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JOG(8) Intellectual Honesty(知的誠実さ)

 大江健三郎は昔の北朝鮮賛美を今、どう反省しているのか?


■1.北朝鮮の日本人妻里帰り■

 北朝鮮との間で、日本人妻里帰り問題の交渉が進んでいる。(他の国へ行った日本人妻ならパスポート一つで自由に帰国できるのに、この程度の事を恩着せがましく政治カードとして使えるというのは、やはり北朝鮮の外交手腕は世界一流だ。こういう「メジャーリーグ」級外交官を何人かスカウトして日朝交渉にあてれば、、、おっと、失礼、冒頭から脇道にそれてしまった!)

 実は、これら日本人妻たちは、当時のマスコミの「北朝鮮礼賛報道」の犠牲者なのである。朝日新聞の当時の記事が、最近の月刊誌に紹介された。[1]

「どこを見てもみんな実によく働いている。第二次帰還船の帰還者を乗せて清津に、入港したとき、港に近い製鉄所から溶鉱炉の赤い火が高く上がっていた。あのほのおは帰還者歓迎のタイマツですと出迎えの若い学生はいった。」(昭和24年12月27日付)

 本年9月10日の朝日新聞社説「里帰りを静かに迎えよう」と比較
してみよう。

「北朝鮮に渡った在日朝鮮人の多くは、戦前日本に徴用され、戦後は生活不安と差別に苦しむ人々だった。そうした背景に十分目を向けないで、希望者は帰国する方がむしろ彼らのしあわせにつながる、というのが、当時の空気だった。」

 朝日新聞自体が「当時の空気」を作った側であったという事は頬かむりしている。

■2.Intellectual Honesty(知的誠実さ)■

 自らの思想と言論に責任を持ち、間違っていたら、きちんとそれを認め、出来る限りの事をする、こういう姿勢を、IntellectualHonesty(知的誠実さ)と呼ぶ。朝日の態度は、まさにこの逆、Intellectual Dishonesty(知的不誠実)と言える。

 知的誠実さに欠ける人間は、自分の思想的誤りを自分に対してもごまかしてしまうため、いつまで経っても、その思想が深化しない。同じ過ちを何度でも繰り返す。国際派日本人として活躍するためには、Intellectual Honesty が、不可欠の資質である。

 北朝鮮をめぐって、Intellectual Honesty において対照的な姿勢を示した二人の人物を以下にご紹介したい。

■3.「帰るべき朝鮮がない」大江健三郎氏■

 まず Dishonesty の例は、ノーベル文学賞に輝いた大江健三郎氏である。

 結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、スウィッチをいれる、画像があらわれる。そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。

このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というようなとりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。[2]

 現在の北朝鮮の飢餓地獄しか知らない若い人々には、「自分には帰るべき朝鮮がない」と嘆く大江氏の感慨は、想像を絶しているだろう。しかし共産主義を理想とする人々の間では、北朝鮮がさかんに「地上の楽園」として宣伝されていた時期があったのである。

■4.希望に満ちた北朝鮮の青年■

 北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と握手している写真があった。ぼくらは、いわゆる共産圏の青年対策の宣伝性にたいして小姑的な敏感さをもつが、それにしてもあの写真は感動的であり、ぼくはそこに希望にみちて自分およぴ自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見た。

 逆に、日本よりも徹底的に弱い条件で米軍駐留をよぎなくされている南朝鮮の青年が熱情をこめてこの北朝鮮送還阻止のデモをおこなっている写真もあった。ぼくはこの青年たちの内部における希望の屈折のしめっぽさについてまた深い感慨をいだかずにはいられない。北朝鮮の青年の未来と希望の純一さを、もっともうたがい、もっとも嘲笑するものらが、南朝鮮の希望
にみちた青年たちだろう、ということはぼくに苦渋の味をあじあわせる。

 日本の青年にとって現実は、南朝鮮の青年のそれのようには、うしろ向きに閉ざされていない。しかし日本の青年にとって未来は、北朝鮮の青年のそれのようにまっすぐ前向きに方向づけられているのでない。[3]

■5.北朝鮮の惨状を大江氏はどう考えているのか?■

 残念ながら、「北朝鮮の青年の未来と希望の純一さ」は、「南朝鮮」の青年達が疑い、嘲笑したように、今日の破局の中に失われてしまった。大江氏がこれだけ思い入れをした「老いた美しい朝鮮の婦人」や、「希望にみちて自分およぴ自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年」達は、今や住む家も洪水に流され、食べ物も自由も希望もなく、ただ餓死を待っているであろう。

 そうした北朝鮮の惨状について、大江氏はどう考えているのだろうか。大江氏が昔の自分の文章を覚えているなら、自らの不明を恥じて、読者にお詫びをするとともに、自分の見通しがなぜ間違ったのか、思想的にきちんとした反省をしなければならない。それをしないこの人は言論人としての資格はない。将来も、また同じような過ちを繰り返すのみである。

