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JOG(26) オリンピックでの国旗掲揚
ソウル五輪の陸上競技で星条旗が掲揚されたとき、スタジアムの観客の中で起立しなかったのは日本から卒業旅行に来ていた高校の生徒と先生だけだった。
■1.清水選手の原動力■
今回の長野オリンピックでは多くの感動のドラマがあった。活躍した選手達が日の丸を振りながら、リンクを、ゲレンデを廻る。観衆も無数の日の丸を振ってこれに応える。
そのうちの一人、日本スケート史上初の金メダルを獲得した清水宏保選手について、サンケイ新聞は次のように報じた。(02.11朝刊)
2日前から、自分がウイニングランをしているシーンや、国旗が真ん中に上がり、君が代が流れるシーンをイメージしていた。「それだけで、ベッドで涙が流れたこともあるんです」。それが実現し、「夢なのか現実なのか分からない状態でした」。
清水ほど「国」を意識しているスポーツ選手は珍しい。「日 本人には、アメリカみたいに国のために頑張ろうという感じは あまりないですが、僕は、もっと愛国心をもってやっていければと思う」とよく話していた。 「亡くなった父には、お前は体が小さいから、人一倍頑張るようにといわれました。その言葉を信じて、やってきました」
自分の頑張る姿が、国民を元気づけることができれば…とひ そかに思い続けていた。「それを示すことができたと思います」。夢を実現した男は、晴れやかな笑顔で言った。
■2.父祖の国の「国旗を背負うプライド」■
北米プロアイスホッケーリーグ(NHL)の超一流選手達が出場する試合に、日本チームが「開催国としてみっともない試合はできない」とレベルの高い日系カナダ人を登用した。平成七年の日本リーグ得点王マシュー・カバヤマ(三二)=西武鉄道=ら七人が、日本国籍を取得して参加。父祖の国の「国旗を背負うプライド」も強かった。
日本代表チームのゼネラルマネジャー、デーブ・キング氏は言う。「国と国との戦いでは、国旗を背負っている強い意識が必要だ。日の丸への思いは、日系人の方が強いように思う」。 連盟の幹部も、「日系人選手の国家代表としてのプライドと責任、闘志を学ぶ絶好の機会」とする。(サンケイ、97.12.07 朝刊)
清水選手も、日系カナダ人選手も、国旗を背負っているというプライドと責任感が、競技への原動力となっているのだ。
■3.誰のために戦うのか?■
ひところ、「自分のために戦う」というようなセリフが「かっこいい」とされていたが、本当に「自分のためだけ」に競技するのなら、無人の誰も見ていないリンクで一人、世界記録に挑戦していれば良いはずだ。しかしそんな孤独なプレーをしてもファイトは湧かないだろう。なぜか。
アメリカの心理学者エイブラハム・マズローは、「人間は家庭や職場、社会や国家という集団に帰属し、その中で他のメンバーに受け入れられつつ、自分の可能性を最大限に追求したい(自己実現)という欲求を持っている」という学説を唱えて、新しい心理学の波を作り出した。現代の企業経営では、この人間観をもとに、働き甲斐の追求を目指す企業が多い。
清水選手が、「国のために頑張ろう」、「自分の頑張る姿が、国民を元気づけることができれば」というのは、まさに一つの集団の中での自己実現の欲求なのである。プレッシャーに負けない精神力も、この欲求が原動力となっているのであろう。そして金メダルをとった喜びは、自分のものだけではない、家族や郷里の人々、声援を送った国民全体が喜んでくれるからこそ、自分自身の喜びも倍加するのである。
■4.国民相互の理解と共感のベース■
国民が自分たちの代表選手を応援し、その活躍を願うのも、また国民の側の自己実現の欲求なのである。そして日本国民が日本代表を応援し、その活躍を嬉しいと感ずる人間本来の情操があれば、ノルウェー国民がノルウェー代表を応援するのも、同じ人間の姿だとして共感できる。
