JOG(11)「戦後思想における道徳の退廃」(抄) 小堀桂一郎
軍国主義の悪口を唱えさえすれば、それで自分は免罪される。この心理的なからくりが戦後の国民一般に及ぼした道徳的悪影響の毒というものは計り知れない。
明星大学教授・東京大学名誉教授、小堀桂一郎先生は、東京裁判が引き起こした道徳の退廃に強く警鐘をならされている。今日の思想的混迷の原点がそこにあると主張される。その主張の一部を抜粋・紹介させていただきます。[1]
先生は昭和44年東京大学教授に就任され、「『ファウスト』研究」により日本ゲーテ賞、「若き日の森鴎外」により読売文学賞(研究翻訳賞)、「宰相鈴木貫太郎」により大宅壮一ノンフィクション賞など、多数の著書・受賞があります。
■1.日本国民の分断に成功した連合国■
東京裁判史観と呼ばれる歴史観の最も顕著な特徴は、その起訴状に現れています。すなわち起訴状の冒頭には「日本の対内対外政策は犯罪的軍閥に依り支配せられ、且指導せられたり。斯る政策は重大なる世界的紛争及び侵略戦争の原因たると共に平和愛好諸国民の利益並に日本国民自身の利益の大なる毀損の原因をなせり」とこう書いてある。
つまり、ここで彼ら「連合国」或いは「アメリカの政府と指導者」は、ひと握りの軍国主義者と、これに騙されて侵略戦争という過誤を犯さしめられた国民、という対立図式を提示し、日本国民の分断を図ったということができる。そしてこの彼らの企みは見事に成功したのです。
■2.人間の弱点に乗じた誘惑的な罠■
この論法は実に巧妙に人間の弱点に乗じて誘惑的な罠を仕掛けています。国民の大半、ことに知識人に向けて、「君たちに罪はない、君たちもまた被害者なのだ。犯人はほんのほと握りの軍国主義者達である。」と呼び掛けている。この呼び掛けの効果は絶大でした。
この論法を前提にして多くの知識人たちが、所謂軍閥・軍国主義者の悪口を唱え始める。軍国主義の悪口を唱えさえすれば、それで自分は免罪される。つまり、自分は被害者の側に数えてもらうことができるわけです。この心理的なからくりが戦後の知識人層のみならず国民一般に及ぼした道徳的悪影響の毒というものは計り知れない、重大なものだったと私は考えます。
■3.道徳的無反省と他者への責任転嫁■
私が今回の題名として掲げた「戦後思想」の欠陥についてはいろいろ指摘できましょうが、私が特に克服すべきものとして挙げたいのは、この種の道徳的無反省と特に他者への責任転嫁の発想であります。
そのことが非常に顕著な形で発現したと感じたのは、昭和五十七年の夏の教科書検定誤報事件であります。全くの誤報ないし虚報に基づいて、日本の歴史教科書にあった大陸政策に関する「侵略」という記述を、検定審議会の委員、言い換えれば文部省が、「進出」と書き改めさせたというニュースが流れる。そこで中国や韓国から強い非難の声が上がる。
あの事件に際して私にとって実に嫌な感じがしたのは一部知識人の反応でした。日本人であれば中国や韓国からの非難の声は他ならぬ自分自身に向けられていると感ずべきところなのですが、その事態の厳しさにほとんど気付かずに、外国から日本に対して非難が上がると、たちまち「そうだ、そうだ、文部省は何をしている。検定審議会は何をしているのだ」というように怒鳴り始める。大半の新聞論調がそうだったように思います。
その時私は、「国民同胞」という一体の意識が根底から崩れてしまっている。それは未だに修復されていないのだということをしみじみ感じました。何らかの国際紛争が生じた場合、自分は一体日本人としてどう行動するのかということが大事なのですが、それよりも逸速く被害者と見られる側に付く。そして加害者への非難の合唱に声を合わせる。そうすれば自己の身の免罪符は手にはいるわけです。こういう知識人の処世術と申しますか、その卑怯さを本当に身に染みて、これは醜いことだと思ったのです。
■4.成功も失敗も含めて我々自身の歴史だ■
確かに日本の現代史に失敗や欠陥はあります。私が指摘した下剋上という現象もその一つです。しかし、その失敗や欠陥は国民全体の失敗であり、私たち自身の失敗です。この責任を回避することはできない。これは国民一人一人にとっての道徳問題です。この歴史に対して、まるで外敵の立場からする如くに非難攻撃を加えて、自分だけがその責任から身をかわして抜け出てしまう。
こういう不道徳な姿勢を表現しているというだけでも、歴史教科書に見られる自虐的な記述は甚だ非教育的な有害な文章ではないかと思うのです。
もし、我々が国民として祖国の歴史に何らかの反省を持つべきものならば、実はあの大衆の欲望や要求が政治上の表現を得て国の政治が大衆の要求によって左右されることになった(編者注:欧米植民地主義に刺激された一般大衆が、陸軍を後押しした)、このデモクラシーの体制にこそ再検討を加えなくてはならない。こういう反省がなされ得るとすれば、それは我が国の近代史に遡って適用してみて有効であるのみならず、現在のこの瞬間においても多分に有効であり、かつ意義あることであります。(以下略)
[参考]1. 「戦後思想との対決」、小堀桂一郎、 「日本への回帰 第23集」、社団法人国民文化研究会© 1998 [伊勢雅臣]. All rights reserved.