怪物の夢に関する記録



怪物の夢に関する記録

 十二月十日、と、私であるように思われる何者かは書いた気がする。

 状況から判断するとそういう事になるが、書いた覚えはない。私は(否定する根拠がないので仮にとするが)、ここに独りでいる。ここは部屋で、私は書き物机を前にして椅子に座っている。目の前の壁には風景写真入りのカレンダーが掛かっているが、風景は見知らぬもので、「鰭島ひれしま異客まれびと海岸」と右下の隅に印字されている。手前に白い砂浜、波打ち際に卓と二脚の椅子、その向こうに青い海と空がある。満ち潮なのか、卓と椅子の脚先が海水に浸かっている。風景の中には誰もいない。写真の下に十二月の日付を表わす数字が並んでいる。十日のところにだけ、数字を囲むように青いインクのペンで印が付けられていて、強い筆圧で何度もなぞった痕跡がある。部屋は長方形で、床には敷物の類いがなく、暗褐色の板が張られている。部屋の長さは私の歩幅で六歩半、幅は四歩というところか。高さは背丈の倍はありそうだ。短辺の一方には金属で出来ているらしい銀色の扉が二つあり、どちらも閉まっていて、もう一方にはガラス窓があり、開ける事は出来ないが、ここが霧に浮かぶ塔の群れを見下ろす恐ろしく高い建物の一室である事が分かる。身体を仰向けに横たえた時に窓が右の方になる向きにベッドが配置されている。シーツは深い海の青色をしている。深い海を知らなくても不思議とそんな感じがする色で、壁と天井も同じような青色だ。ベッドの左右にはガラス天板の小さな卓が一つずつあり、それぞれ、青いシェードのランプが置かれている。ベッドの黒革のヘッドボードが寄せられている長辺の反対側、扉から見て左の壁際には、扉の近くに、曲線が排されたデザインのマホガニー材の衣装箪笥、その隣に、全身が映る大きな姿見、茶色い革の旅行用トランク、そして、恐らく衣装箪笥と同工の書き物机と椅子がある。机の直ぐ右は窓だ。

 それ・・は書き物机の上に広げられている。それ・・について理解するのは困難だ。どこが始まりでどこが終わりか分からないだろう。――

 私は目を覚ましただろう(私が目覚めたかどうかは実際のところひどく曖昧で、もしかするとまだ夢の中にいるのではないだろうか)。カーテンは閉まっていたかも知れない。ベッドの右脇の卓に手を伸ばしてランプを点け、眠りに就く前に手首から外してそこに置いた腕時計を手に取ったに違いない。長短針に加えて三時の位置に日付窓があり、それらが表わしている日時を正確に記憶に留めただろう、十日の七時三分、と。動いているのを確かめるために耳に近付けると、内部の機構は規則正しい律動を刻んでいたかも知れない。卓の上の、つい今し方まで腕時計があった場所を見慣れぬ、と言っても、それ・・自体はありふれた物体が占めているのに気付いたに違いない。腕時計を取り上げた時は目に入らなかっただろう。分厚い埃の層に覆われたそれ・・の表面の、そこだけ刳り貫いたように埃が堆積していない部分の形は鍵と鍵穴みたく腕時計と一致したかも知れない。同じ関係が、それ・・を持ち上げた時に卓とそれ・・との間に見出だされたに違いない。埃の量から一日二日どころではなく、かなり長い間腕時計もそれ・・も動かされずに卓の上にあっただろう、そんなにも長く眠っていたのか、そもそも眠る前に腕時計をそれ・・の上に置いたのは確かなのか。ベッドから起き上がり、卓と同程度の埃が積もった書き物机の前に座ったかも知れない。それ・・は一冊のノートブックで、表紙は灰色、いや、深い海の青色をしていたに違いない。カーテン越しに差し込んだ光が部屋中の青にぶつかりながらその青を吸い取るうちに少しずつ濃い青になって反射し、ノートブックを照らしていただろう。その深い海の青色が遠くで生まれるうねりのようにうねっていたとしたら、それはカーテンの向こう側で雲が時折太陽を隠していたからかも知れないし、あるいは、濃淡が異なる数種類の青い糸で織られたうねり柄のカーテン自体がゆったりとうねっていたからかも知れない。ノートブックの表紙には見慣れた筆跡で(些細な事だが、重要な点だ)、「怪物の夢に関する記録」と書いてあったに違いない、その下に、「J・K」と、執筆者のイニシャルらしきものも。その件に関しては情報を持っていない事もなかっただろう(時系列が多少混乱しているものの)。写真入りの職員証がそれで、職員証には氏名(イニシャルはJ・K)、職員番号、交付年月日の他に、「上記の者は鰭島ひれしま海洋生物研究所の職員である事を証明する」という文言があり、スタンプが捺されていたかも知れない。恐らく書き物机の抽斗の中にしまわれていたに違いない、ショルダー・ホルスターに収まったハンドガンや、鰭島ひれしま行きのフェリーの半券が入った財布と一緒に。怪物が見た夢をJ・Kが記録したものなのか、あるいは、J・Kが見た怪物の夢をJ・K自身が記録したものなのか、表紙からは判断が付き兼ねただろう。手に取って開こうとした時、裏表紙の不自然な膨らみに気付いたかも知れない。表紙は二重構造になっていたに違いない。糊を慎重に剥がして隙間に手を差し入れると、中に粘着テープで留められた、小指の半分程のサイズの鍵があっただろう。部屋の二つの扉には把手以外のものが見当たらず、鍵を手にしたまま部屋中に視線をさ迷わせていると、旅行用トランクに辿り着いたかも知れない。とても大きなトランクで、少女が身体を器用に折り畳んで入っていたとしても別に不思議ではなく(何故そんな風に考えるのか)、頑丈そうな鎖が幾重にも巻かれ、鎖には南京錠が取り付けられていたに違いない。暫く迷った後、結局、何もせずに鍵をポケットにしまっただろう。表紙を開くと、日付があり、その後に文章が続く所謂日記の体裁になっていたかも知れない。最初の記録は十二月十日のものだったが、最後も同じ十二月十日のもので、空白の頁がその後に続いていたに違いない。日付にはどうやら意味がありそうで、さりとて、それが何なのか皆目見当も付かず、知る事が出来ないだけなのか、何か大事なものが水面の下に沈んでいて、確かめたくて水の中に潜っても大事な何かはどんどん沈んで行ってしまう、ちょうどそんな感じで、もう一度最初から、今度は日付だけを慎重に追っただろう。が、時はノートブックの中で確かに進んでいる気がするのに、ある時と別のある時との間・・・・・・・・・・・・などという馬鹿気た思い込みが築き上げていた螺旋の楼閣は最後の日付を目にした時に土台から崩れ去ったかも知れない。一体どういう事だろうか、そんな筈はないと思い、何度やってみても同じで、そのうちに日付を表わす数字が意味のないただの線に見えてきたに違いない。けれども、どうにか気力を振り絞ってノートブックに意識を集中しようとしただろう。それが書かれているという事は誰かがそれを書いたという事で、その誰かが誰なのかは分からないが、筆跡には見覚えがあり、それどころか、明らかに自分の筆跡で、つまりは私が書いた。――

