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JOG(20) 阪神大震災-真実は非常の時にあらわれる

 ひたすらに自衛隊を黙殺し、国家権力を縛ることが、民主主義であり、平和主義であるとする社会党的妄想が、災害に対する準備を怠らせ、被害を大きくした。

■1.温室の真の姿は?■

 阪神大震災から3年。今も街中に所々ぽっかり開いた空き地を見ると、ここでも倒壊した家の下で生き埋めとなったり、火事に焼かれて亡くなった方がいたのだな、と思う。墓地の一角には、真新しい墓がずらりと並んでいる。

 「日本は温室である」と今年の編集方針(18号)で述べたが、大震災という非常時に、温室の一角が破れた。その時に、平常時では見えなかったこの温室の真実の姿が明らかにされたのである。

■2.自衛隊出動要請:奥尻18分後、阪神4時間13分後■

 自衛隊の初期出動が遅れて被害が拡大したという批判があったが、それは事実ではない。約2万6千人の中部方面隊は地震発生から4分後の6時半には「部隊の全部を行動可能な態勢に置く」という第三種非常勤務態勢に移った。7時14分には観測用ヘリコプターが飛び立ち、自治体からの出動要請を待たずに、7時58分には阪急伊丹駅での人命救助に48人、8時20分には206人を西宮市に送っている。

 それに比して行政側の反応はあまりに鈍かった。兵庫県知事が自衛隊に出動要請したのはようやく10時であった。災害時の自衛隊派遣要請は、被災地の市町村長の求めに応じて知事が行うと決められているが、通信が途絶し、「早急に応援を要請しなくてはと考えていたが、決断に踏み切るだけの詳しい情報がなかった」と貝原知事は語っている。8時10分には逆に自衛隊側からの要請督促があったが、決断できずにいた。

 しかし自衛隊に応援を求める事自体が、それほどの「決断」なのだろうか。その2年前の北海道南西沖地震では、発生18分後に最大の被災地である奥尻島との連絡がとれないまま、北海道庁は自衛隊に派遣要請を行い、多くの人命救助を果たした。今回とまったく同じ状況である。北海道の18分と兵庫県の4時間13分との差に隠された「真実」がある。

■3.黙殺されていた自衛隊の共同訓練の呼びかけ■

 そもそも災害出動を迅速に行うには、日頃から自治体と自衛隊との間で意思の疎通を図っておく必要がある。それが出来ていれば、たとえ状況が不明でも「とにかく頼む」「よし分かった」と、あうんの呼吸で迅速な出動ができるのである。そのために多くの自治体は、毎年9月1日の防災の日に自衛隊との共同訓練を行い、日頃から密接な連携を築く努力をしている。

 ところが関西の各自治体は自衛隊が日頃から共同訓練や連絡調整を呼びかけても、「結構です」と拒否していたのである。自衛隊幹部の間では「関ヶ原を過ぎると寒くなる」という言葉があるそうだ。関ヶ原以西の関西地方の自治体とはつきあいがまったくなかったという。

■4.予測されていた被害状況■

 関西には地震がないと言われていたが、自衛隊の準備に怠りはなかった。京阪神地域で震度5~6の地震を想定して、被害状況を推定する調査書を作成している。

 それによると、特に神戸市などは木造家屋の密集している地域が多く、建物の倒壊と火災により兵庫県全体で被災者38万5千人と予測している。今回の被災者数は31万6千人であり、大災害は正確に予見されていたのである。

 さらに調査書では兵庫県の災害救助の体制が不備であることを指摘し、冬季には40万枚必要な毛布が2万3千枚しかないこと、煮炊き不要の食料備蓄がほとんどないこと、給水車や緊急病院の能力不足など、具体的な問題点を列挙している。

