JOG(674) 日中戦争、日本が勝っていたら
民衆は、悪い自国軍よりも、良い「侵略軍」を選んだ
■1.『もし、日本が中国に勝っていたら』
『もし、日本が中国に勝っていたら』という論文が数年前に中国のネット上で公開され、大きな話題となった。中国人にとって、その衝撃的な内容は、以下のわずかな引用でも明らかであろう。
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20世紀を見渡したとき、中国人が真に誇るに足る唯一の慶事は、抗日戦争の勝利しかない。・・・[1,p30]
もし連合国が参戦していなければ、中国がこの戦争に勝っていた可能性はほとんどなかったし、また言い方を変えれば、もし日本が太平洋戦争を引き起こしていなければ、中国はこんな惨めな勝利さえ得られなかったかもしれないのだ。[1,p37]
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南京政府(JOG注: 日本が支持した汪兆銘政権[a])が誕生した時、日本は直ちに北平(北京)、上海、広州など各地の外国人租界の治外法権を一挙に撤廃してしまった。・・・
映画俳優のブルース・リーは、映画の中で租界の公園の入口に立つ「犬と中国人は入るべからず」の看板を怒って打ち壊し、ついでに通りすがりの日本人に一撃を食らわすというシーンを演じているのだが、あにはからんや、中国人のためにこの看板を撤去して取り除いたのは、まさにその日本人自身であったという事実を知っているのだろうか![1,p64]
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この論文の著者・趙無眠氏は、今やネット上で愛国主義者たちから攻撃の的にされ、「四大漢奸(漢民族に対する裏切り者)」の一人とされているそうだ。
趙氏のこの論文は、日本人のために日本を弁護したものではない。それよりも歴史を善悪で単純に色分けしてしまうことで、事実を見極める動機や学ぶ力を殺ぎ、ひいては国際社会の競争において自分自身を不利に陥れてしまうのではないか、と警告したものである。
趙氏の指摘は、同様に戦前の自国の行いをすべて悪だと決めつける自虐思考に染まった日本人に対する警告でもある。今回は、氏の論文から、事実を見極める態度と冷徹な論理的思考を学んでみたい。
■2.侵略されるたびに版図を広げた中国
趙氏はまず、「中国の歴史には、かつて幾度となく他民族からの侵略をうけ占領を許した過去がある」として、次のようにふり返る。
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例えば、秦朝(JOG注: 紀元前221~207年、中国の西に住んでいた遊牧民族国家)、元朝(同: 1271~1368年、モンゴル民族)、清朝(同: 1644~1912年、満洲族)である。これらのすべてが外から来た侵略者が打ち立てた王朝である。さらに隋朝、唐朝は、外来民族の末裔によって打ち立てられた王朝である。[1,p66]
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しかし皮肉にもこの事実が、結果的には中国の版図をさらに拡大し、中華民族に新たな新鮮な血液を注入するという作用を発揮したのである。
侵略される規模や征服の徹底が強ければ強いほど、中国の領土は勢い良く広がって行ったという事実は、決して中国人にとって耳に快い話ではないかもしれないのだが、それこそが、事実であったのだ。[1,p68]
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たとえば、満洲民族が漢民族を征服して清朝を開いていなかったら、彼らの郷土・満洲は今日のように中国の領土にはなっていなかったろう。同様にモンゴル民族が元朝を開いたからこそ、内モンゴルが中国の領土となった。
■3.「征伐」か「侵入」か
趙氏は、歴代の中国への侵略者の中で、日本がどのような存在だったか、について比較検討する。
弊誌としては、我が国が「侵略者」呼ばわりされることに対して抵抗感がある。日中戦争は日本が計画的に侵略戦争として仕掛けたものではなく、弊誌446号「スターリンと毛沢東が仕組んだ日中戦争」[b]で述べたように、共産主義勢力によって、国民党軍との戦いに引きずり込まれた、という事実があるからである。
しかし、この点で趙氏の定義は明確である。
