初めてメンズ下着を履いた日 2018.6
(どうも、空衣です。男じゃないけど男になっていく人です。
一人称はボクではないけど、文章上はそう書くことが多いかも。
書いているものは自分の体験・感じたことがメインであり、だれかを傷つける意図はありません。よろしくね。)
2018年、梅雨。
んんん、それはおかしいかも。
梅雨っていうか、ドイツにはそんな時期はなかった。ただ、ボクの心には煮え切らない雲があった。そのモヤモヤを振り切るところまで飛んでいきたかったのだ。勇気といくらかのユーロを持って、ある場所へ向かった。
留学先だったドイツ・テュービンゲン(Tübingen)のお隣メッツィンゲン(Metzingen)には、ドイツ国内でも有名な大型アウトレットがあった。およそ70店鋪が集まり、ハイブランドも色々と。
その一つには、アンダーウェアで人気なCalvin Kleinがあった。絶対ここに、ひとりでくると決めていた。そしてCalvin Kleinの、メンズの!!アンダーウェアを手に入れてやると。
前回女ともだちに連れられてこの街へ来たときは、正直ボク自身はちっとも楽しめなかった。というか「連れられて」といっちゃうくらいには、ファッションに興味がなかった。レディース中心のブランドをどれほど見ようと、やっぱりつまらなかった。あまりに興味がなくて、好きな女の子がこんな服を着ていたら似合うだろうなーと想像する余裕もなかった。
だがしかし、大事なことに気づいた。
自分は、ファッションに興味がないのではなくて、レディースに興味がなかったんだ!!!
メンズの方ではまだ好きだと思えるものがあった。
22年間何していたんだろう、自分らしくない、好きでもない格好をずっとし続けて生きてきたんだ。その期間を返してほしいとおもった。
初めてメンズの下着コーナーをうろついて、じっくり手に取ってみて、気に入ったカタチと色を買った。初っ端からブランドものは高かったけれど、欲しくもないものに投資して生かされることしか知らなかった過去を思えば、満足いくものが手に入る感動は言葉では語れなかった。
女にしか見えない自分が男性下着コーナーにいる光景はやっぱりそわそわして、こんなところにいちゃいけないんじゃないかと心配させた。それでもまだマシだったのは、そこが外国であり、とにかく人の集まるアウトレットだったから。
誰もわざわざボクのことなんか気にしない。
ドイツはヨーロッパの真ん中だし、特に留学先は世界中からの留学生が集まる学生街だったので、「ちがって当たり前」という土俵があった。それはサイコーだった。
自分がトランスジェンダーであり、治療を必要としていると自覚できたのも、ドイツにいて、それだけ自由で正直でいられたからだ。
日本で同じ場所にいたら「(彼氏への)プレゼント用ですか?」と店員に絡まれて、ゆっくり探すこともできない。
あと、これはどうしようもないことだけれど、ごめんなさい、書いておく。
「MtF(で、外見が男に見える場合)の人がレディースの下着コーナーをうろつくこと」に比べれば、FtMの立場でメンズ下着を見ている自分の方がまだハードルが低い、周りに怪しくおもわれることも少ないだろう、という消極的な比較を持ちこんで、ボク自身の精神を保っていた。
なんでこんなところにいるんだろう、と怪しまれたとしても、犯罪者扱いはされない。逆だともっと視線が痛いであろうことは想像できてしまう。
それほど世界は男女二元論でできているし、「女性へ性犯罪を起こす男性」の割合が高い限り、トランスジェンダー女性(MtF)の生活も脅かされる。トランス差別を考えるとき、結局フェミニズムへ舞い戻るのだ。
話を戻そう。
それで、生まれて初めてメンズコーナーへ行き、ボクサーパンツとトランクスを手に入れた。憧れのCalvin Kleinが自分の手に。
毎日が嬉しかった。いってしまえばただの布切れだし、しばらくの間ノーパン生活を送ってみたりしたボクからすれば、別に下着なんてなくてものびのび生きていくことは可能だ。
でも、一番自分の肌に寄り添ってアイデンティティーを守ってくれる下着が納得のいくものであることは、信じられないほどの感動だった。
別に、誰と共有できなくてもよかった。パンツを見せびらかす相手もいない。それどころかジムの女性更衣室を使うときにはメンズパンツを隠すように気をつけなきゃいけない、と自分を戒めたくらいだ。
今さらだけど、メンズ用は前に穴が開いていて、モッコリしていればちょうどよくカタチが保たれるような造りだ。ボクには関係のない穴があることは当たり前のように虚しかった。
それでも、それでもいいから、メンズ下着は尊かった。
Calvin Kleinを手に入れてからは毎日ちゃんとパンツを履いている。