ガムうまいなぁという感情
子どもが「ガムうまいなぁ」と言いながらガムを噛んでいて、その感情は俺にはないなと思った。ガムをうまいと思って食うことなんてないだろう。そうたかをくくっていた愚かな自分。ガムをうまいと思って食う人だっているのだ。ガムはスッキリするなぁとか、そういう感覚的なことを求めて食べているから、うまいもの食べたいと思ってガム食べたりとかしない。「何かうまいもんでも食いに行くか」って言われてガム屋連れて行かれてもな。なんだガム屋って。最近グミが売れていてガムがいまいちだと聞くので、昔以上にガム買うようにしている。一度に2種類買う。買ったら買ったでペパーミント味とオリジナルミント味みたいな似たようなのを買っている。というかミント味以外のガムがいまいちうまくないおっと。いま自然とガムに対してのうまいうまくないというリアクションが出たことに驚いた。うまいとか思っていたんだ自分も。ブルーベリーガムは確かにうまいかもしれない。明日ガムを食べるときはうまいかどうかを考えながら食べよう。食べるっていうか、噛もう。噛むだけってところがガムの良いところでもあるし頑固なところでもある。噛んだら飲むこともできず、ただ吐き出すのみというところが良いんだか悪いんだか。ガムが好きな人も全滅しつつある。ガムの会でもやりたいところだ。黙って噛んで解散する会。昔韓国人の友だちがガム噛むたびに小さくプチプチパチパチ音が鳴る噛み方をやっていて、それを教えてもらってずっと練習していたから、いまできる。あと口の中だけで風船を膨らますこともできる。割と遊べるんだぞガムは。味だけじゃない。