【無料公開】日本の唱歌童謡史講座「第4章 芸術文化人からの反抗、童謡運動とは」
第4章 芸術文化人からの反抗、童謡運動とは
前章までで日本の唱歌というジャンルが確立されるまでを解説した訳ですが、ここまで見てきたとおり、唱歌というものは、良くも悪くも真面目で優等生的で、説教くさいものとも思われるようになりました。又、政情が反映された国民教育の手段のひとつともされたことで、芸術文化人たちはそれらに反発し「もっと芸術として価値の高い音楽を子供に与えるべき」と考える人たちが登場してきました。
その先頭を切ったのが児童文芸誌「赤い鳥」の創刊者、鈴木三重吉(18