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中国は、外国と戦う場合は常に「征伐」「平定」という言葉を使い、外国が中国を攻めるときには「侵入」「騒擾(そうじょう)」「侵犯」と表現してきた。
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この定義に従えば、中国軍がベトナムやチベットに攻め込むと「征伐」であり、日本軍が中国大陸で戦えば「侵略」となる。意図や善悪とは関係なく、中国内で戦う外国勢力を「侵略者」とするなら、日中戦争時の日本軍は論理的に「侵略者」となる。以下、趙氏の定義に従って、氏の主張をたどってみよう。
■4.民衆90万人を殺した国民党軍
まず、趙氏は「中国軍と日本軍、民衆にとってこのどちらも官軍になりうる存在だった」と指摘する。「官軍」とは、中国の民衆が支持する軍という意味であろう。
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もし、どちらかが殺人、強姦、放火、略奪をして人々の生活を顧みないのであれば、それが賊であり土匪(どひ)である。もし逆に民衆の生活を尊重し、友好的であれば、それが仁義の師であり官軍として映るのである。[1,p149]
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長い歴史に渡って、様々な異民族に支配されてきた中国の民衆は、漢民族の軍であれ、異民族の軍であれ、自分たちを護ってくれる軍なら、支持し、歓迎した。趙氏は以下の具体例を紹介している。[1,p153]
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1938年6月9日、日本軍の中原からの西進を阻むため、国軍(JOG注: 蒋介石の国民党軍)は河南の鄭州の東北部にある花園口で黄河を決壊させる目的で爆破を行った。堤を破った大水は、凄まじい勢いで東へと流出、歴史上最も悲惨ともいわれる大洪水となった。
河南、安徽、江蘇の3省44県・市、1万3千平方キロメートルが水没し、被害人口1250余万人のうち390万人以上が行方不明、90万人が死亡するという惨事は、損害額の総額が大きすぎて計算できないほどの規模に達したのだった。
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趙氏は「南京大虐殺30万人」という中国のプロパガンダ[c,d]をそのまま信じているようだが、それと比べても3倍の犠牲者を自国の軍隊が出しているのである。
■5.民衆は、悪い自国軍よりも、良い「侵略軍」を選んだ
一方、日本軍の方はどうだったのか。
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近年、中国で流行った歌がある。その歌詞には、「天地の間には秤(竿秤)がある。その秤の分銅は民衆」とうたわれている。両軍対峙するなかで、中国軍は民衆を飢餓に追いやり、彼らが必死に餓死と戦っているとき、相変わらず重い挑発をして少しもかえりみなかった。しかし日本軍は、この機に乗じて人心を掌握し、軍糧を放出して分け与えた。
中国軍は駐屯地から周囲十数里に及ぶ農作地を蹂躙し、村に侵入しすべてを奪い、少しでも不満があれば武力に訴え、民間の力を強制的に濫用し、恨みの声が街に溢れるなかで多くの家庭が生活を奪われた。
一方で隣の日本軍は、現金で人を雇い道路をつくり、農民から奪うこともなく、小さな施しを忘れなかった。
こんな状況下では、秤が侵略者のほうに傾くのは当然であり、いくら「民族の大義」「愛国情操」といっても、生命の維持に欠かせないものがあり、秤にかければとても足りないのである。[1,p148]
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その結果、民衆は日本軍にどのような態度をとったか。
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1942年から43年春、日本軍が河南に侵攻したとき、当地の住民は自ら道案内をかってでるだけでなく、中国軍が武装解除する手伝いまでしたという。この一戦だけで、5万人の中国兵が自国の住民によって武装解除させられたのである。[1,p148]
