見出し画像

「中心市街地アンケート」に寄せた私の意見

いわき市がこんなアンケートをやってました。

「平地区中心市街地に関するアンケート」

平というのは、いわき駅前に広がる、いわき市の中心部で
城跡があったり、行政機能や、図書館や美術館などの文化施設なども集まる場所です。

まあ、そこの駅前は、よくある地方都市の中心市街地で、寂れっぷりが半端ない。再開発ビルなんかもつくったりはするけど、なかなか人が来たいと思える魅力をつくる所まではいきませんね。

今回は、そのアンケートの自由記述欄に書いた、私なりの中心市街地活性化のポイントです。

こういう公式な機会に意見をいうと、意外と行政も無視できないので政策に反映したりということがあるので、結構まじめに毎度パブコメやらは出すようにしてます。何も言わないと、現状に満足してると思われて何もしてもらえませんからね。

いつも言ってるようなことも含まれますので、また言ってるなあというところはサラッと読み飛ばしてください笑

以下、本文です。

■広すぎる中心市街地の設定に、歩ける半径200mの重点エリアを決めることから

平地区の中心市街地は、設定が広すぎるのが、まずは問題です。いったい何ヘクタールあるのでしょうか。徒歩で端から端まで移動する人はまずいないでしょう。大きな商業施設を取りこぼさない範囲設定だったのでしょうが、必要なのは、その中での選択と集中です。全部を同時に公平に開発するなんてことは無理ですし、実際は多く含まれる住宅エリアに活性化の優先順位は低いでしょう。

まずは「半径200mでの本当に歩ける範囲」での重点的に変えていくエリアやストリートをいくつか設定する必要があるのではと思います。そのエリアごとのビジョンや活性化の道筋を、該当するエリアの住民や商業者などの地権者と個別でつくることが必要ではないでしょうか。平地区の中心市街地活性化基本計画は、「大きすぎる範囲」の中での「小さな点」でバラバラに事業者がやりたい事業をやっているだけで、「歩ける範囲のエリア」に集中して変えていくことを意識した計画が薄いのが問題だと思います。歩ける範囲で数多くの変化が連鎖的に起こるからこそ、一体的に魅力がある、歩いて楽しいまちなかになっていくのだと思います。

その上で、官民それぞれに役割がありますが、今回は、行政に期待する役割を書いていきます。

■行政に期待する役割

行政は、公共空間の利活用を通して、民間の投資を呼び込める「まちの土台」をつくることが役割だと考えています。道路(車道や歩道)、公園、広場、などが魅力的で人が滞留できるベンチや木陰などがある「居場所」になっていれば、その周りの不動産の価値は上がっていきます。人が集まる公園の周りでは、空き店舗にはテナントが入り、駐車場にはお店が建ちます。このようなまちの変化を起こす可能性が公共空間にはあります。

しかし、現実的には、維持管理や安全が優先され、規制やルールでがんじがらめになり、公共空間は、放っておくと「誰も使わない」「何もない」方向に進んでいってしまいます。その方が短期的には楽だからです。

しかし、行政には、目先の維持管理だけではない、まちを経営する感覚が必要です。公共空間からまちを変革することで、民間投資を呼び込み、経済を活性化し、固定資産税や住民税を獲得していく。本来は、そうした一連の流れが、行政が行えるまちづくりですが、「維持管理」を優先してしまうのは、維持管理をする部署に公共空間の権限をすべて渡してしまっているからです。しかも、道路も公園も河川も何もかも、それぞれ別の部署が管轄しています。そこを、きちんと経営視点を持ってコントロールし横串を刺す、「まちづくりの思想や専門部署」があっても良いのではと思います。維持管理の視点では公共空間は「コスト」ですが、まちづくりの視点では「投資」になりえます。

公共空間は、まちの面積の50%にもなると言われています。行政は、一番のまちの大地主です。そこを効果的に運用することで、まちを大きく変えることができます。行政にできることは、「民間の後押しだけ」のように錯覚して、空き店舗を埋めるとか、事業者を育てるなどをしても、それは持てる力の半分しか使えていません。

