕ができたこと。リラックスして踊ったり話したりできるようになったという背景もあります(初めのうちはからだの動かし方で精一杯で、恥ずかしさを感じる余裕はありせん)。

リラックスした分、素の感情が現れやすくなり、それに気づいたときに「……恥ずかしいっ!!」となっている、みたいな。

逆に言えばふだんは素の感情があまり出ていない、冷めた状態であるのかもしれません。良い伴奏を聴いて、からだを動かしていると、こころも軽くなってくる。そんかかんじ。

「守破離」で言うと「破」で、既存の型はおおよそ覚えて身につけたけれど、その型をどう自分に馴染ませていくか、その試行錯誤の段階。

んーーー
ん〜〜〜〜〜〜

本来は、こうした素直な気持ちをそのまま表現して、何事もなく日常が過ぎればなんのことはないのです。感情を素直に表現することに対していつからか躊躇するようになり、それが習慣として身についてしまった。そのズレをダンスを通して実感、リハビリしているような感覚。

最近踊ったとあるダンサーに「城さんは(踊っているときに相手を見ずに)足元を見てる」と指摘され、ドキッとしました。

ダンスが上達するにつれて次の動きを意識せずとも踊れるようになり、伴奏や相手の呼吸に合わせて踊るべく、目を瞑り下を向いて踊ることが増えました。思えば、「人と近い距離にいるのが恥ずかしい」という感覚とのバランスを無意識に調節していたのだと思います。

相手のリズムをからだで感じるのはダンスする上でとても大切なのだけれど、ちゃんと相手を見て笑いかけられる人になりたい。もっと「あなたを大切にしています」オーラを出せるようになりたい。

セットダンスはパートナーだけでなく、一緒に踊っている8人で楽しめる社交ダンスです。僕は8人全員と仲良く楽しく踊りたいですが、まずは1番近くのパートナーをちゃんと大切にしたい。一緒に踊っている20分を二人だけの、その日最高の時間にしたい。

嬉しいことに最近はたくさんの女性からダンスのお誘いをもらえたり、踊ったあとに「楽しかった」と喜んでもらえることが多いです。これは本当に嬉しい。いつも嬉しさを表現しているつもりなのですが、もし伝わっていなかったら今聞いてください。めちゃくちゃ嬉しい。恥ずかしくてちゃんと表現できないこともあるのですが、とっても嬉しいです。

前述したように、人と仲良くなる、楽に一緒にいられる、互いに安心した状態であることを関係を僕は好みます。ダンスを通してそうなれたのならばこれに勝る喜びはない。

この「恥ずかしさ」はきっと一過性のもので、慣れてしまえばなんてことはない黒歴史の一つになってしまうのでしょう。今はまだ慣れなくて恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がないけれど、恥ずかしさと一緒にあたたかく染み込んでくる歓びをしっかりと感じてダンスを続けていきたい。

つづく

脚注

・サムネはおすし。多謝。
セットダンス
Conny Ryan Dublin Dancing
Willie Clancy Festival

余談ですが、アイルランドの人は踊り始めるときにパートナーの手をにぎにぎしたりします。アイルランドのおじいちゃんが若い女性に対してそうした行いをしている、と噂に聞いていました。しかし、今回のフェスで逆に女性ににぎにぎされることもあったので、これも社交の一種なのかなと思ったり。

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城 拓 / Hiroshi Jo
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