 自衛隊はこの調査書をすぐに関西地区の各自治体に直接持ち込み、協議を提案したが、黙殺されている。

 自衛隊の松島中部方面総監はある週刊誌とのインタビューでこう語っている。

「やるべきことは全部やって、その上でこれしかできなかったというなら、ある意味であきらめもつきます。だけどね、やることもやってなくて・・・と思うと、死んだ方に対して人間として申し訳ないと思ってしまうんです。特に人命救助というのはですね、助けに行った人間が痛切に助けてやりたいと思うんです。そして現場にいて助けてやれなかった時、さらにもう少し早く着くことができればと思える時、どうしても悔しさがこみあげてくるものなんです。」

 村山首相の「全力をつくした」という言葉のそらぞらしさと対照すべきである。

■5.温室の中でしか通用しない非武装平和の幻想■

 政府・官庁の拙劣な対応が被害を大きくしたという声が外国のマスコミからもあがり、国土庁防災局の伊藤防災調整課長が一月二十六日に、外国特派員向けに記者会見を行った。その中で地方自治体の対応遅れに対し、政府としてもっと手を打てなかったのかという質問に、伊藤課長は「自治体の意思を圧殺するのは、戦前の軍国主義復活を求めているように聞こえる」と答えた。「何千人も死んでいるのにそれでいいのか」という外人記者の声に「私は評論家の相手をしているヒマはない」と怒鳴りつけて、席を立ってしまったという。

 ひたすらに自衛隊を黙殺し、国家権力を縛ることが、民主主義であり、平和主義であるとする社会党的妄想が、中央官庁や自治体に浸透し、それが災害に対する準備を怠らせ、被害を大きくしたというのが今回の大震災の「真実」であった。

 政府の無防備・無策ぶりに「国民の命をしっかりと守らない政府なら、納税を強制されるのは不当である」という素朴な、しかし根源的な問いかけがなされた。旧社会党の主張してきた非武装平和主義とは、いざという時には国民を見殺しにする冷酷な無防備傍観主義に他ならない。阪神大震災という非常時にこの事が明らかになったのである。

■6.国民を守ったのは誰か?■

 無策の政府、自治体の代わりに人々を守ったのは、自衛隊や、企業や市民・学生ボランティアによる救援活動、それに被災者相互の助け合いであった。

 まず自衛隊の活躍を挙げなければならない。「救援物資」と大きく表示されたカーキ色の巨大なトラックが陸続と被災地に向かう様を見ると、これこそ国民を救おうという国家意思のあらわれであると、頼もしく思われた。震災発生後一週間に動員されたのは、延べ約10万5千人、2万35百車両、艦艇110隻、航空機910機にのぼった。

 区役所のガレージに泊まり込んで被災者同様の生活を続けながら、救援活動を続けている隊員もいた。ある避難場所では自衛隊の一隊が交代で去る時に、「自衛隊の皆さん、ありがとう」と大書された垂れ幕を掲げて見送った。不自由な避難生活で資材を見つけるのも大変だったはずだが、これが被災者の率直な気持ちであろう。

■7.「同じ日本人が困っている時に、、、」■

 多くの企業も迅速な救援活動を展開した。セブンーイレブンではヘリコプターやバイクを動員し、1万6千個のおにぎりと飲料水を毎日無料提供した。日頃から準備していた緊急時輸送体制が役だったという。独自のボランティアチームを組織して、現地に送り込んだ企業は枚挙にいとまがない。経団連では現地で必要な物資を加盟970社に連日のようにファックスで流し、ほとんどがその日のうちに提供の申し出が寄せられた。

 大学生など青年の活躍も見逃せない。国立神戸商船大学の白鴎寮の寮生約250人は地震発生20分後、寮自治体の号令で、実習で使う安全靴や軍手、懐中電灯を手に、壊滅状態となった近くの商店街に出動。12時間かけて百名以上の人々を倒壊した家屋から救い出した。

 被災者の救護に約3万人ものボランティアが従事したが、その半数以上は若者である。「ありがとうと言ってもらえる喜びを初めて知った」、あるいは「奉仕の意識はない。同じ日本人が困っている時に当たり前のことをやっているだけ」。こういう声が現代青年の口から出るようになったのである。