民を主体してその背中を直接押すことも大事なことですが、行政だからことできる本当に効果的な役割は、行政が主体となって行える公共空間の柔軟な運用や使い方・ルールの変更です。これは民間には不可能なことです。使いやすい人が集まる魅力的な公共空間ができると、事業者は「勝手に」出てきますし、空き店舗は「勝手に」埋まります。まちに事業者が事業をしたいと思える状況をつくることが大事なのです。その魅力がまちにないまま、いくら事業者の背中を押そうとしても効果は薄いでしょう。事業者もいないわけではなく、駅前が選ばれていないだけなのです。公共空間を変えることは、行政ができる一番のまちの商業振興策にもなりえます。

ここからは、いわき駅前の個別の公共空間について、改善のアイディアを書いていきます。

■タクシープール(多目的広場)

事実上、客待ちタクシーに独占させてしまっていますが、まちの一等地の市民の財産を、民間タクシー会社が占有できる合理的な理由は、今後の時代でもどこまであるでしょうか。百歩譲って交通手段の一つとしてタクシーが必要だとしても、オンデマンドサービスも充実してくる昨今、あれほどの面積を「待機」のために確保しなくとも、最低限3台分もあれば、あとは、必要に応じて別の場所から「配車」してくる運用はできるのではと思います。

近年の人が集まる日本の都市の駅前は、「車から人」の空間に変わっていっています。姫路、流山などを見ても、駅前広場は、本当に「人のための場所」としてつくられています。イベントのときにだけ、苦労してタクシー会社と交渉して代替え地や警備員を用意しないと、広場として人が使えないのでは、本当の意味では広場とは言い難いと思います。

広場というなら、人が座れたり佇んだりできる設えが大事です。どうぞ誰でもご自由に使ってくださいと多目的を謳ってベンチのひとつもないのは、結果誰のためにもなっていないのと同じです。どのような人にどのように使ってほしいのかから見直すべきかと思います。

そして、目指す広場を中心としたエリアのビジョンが見えてきたら、そうなるようにタクシーの待機列を1列ずつ減らして広場を拡張するような社会実験を重ねながら合意形成を進めていけばいいと思います。タクシー待機列が減って日常的に使える気持ちのいい広場が増えることに市民の反対はまず起きないでしょう。そうして賛同を得ていけば、タクシー会社にだけ広場を占有させている理由はないことに市民もみな気づくでしょう。

単に、ビジョンもなくキッチンカーが置けるようにしただけで満足しては、まちに効果のある変化はつくれません。社会実験は、目指すまちのビジョンに向けた小さなアクションでなくてはなりません。

■道路空間と駐車場の問題

いわき駅前の最大の問題は、自家用車への対応を誤ってきたことです。駐車場を各地主がバラバラにつくっていった結果、店と店の間は駐車場になり、まちの連続性が失われていきました。歩ける範囲にコンテンツが集積していることが最大の売りだった中心市街地は、今や車なしでは目的地間を移動したくもない、歩くに値しない場所になってしまいました。車で店に来てくれるようにとやったことが、まちの魅力を破壊し続けてしまいました。

店の前まで車で行きやすい駐車場が沢山あるという条件は、郊外にはどうやっても適いません。この状況を小さなエリアからでもいいので、歩ける集積の密度とつくり直していかないといけません。それが中心部再生の本質だと思います。

そのとき、道路の在り方は、大きな影響を与えます。今、世界中で、中心部の道路の歩行者専用化が進んでいます。ニューヨークのタイムズスクエアでは、歩行者専用化によって周辺のテナント料は3倍にまでと上昇したようです。道路の在り方が、歩行者を増やし、周辺不動産のニーズを上げ、地価を上げるのです。先の公園の話と同様です。

郊外のイオンになぜ人が集まるかと言えば、コンテンツに大した魅力はなくとも、駐車場を降りれば、その先に安全で快適な歩行者専用空間と密度のある商業集積地が広がっていて、なんとなくブラブラ歩きたいというニーズに応えているからです。実際の街よりもイオンの方が街らしいというのは皮肉なものです。