ぞれぞれの国民とその代表選手の心をつなぐ象徴が国旗国歌である。したがって、メダルをとった選手の国旗を掲揚することは、選手がよくその国民を代表して健闘した事を賞賛し、さらにそういう立派な選手を生みだした国民への敬意を表すことだ。
こういう共感と敬意こそが、国際交流の基盤である。オリンピックの表彰式で掲揚される3本の国旗のそれぞれに対して敬意を表するのは、国際社会に共有(common)された思慮分別(sense)、すなわち、常識(common sense)なのである。
モーグルで金メダルをとった里谷多英選手が、国旗掲揚時に帽子をとらなかった事で、物議を醸した。三位のノルウェー選手は即座に帽子をとってきちんと胸に当て、国旗を仰いでいただけに、対照的な姿がテレビに映し出された。
これは、自国他国を問わず、国旗に敬意を表するという国際常識をきちんと教えてこなかった日本の教育界の責任である。2,3位の国民に対しての非礼を申し訳ないと思うとともに、多英さんと亡くなったお父さんの二人が頑張ってとった晴れの金メダルがこんな事でケチがついたのを、気の毒に思う。
■5.国旗を「選手団の旗」とは■
長野から電子メールを送ってくれた人があったが、それによると、表彰式の国旗国歌を日本語のアナウンスでは「選手団の旗と選手団の歌」と紹介していたそうだ。五輪憲章の中で、地域として参加している選手団に対する配慮をしている文面を盾にとって、ある大学教授が国旗国歌という表現を使わないよう長野オリンピック組織委員会に、申し入れたという。
ちなみに英語のアナウンスでは、国旗国歌という表現を使っているそうなので、やっている方も、こういう事が世界では通用しない非常識だと知っているのである。たとえば、アメリカの選手が優勝した女子フィギュアスケートの表彰式で、星条旗を「アメリカ選手団の旗」などと英語でアナウンスして、それが全米のテレビに流れたらどうなるか。アメリカ選手とアメリカ国民への侮辱だとして大きな問題となり、在米日本人の方々には、湾岸戦争時以上の針のむしろになるであろう。
ソウル五輪の陸上競技で米国選手が優勝し、星条旗が掲揚されたとき、スタジアムの観客の中で起立しなかったのは日本から卒業旅行に来ていた高校の生徒と先生だけで、韓国民や世界中からひんしゅくを買ったという。
清水選手や里谷選手が、スポーツ界の指導者になる頃には、今回の経験をもとに、国旗国歌に敬意を払う事が、真の国際親善には不可欠であるという常識を選手、観衆の皆が持っているようになる事を望む。
オリンピックで国旗国歌が用いられるのは、各国国民が自国の代表選手を応援するという事を通じて国民同胞感を味わい、またそれを通じて、国民相互間での敬愛を深めるためである。今回の長野オリンピックは、幾多の感動のドラマを通じて、この事を十二分に確認できたと思う。こういうドラマを支えるために、会場設営に大変な苦労をされた自衛隊、および国旗配布に尽力された民間ボランティアの方々のご努力に敬意を表したい。
///////////// Fact /////////////
■世界有数の長い歴史を持つ国旗・日の丸
日の丸の歴史は世界有数の長さを持っている。文武天皇大宝元年(701年)の朝賀の儀式では、「日像」を描いた幟(のぼり)が立てられた。平家物語で那須与一が射た的は「皆紅に日出したる扇」、上杉謙信、織田信長、徳川家康などの旗差物にも、日の丸が使われている。江戸初期の朱印船も日章旗を掲げた。幕末に勝海舟が艦長となってアメリカに渡った咸臨丸も、日の丸を掲げている。明治3年の太政官布告により現在の体裁になった。
日の丸は万物を育む太陽を意味している事は言うまでもない。また赤い色は「まごころ」を表し、誠意・進取・勇気を意味し、丸い形は円満な心と国民の団結を表す。そして白地は清浄と純潔を尊ぶわが国民性を表象していると言われる。