 また上記の熱のこもった文章が、単なる共産主義かぶれの若気の至りではなく、北朝鮮の人々への真実の思い入れだとしたら、自ら率先して、北朝鮮救援活動を始めるか、ノーベル賞の賞金を北朝鮮救済の資金として提供する位の事はあっても良いのではないか。大江氏は、昨年は米国プリンストン大学で静かな研究生活を送ったようだが、現在は別の意味で「帰るべき朝鮮がない」のだろうか。要はつねに人事なのだろうか。

■6.あいまいなのは?■

 大江健三郎氏は、「あいまいな日本の私」と題したノーベル賞記念講演をストックホルムで行った。そこには次のような一節がある。

 広島、長崎の、人類がこうむった最初の核攻撃の死者たち、放射能障害を背負う生存者と二世たちが--それは日本人にとどまらず、朝鮮語を母国語とする多くの人びとをふくんでいますが-ー、われわれのモラルを問いかけているのでもありました。[4]

「核攻撃の犠牲者たる日本人が、なにか特別のモラルを持たなければいけないそうだ。投下した者のモラルは問わないわけである。」とは、谷沢永一氏の評である。これが国際常識であって、大江氏のもってまわった言い方と、その非常識な内容とでは、聴講者は何を言っているのか、分からなかったであろう。内容は単に50年前の東京裁判史観とマルクス主義史観であり、その後の歴史学の進歩などは、まったく省みられていない。

 大江氏の思想は、1950年代の冷戦時代から一向に深化していない。それがそのまま化石のように残されているのは、本人のIntellectual Dishonesty と、それを覆い隠すもってまわったあいまいな文体の故である。この講演は「あいまいな日本の私」よりも「日本のあいまいな私」と題すべきものであった。

■7.佐藤勝巳氏のIntellectual Honesty■

 大江氏と見事に対照的な姿勢を示したのが、現代コリア研究所長の佐藤勝巳氏である。佐藤氏はかつて日本共産党の活動家で、在日朝鮮人の帰国運動を支援していた。しかし、帰国者の多くが日本に残った親戚に生活物資を送るよう依頼してきたり、北朝鮮の厳しい現実を伝えてきて、次第に「地上の楽園」という宣伝文句が嘘である事に気がついた。

 佐藤氏は自分が騙されて、多くの人々を北朝鮮に送り込んだ事に責任を感じ、以後、北朝鮮の内部情勢に関する調査分析に全力をあげる。今日の我々が以前とは比較にならないほど、北朝鮮に関する詳細な情報と客観的な分析を入手できるのも、佐藤氏の貢献が大きい。佐藤氏は日本の朝鮮総連からの送金が北朝鮮の国家財政を支えていることを明らかにし、この問題に関して米国政府からも情報提供の依頼を受けたほどである。また北朝鮮に拉致された日本人の救援のために積極的な支援活動を展開されている。

 佐藤氏の、自分が北朝鮮に騙され、その結果、多くの人を不幸にしてしまった、という痛切な反省が、今日の氏の多大な社会的貢献の基盤になっているのである。Intellectual Honesty の見事な例と言うべきである。

■8.若いうちから、Intellectual Honesty を磨くべし■

 人間なら誰しも考え誤りがあっても不思議ではない。大事な事は、誤りに気がついたときに、それを自分や他人からごまかさずに直視し、すみやかに誤りを正すとともに、なぜ自分がそういう誤りを犯したのか、きちんと分析することである。国際派日本人として、若い頃からこういう Intellectual Honesty を身につければ、将来大きな舞台に立った時に、そうひどい誤りは犯さないであろう。大江氏のようにスウェーデンまで行って、国際的な檜舞台でとんちんかんな事を言うような愚は避けられるであろう。Intellectual Dis-
honesty の例は、大江氏に以外にも少なくない。以下に代表的な例を挙げるので、他山の石としていただきたい。

1)旧社会党の人々は、日米安保条約に反対し、自衛隊を違憲とし、PKOにも反対したが、現在は与党としてすべて賛成しているようだ。この態度の変化に関して、どのような総括がなされている
のだろうか。

2)朝日新聞は、戦前は体制翼賛記事を書き、戦後は一転して、「日本軍国主義」非難を繰り返しているようだが、この間にどのような総括を行われたのだろう。(「常に儲かるように記事を書く」
という方針なら、見事に一貫しているとも考えられるが。)

3)中国政府は、文化大革命、天安門事件など、数々の内政上の失敗を繰り返したが、現在は「社会主義的市場経済」という考えに転換し、自由化による経済成長を追求している。この間に過去の失政に関してどのような総括がなされたのだろうか。

[参考]
1. 日本人妻里帰り『帰国』礼賛者たちの罪と罰、宮塚利雄、
  「諸君」平成9年11月号
2. わがテレビ体験、大江健三郎、「群像」(昭三十六年三月号)
3. 二十歳の日本人、大江健三郎、「厳粛な綱渡り」
  (文芸春秋社)
4. あいまいな日本の私、大江健三郎、岩波新書
  (2,3,4は、「こんな日本に誰がした」、谷沢永一、クレスト  社,より引用)
5. 北朝鮮崩壊と日本、長谷川慶太郎、佐藤勝巳、光文社カッパビジネス

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