地方都市のいわきで、いきなり車なしでも公共交通で中心部に快適に来られるようにするのは難しいです。自家用車での移動はしばらくは担保しないといけない。なので、まずは、自動車交通を制限し歩行者専用空間化をする小さな密度高いエリアと、その歩ける範囲に駐車場を集約していくのが目標になろうかと思います。

こういう話をすると、自分のコインパーキングに客が入れなくなるなどと言って反対する地権者も出るでしょう。しかし、駐車場になっているのは、積極的に駐車場にしたわけではなく、駐車場しか選択肢がなかったからなはずです。もう一度、まちに人が戻るビジョンと、それに伴い地価が上がり儲かることが分かれば、反対する理由もなくなります。

個別でつくる駐車場が、まちを破壊し続けると、駐車場は目的地ではないので、最後は駐車場のニーズすらなくなります。広大な駐車場しかないまちには、人は来ません。そうなる前に、まちをエリアとして再生するビジョンをつくらないといけません。

ちなみに、道路を通る自動車は、実はそのエリアには用事のない通り抜け目的の「通過交通」ばかりです。そこを整理して、本当に用事のある人や住人などに交通を絞るだけで、歩行者優先の道になります。

要は、店舗を集積をさせる歩行者優先の道と、駐車場がある自動車を通す道のメリハリが大事なのです。それを全ての道路で、車での通過交通を許し、駐車場もつくってしまえるから、今の低密度なまちになってしまうのです。

民間としては、各事業者が、まちに訪れたいと思えるような魅力あるコンテンツを磨く努力は必要です。しかし、大きなまちの構造として、駐車場が集約化されていて、そこからは安全快適な歩行者専用空間が広がっているという構造にまで合意形成をして実行するのは容易ではありません。ぜひ、行政も、まちの再生には、道路の構造から見直す必要性があることを認識して、機運醸成からサポートして頂きたいものです。

歩行者専用道路化までのステップとして、車線を減らしたり、車を時間で規制したり、歩道上での活動へのハードルを下げたりと、小さな制度やルールの見直しでの社会実験やスモールステップも可能です。そうした小さな変化をつくることから、大きな変化への機運をつくっていくのが、世界の都市でも行われていることです。

 道路の歩行者空間化や駐車場の集約化とともに、次の段階では、自家用車以外の手段でのまちへの来訪をする交通システムも重要です。中心部の空間は有限で高価ですので、すべての来訪を車で行えるほどの駐車場スペースは到底確保できませんので、なるべく自家用車じゃなくても行ける場所にならないといけません。まちの魅力が上がり、人が訪れるようになれば、公共交通を充実させることも可能になるはずです。

■新川緑地の可能性

ウォーカブルシティを目指したときに、街中にある緑は、見た目の癒し効果や、夏の日陰などとして重要です。そんな中、すでに歩行者専用空間化され、緑がある新川緑地の沿道は、中心市街地部分では、今はあまり有効活用されているとは言えませんが、大きな可能性があると思います。ただ一つ残念なのは、一部が公営駐車場化されてしまい、連続性が失われていることです。無料の公営駐車場は大量に周辺にあるので、貴重な中心市街地のウォーカブルゾーンとして、今からでも歩行者専用の緑道に戻すべきではないかと思います。そうすると、沿道への民間投資をもっと呼び込むことも可能ではないかと思います。

■最後に
駅前の公共空間には、駅のコンコース、ペデストリアンデッキやバスターミナル、など、個別にまだまだ言いたいことはあります。しかし、多くは、「交通」という単一の目的のためにつくっていて、「通過するしかない」のが問題です。そこには人の居場所も何かが起こる余白もありません。そして、維持管理優先で、人や活動を排除しするような制度運用をして、良くも悪くも何も起きないことを是としてるから、今のような状況が生まれています。そういった公共空間の在り方をぜひ見直してほしいなと思っております。

公共空間の在り方から、中心市街地再生への意見を書かせて頂きました。長文をお読み頂きありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!