確かに一部の人が批判するように、日の丸や君が代を国旗・国歌と明確に規定した法律(成文法)はない。しかし同様に日本語を国語と規定した法律もないのである。これは慣習法といって、長い歴史を通じて、代々の国民が徐々に確立したもので、歴史の浅い成文法などよりもはるかに重みのあるものと言える。成文法がないからと、日の丸、君が代を受け入れないと言う人は、反対しているだけでなく、それらに替わる国旗、国歌を作り出し、法制化するよう提案するのが筋である。
(参考:「『深い泉の国』の文化学」、山内健生、展転社)
///////////// News /////////////
■アメリカ記者が感激した国 米スポーツイラストレイテッド誌
(読売新聞、3.3)
(長野五輪で)約1万人の記者が宿泊している記者村に、張り紙があった。手書きで「落とし物」とあり、クリーニング屋さんが見つけた50円玉が1枚テープで止めてあった。50円は米貨で40セント相当-届け出た人に神の祝福があらんことを! これを目にしただれもがこう言いたくなったはずだ。「何て素晴らしい国なんだ」
■おたより Ayaさんより
私は以前(高校生のころ),「日の丸」を非常に嫌っておりました.ことあることに「戦争」と結び付けられた「日の丸」は,悪の象徴だったのです.嫌う行為は,自分が「平和主義」の信奉者であることを確認する自慰行為だったと思います. 更に,なぜ戦争が嫌かといえば,他人のために戦争で死にたくないという,私欲が本当で,平和なんてどうでもよかったというのが正直なところです.主に,学校教育やマスコミ報道から得た価値観が私をこのような考えに向かわせたのですが,「自分で考える」ことをしないと,あらゆる面で同じ過ち(?)を犯しかねないことを学ぶことができました.
幸い,いろんなことに興味がある私は,「日の丸」の由来などを調べているうちにその成立の過程や戦争以外の「日の丸」の姿を知ることができました.もし,自分から学ぶ姿勢を持たなければ,誤った認識のまま嫌い続けたと思います.
また学ぶうちに戦争に結び付けられた「日の丸」の本当の姿は,家族,仲間,育った国に純真な気持ちで命を捧げた先輩方の誇りの象徴であったことも分かりました.当然一部の偽政者が,この気持ちにつけ込んで戦争を拡大したことも事実だと思います.だから「日の丸」を大事にすることと共に,先輩方の気持ちを大切にするためにも「日の丸」の戦争における別の角度の存在意味を知ることはとても大切だと思います.それは日本人の純真な他人愛の象徴なのですから...
■おたより 一市民さんより
今年も卒業式における日の丸、君が代の問題が各地において起こっている。広島県では反対派の教師と、県教委から指導を受けた校長が板ばさみとなり自殺するという痛ましい事件が起きてしまった。
広島県は地元新聞をはじめマスコミ関係が8月6日を中心に平和運動関係の記事一色になりその平和運動も旧社会党系と共産党系に分かれ、極めて政治色の強いものとなっている。
広島県の人達は、子供の頃から大抵は地元紙を読みテレビ、ラジオを聞いて育っている。
学校では、旧社会党系と共産党系の組合に属する教師が事あるごとに自分たちの考え方を子供たちに刷り込んでいる。小生も中学校のときアメリカは軍国主義でありソ連、中国は貧しい人達の見方であり、北朝鮮はみんな平等ですばらしく発展している、と20年前に教えられた。その頃は本当に自分でもそう思っていた。
先日テレビで、中高の学生にインタビューしていたが、女子高生がこう言った、「君が代は天皇の歌じゃけん」。何も知らない子供たちは自然と刷り込まれているのである。
小生は、右翼でも左翼でもない、普通の市井の日本人として、祖先からの伝統と精神を子供たちに受け継いでほしいだけである。それが世界に通用し、尊敬されることに間違いないと信じているからである。