 そして世界中の人々を驚かせたのが、被災者自身の助け合いである。ボランティアの人が、ペットボトルの水を一軒一軒配っていて、二本渡そうとすると、「一本で結構、残りはほかの人に分けて下さい」と言われて、心を打たれたという。ある避難所では三百人規模で炊事や掃除を共同で行い、大学生たちは買出しを担当、中高校生は老人や幼児の世話を買ってでていた。

■8.非常時にあらわれた国家の真実の姿■

 国家とは人民を抑圧する権力機構だという捉え方があるが、それは国家の外形に過ぎない。大震災直後に現出した被災者どうしの協力、そして自衛隊員、ボランティアによる支援、こういう素朴な「助け合い」が国家が始まった時の最も原初の姿ではなかったか。そしてその根本にあるのは、「同じ日本人が困っている時に...」という同胞意識なのである。

 1月31日には天皇皇后両陛下が被災地のお見舞いをされた。米国の週刊誌タイムは泣き崩れる若い女性を優しく抱かれた皇后陛下の写真を掲載して、こう報道した。「被災地の人々は村山首相の視察には冷淡であったが、天皇皇后を希望の象徴としてお迎えした」

「国民統合の象徴」たる両陛下を「希望の象徴」としてお迎えしたというのは、同胞感に基づく国民の助け合いこそ、国家を守り、発展させていく真実の力であるからであろう。日本という温室を作り、発展させてきたのは、この力ではなかったか。

///////////// News /////////////

■関東大震災で日本軍が朝鮮人を救助

 大正12年(1923年)の関東大震災発生直後、旧日本軍がデマによる朝鮮人殺害を懸念し、二千人以上の朝鮮人を保護するとともに、希望者を朝鮮半島に送っていたことが、獨協大の中村粲教授の研究で明らかになった。

 同教授が発掘した神奈川県横須賀市の「震災復興誌」など二つの資料には、当時流布された「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマを、横須賀の旧日本軍の戒厳司令部が懸命に否定。自警団によって襲われる危険性のあった横浜、横須賀の朝鮮人を保護、治療し、自警団の武装を禁じたという「知られていない近代史」が描かれている。

 「警察や軍隊によって、何の罪もない数千人の朝鮮人が殺されました」(教育出版『社会6年下』)というような説を揺るがす反証である。(産経、12/27)

■お便り 天野徳明さんより

 今は高校生なのですが、選択の授業で社会を選択していて、その先生がほぼ同様の授業をしています。授業の最初の頃は僕も某新聞のような事実を自社のイデオロギーのもとに歪めて報道するような三流記事にだまされていて、なかなか先生の話を信じられませんでしたが、最近ではちゃんとしたメディアの助けのもとで(国際派日本人養成講座も非常に役に立っています)日本をある程度直視することができるまでになりました。

 阪神大震災は「人災」だと思います。地震が発生した場所が運悪く社会党系の基盤が強固な土地であることが「人災」を決定付けてしまった気がします。もっと迅速に自衛隊に救援要請を出していたら、もしかすると死者が半減したかもしれないのに。なんかやるせない思いです。

■編集部より

 地震の後、観念的な反自衛隊感情が払拭され、多くの自治体が自衛隊との共同防災訓練を申し入れるようになったのは、一つの成果でした。

■おたより 湯佐佐木 生雄さん(香港在住)より

 当時私はイギリスにおり、あちらの新聞からでしか情報が取れず災害の概要しか理解していなかったのですが、改めてその時のINSIDEを感じ、感動しました。地震の中で、あの歴史に残る出来事が 非常に他人事として風化しているのを、同時代の日本人として悔恨の念が拭えません。

 また OUR JAPANESE の真摯な行動には胸を打たれました。今更はじめて知る事実でした。

■編集部より

 被災者の助け合い、ボランティアの人々、自衛隊隊員諸兄の奮闘は、我々の精神的財産として心に留めおきたいものですね。

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