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民衆は、悪い自国軍よりも、良い「侵略軍」を支持したのである。
■6.「侵略軍」の「業績」
趙氏は、「侵略者」が占領後に民衆にとってどのような統治をしたか、をも評価しなければならないとする。たとえば、清朝の発祥地で、未開の原野だった満洲は、日本の統治でどう変わったか。
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しかし、日本が降伏したときには東北部(JOG注:漢民族が満洲を自国の領土の一部であるかのように見なして、こう呼ぶ)はすでに重工業の集積地とさえ言われるほどであった。そのことは数字の上から見ても明らかで、単に全中国の重工業の80%を占めるだけでなく、質的にも最高レベルの産業基地へと変貌を遂げていたのである。
ソ連の紅軍が東北を「解放」したとき、彼らは無数の工業設備を解体し、持ち去ってしまったのだが、それでも東北全域に張りめぐらされた鉄道路線はどうすることもできなかった。この鉄道網の密度は、いまもなお中国で最も充実しているほどである。[1,p116]
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日本は満洲に膨大な産業投資、開発投資を行った。そのために満洲は、たとえば超特急「あじあ号」が時速150キロ、日本国内の2倍以上のスピードで走る先進工業国家となった。満洲での豊かで安定した生活を求めて、毎年100万人以上の中国人がなだれ込んでいった。中国民衆の「秤」は、あきらかに日本統治を良しとしていたのである。[e]
■7.日本の占領区では学生倍増
中国本土の占領期間はさらに短かったが、それでも顕著な進歩があった、と趙氏は指摘する。
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8年にわたる抗日戦争中に、最も早く日本の手に落ちた北平(北京)を例に取れば、日本の敗戦が決まったとき、多くの著名な大学の設備も図書の数も非常に充実していた。
抗日戦争前の1936年、中国の高等学校の数は108校しかなかったが、1945年の終戦時には、高等学校は141校になっていた。高等学校の教師も7560人から1万1183人、学生は4万1922人から8万3984人へと倍増していたのである。
たくさんの新しい大学-上海交通大学や上海医学院、ドイツ医学院、雷士徳工学院、上海商学院、上海音楽院など抗日戦争勝利後に政府によって取り潰された6つの偽学校-も被占領区で設立された。[1,p118]
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趙氏は、こうした日本人の「業績」は日本軍の「侵略」による破壊を相殺するものではない、としているが、「外国からの侵略軍はすべて悪である」という固定観念から離れて、その「業績」を見れば、日本の「侵略軍」は中国の「自国軍」よりもましな面があったと指摘しているのである。
■8.日本が中国を支配していたら
ここまでは日本人にとっも、聞きやすい内容だが、趙氏の冷徹な思考はさらにその先を行く。良き「侵略軍」である日本が中国に勝って、全土を長期間、占領していたら、どうなったのか。
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歴代の侵略者たちは常に武力により中国を征服してきたが、一方では中国の文化によって逆に征服されてしまうのだ。[1,p84]
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チンギス・ハーンは中国を含め、アジア・ヨーロッパ大陸を征服したが、その後、モンゴル族は「中国のモンゴル族」となった。同様に、中国を征服して清朝を打ち立てた満洲族も、いまや中国に吸収されて、民族としては消えようとしている。
狩猟民族で独自の文字を使うモンゴル族や満洲族に比べれば、農耕民族で漢字も使う日本人ははるかに中国人に近い。趙氏は、主要な侵略者の中で、日本人は最も中国文化に近い民族だった、と断言する。それだけ、中国文化に吸収されてしまう可能性が高かった。
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日本が最初に占領した満洲国の状況を見れば、日本から移住した人々が非常にすばやく中国化したことがよく分かるはずだ。・・・
