差別と偏見 各論Ⅰ
先の記事に続いて、各論として述べていく。
エネルギー
日本がかつて油がなく(なりそうになっ)て戦争までしたことは、全国民の知るところであろう(偏見)。また暖衣飽食の私のような人間にはなかなか実感がわきにくかったのであるが、最近読んだ本の中では「飢え」の話が出てきていて、考えてみれば当然であるが人間のエネルギーである食糧も、日本では特に死活問題である。エネルギーと食糧、日本にミサイルを撃ち込むよりも機雷敷設と海上封鎖の方が費用対効果は大きいだろう。
行政
地方行政という非生産業に求められているのは、まずはインフラ(電気、ガス、水道、通信、交通網)および治安の維持、整備であって、これらは地味で誰もほめてくれないしお金は常にかかるという特徴がある。ここから目を背けてつけを払うのは結局住民である。
国政はそれに加えて上のエネルギー確保がある。
教育
教育については、岡潔が懇々と述べているのでさわりのみを紹介する。あくまで私の解釈であることをお断りしておく。
植物に例えると、種が植えられて、時期になると芽が出て、育ってほしいもの以外の周りに生えてきた野草を日々気を配って取り除き、太陽や水、地中の養分によって成長し、また種を作ってというサイクルのうち、一体教育とはどこの部分にあたるかと考える。日々気を配って取り除く、の部分である。それ以外は全く大自然の思し召しというか、なすがままというか、全く不思議なことである。
文責筆者