オメテオトルの4柱の息子たちは赤のテスカトリポカことシペ・トテク、黒のテスカトリポカ、白のテスカトリポカことケツァルコアトル、青のテスカトリポカことウィツィロポチトリ
これはアルフォンソ・カソが提唱した解釈「オメテクトリとオメシワトルにはシペやカマシュトリとも呼ばれる赤のテスカトリポカ、黒のテスカトリポカ、ケツァルコアトル、ウィツィロポチトリこと青のテスカトリポカの4柱の息子達がいた」に由来する説です。カソは出典を明言していませんが、基になったのは植民地期初期の文献『絵によるメキシコ人の歴史』でしょう。この文献によれば、正確には「トナカテクトリとトナカシワトルの4柱の息子たちは赤のテスカトリポカ(トラトラウキ・テスカトリポカ)ことカマシュトリ(ミシュコアトルとも)、黒のテスカトリポカ(ヤヤウキ・テスカトリポカ)、ケツァルコアトル、ウィツィロポチトリ」です。テスカトリポカは赤と黒のみで白や青は登場せず、また「白のテスカトリポカ=ケツァルコアトル、青のテスカトリポカ・ウィツィロポチトリ」でもありません。テスカトリポカは4色いると言われるのにトラトラウキ・テスカトリポカとヤヤウキ・テスカトリポカしかナワトル語名が書かれずイスタク・テスカトリポカとかショショウキ・テスカトリポカとかは滅多に見かけないのはそのためです。ネットの記事ではまれに白と青のナワトル語名が書かれていることもありますが、それは「赤と黒しかないのはおかしい」と考えた人が書き足したものでしょう。『絵によるメキシコ人の歴史』には白と青には言及がありません。
なお、カソは「白のテスカトリポカ=ケツァルコアトル」とは言っていません。彼の著書『アステカ人の宗教』には「4柱の神々、原初神夫婦の息子達は赤のテスカトリポカことシペとカマシュトリ、一般にテスカトリポカと呼ばれる黒のテスカトリポカ、生命と風の神ケツァルコアトル、青のテスカトリポカことウィツィロポチトリであった」「ケツァルコアトルは、原始的な神話では白のテスカトリポカの領域であったかもしれない持ち場を占めていた」と書かれています。それなのに、話が広まっていくうちに内容が変化し、「ケツァルコアトル=白のテスカトリポカ」ということにされてしまったようです。カソの『アステカ人の宗教』を参考に書かれたジョージ・C.ヴェイラント『メキシコのアステカ人』では「ケツァルコアトルは時として白のテスカトリポカとして描かれる」とされました。この本は広く読まれたため、多くの人に影響を与えたのでしょう。
それにしても、何故カソはケツァルコアトルは白のテスカトリポカではないと考えたのでしょうか? それはきっと、ケツァルコアトルのフェイスペイントが黄色と白の横縞ではなく、頭に煙を吐く鏡をつけて描かれることもないからです。黄色の横縞フェイスペイントと煙を吐く鏡はいずれもテスカトリポカの特徴で、シペ・トテクは黄色と赤、ウィツィロポチトリは黄色と青の横縞フェイスペイントで表されることがあり、また頭に煙を吐く鏡をつけていることもあります。カソの著書『太陽の民』には「夜の神として、テスカトリポカもまた黒く塗られたが、彼の顔は黄色と黒の横棒で縞模様にされていた。この装飾はイシュトラン・トラトラアンの名で知られ、全てのテスカトリポカを特徴付けていたが、シペではその色は赤と黄色に変わり、ウィツィロポチトリでは青と黄色だった」という記述があります。しかし、このイシュトラン・トラトラアンと呼ばれる横縞模様はオトミ人の火と死せる戦士の神オトンテクトリの顔にも描かれていますが(オトンテクトリのは白と黒)、彼は兄弟には含まれないし、テスカトリポカと同一視されている訳でもありません。カソはこの件については無視しています。
また、カソがケツァルコアトルは白のテスカトリポカに置き換わったのであり、白のテスカトリポカそのものではないとした理由としてもう1つ考えられるのは、彼が善神ケツァルコアトルと悪神テスカトリポカの対立を重視していたことです。『アステカ人の宗教』には「繰り返される人類の出現は2柱の神々が交互に創造者の地位で行動したためだった。ケツァルコアトルは恵み深い神、農業と産業を始めた英雄で、黒のテスカトリポカは全能の神、多くの姿を持ち至るところに存在し、夜の神で、邪悪な者と魔法使いの守護者だった。ケツァルコアトルとテスカトリポカは互いに争い、交互に起こる勝利は代わる代わる興隆する創造をもたらし、そして彼らの闘争の物語は宇宙の歴史であった」とあります。赤のテスカトリポカやウィツィロポチトリ(カソによれば青のテスカトリポカ)は過去に存在した太陽には関与していないこともあって、ケツァルコアトルとテスカトリポカの闘争に注目し、そこに善悪の対立をも見たのでしょう。ただし、カソは『アステカ人の宗教』で、トラロックの第3の太陽をケツァルコアトルが火の雨で滅ぼしたことを述べた後、第4の太陽について「ケツァルコアトルはトラロックの姉チャルチウトリクエ(翡翠色のスカートの女)を太陽となるよう選んだ。地上を水浸しにするために洪水のような雨を引き起こしたのは恐らくテスカトリポカだった」と書いていますが、実際の史料には雨の原因は明言されていません。テスカトリポカが雨を降らせたというのはあくまでカソの推測だということに注意しましょう。
カソは、4兄弟の親オメテクトリとオメシワトルが中央を表し、赤のテスカトリポカ、黒のテスカトリポカ、ケツァルコアトル、青のテスカトリポカはそれぞれ東、北、西、南に割り当てられているともしていますが、これもまた仮説であり、実際の神話にそういう記述がある訳ではありません。『絵によるメキシコ人の歴史』では黒のテスカトリポカは「真ん中に生まれたから」最も優れかつ悪く、他の兄弟を圧倒していたといいます。
カソ及びヴェイラントによる解釈は「解りやすく」、研究者や一般の読者達に広く受け入れられた結果いつしか実際の神話の記述のように信じられることになってしまったのです。
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