日本が東北部をコントロールしたのはほんの十数年に過ぎないが、日本が敗戦したときには、ほとんどの日本からの満洲移民は中国語を話すことができ、大陸生活にも馴染み、一部の服装や食習慣を除けば、ほとんど中国人と変わらない生活をしていたのだった。[1,p83]
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日本が勝っていれば、中国に日本人が数百万人単位で移住し、その働きによって、中国全土が満洲のように速やかに近代化されていったであろう。同時に移住した日本人は急速に中国人と化していく。
となれば、中国は今よりもはるかに高度な技術と経済を持っていたはずで、その宗主国たる日本は、逆に中国の一部、あるいは属国となり、「中国の日本族」になっていたであろう。それはかつてのモンゴル族や満洲族が辿った悲劇である。
そういう意味では、我が国が中国大陸から早めに引き揚げられた事は不幸中の幸いであった。あくまで中国は海を隔て、適当な距離を置いて付き合うべき隣国である。趙氏の冷徹な思考を、日本の視点から辿ってみれば、これが論理的な帰結となる。
(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(140) 汪兆銘~革命未だ成功せず
売国奴の汚名を着ても、汪兆銘は日中和平に賭けた。中国の国民の幸せのために。
b. JOG(446) スターリンと毛沢東が仕組んだ日中戦争
スターリンはソ連防衛のために、毛沢東は政権奪取のために、蒋介石と日本軍が戦うよう仕組んだ。
c. JOG(079) 事実と論理の力
南京事件をめぐる徹底的な学問的検証、あらわる。
d. JOG(455) 「南京大虐殺」の創作者たち
中国の中央宣伝部に協力した欧米人記者
e. JOG(239) 満洲 ~ 幻の先進工業国家
傀儡国家、偽満洲国などと罵倒される満洲国に年間百万人以上の中国人がなだれ込んだ理由は?
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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1. 趙無眠『もし、日本が中国に勝っていたら』★★★、文春新書、H19
■「日中戦争、日本が勝っていたら」に寄せられたおたより
■豊さんより
征服民族が被征服民族の文化に同化すると言うのは歴史上広く見られる現象で、武力では劣っていても文化的には征服された方が格段に優れている証左であろう。また文化的な遅れを取り戻すために自己固有の文化を捨てて上位の文化に同化すると言う英断を行ったからこそ征服王朝がある程度の期間繁栄したとも言えのではないか。
中国がかつてアジア最進の文明国家であり、世界有数の高度文明社会であったことは事実だ。しかし、それはせいぜい唐の時代までで、それ以降文明と言う点では殆ど見るべきものはない。
とくに元以降は文明度は衰退し、旧態然とした社会で惰眠をむさぼった結果、世界の進歩の取り残され、先進諸国の植民地と化した。第二次大戦後共産党が政権を握ったが、その政治手法は極めて後進的であり、近代的な意味での民主的な国民国家を未だに作り得ていない。
世界は中国の急速な経済発展に幻惑されているが、経済が好調な間はあらゆる社会的な不調和が表面化することがない。しかし、いずれ高度成長も限界を迎えるが、そのときに中国社会が極端な富と権力の格差に気付き、その不満は共産党に向かう事は明白だ。
本当の意味での議会制も法治も未だ存在しない中国が経済力と軍事力だけを伸ばすことは隣国にとっては憂鬱な話だ。未成熟な国が不相応に大きな力を持つことは子供に銃を持たせるのと同じで危険極まりない。
中国人が自国の経済力に過剰な自信を持ち、経済が複雑なネットワーク関係で世界中の国と密接に結びついており、他国との円滑な外交関係なしでは中国の発展もあり得ないと言う事実を認識しないでとんでもない行動に出る危険性はある。
歴史を見ると遅れて歴史の表舞台に立った国が問題を起こしている。かつてのドイツがそうであり、アジアでは日本もそうだった。その意味で現代社会へ遅れて登場した中国が世界の安定をかき回す危険性は非常に高いと言わざるを得ない。その中国とどう付き合うか日本人の歴史観や価値観が試される場面であろう。
■編集長・伊勢雅臣より
中国と付き合うには、こちらの歴史観、価値観をきちんと持たねばなりません。