 だが、これらは全て私の想像だ。

 本当だろうか、さらには、終わりも始まりも知らない現実を今のところ無批判に受け入れているが、それこそ想像ではないのか。

 リング綴じになっているカレンダーを壁から外し、逆にめくる。十一月は、島名の由来であろう赤土がところどころ覗く斜面に果実が色付き始めている、「血島ちしま不知火しらぬい畑」。十月は、海岸にそそり立つ断崖が腹足綱の軟体動物であるところの雨虎アメフラシの側足(背中のひらひらした部分)に見えなくもない、「月夜見島つくよみしま/雨降らしの崖」。九月は……。「貝楼諸島巡り」と題されたカレンダーは十二の風景写真で彩られていて、どの風景も見覚えのないものだ。印が付けられているのは十二月十日だけで、他に気になる点はない。

 私は書き物机を前にして椅子に座っている。机の直ぐ右は窓だ。カーテンは開いており、外の光がふんだんに差し込んでいる。ノートブックの紙は深い海の青色、いや、白色で、思考が混乱している。まるで思考の体をなしていない。数々の疑問が解消されないまま、それらの疑問から脱線が生じ、脱線が思考の時系列を混乱させているのか、夢の中の夢から逃れられないでいるのか、言葉でしか思考する事が出来ないから、言葉は目の前にあるものを否定するから、目の前にあるものは言葉を否定するから、思考の混乱とは言葉の混乱に他ならない。だから、正しくは、カーテンは閉まっているだろう。――

 私は書き物机を前にして椅子に座っているだろう。机の直ぐ右は窓に違いない。カーテンの向こう側で雲が時折太陽を隠しているかも知れないし、濃淡が異なる数種類の青い糸で織られたうねり柄のカーテン自体がゆったりとうねっているかも知れない。広げられたノートブックの表面で深い海の青色がうねっているだろう、額縁の中の絵が動くみたいに。手を伸ばせば入り込めそうだが、手には既にペンが握られているに違いない。ペンはどこで手に入れたのか、ペンと青色のインクの壜は職員証やハンドガンの入った机の抽斗にあったかも知れない。姿見の前に立っていた、あるいは、立っているだろう、上半身はシャツを脱ぎ、裸で、ショルダー・ホルスターだけを身に着け、素早く抜いたハンドガンの銃口を鏡の中の人物の、ちょうど心臓の位置に向ける動作を何度も繰り返しながら。幾分青ざめている点を除けば、鏡に映る顔は職員証の写真のそれにどことなく似ているに違いない、ひどく化膿している首筋の傷は何かに咬まれたのだろうか。足の裏に冷たさを感じるかも知れない。が、その感覚さえ現実のものと信じる事が出来ないだろう。見ると、トランクも、その下の床も濡れているに違いない。トランクの中から漏れ出たのであろう何かの液体が一筋、部屋が傾いでいる訳でもないのに足下までほぼ真っ直ぐに這い寄っているのが意思を有する生き物じみて見えるかも知れない。湿った靴と靴下を脱いだ時、足の皮膚が奇妙な具合に罅割れているのに気付くだろう。一つ一つが歯に似た形をした鱗のようなものが無数に浮き上がっている表面を擦ると、若干光沢を帯びた半透明なそれがぽろぽろと剥がれ落ち、不安がインクの染みのように広がるに違いない。トランクの中は深い海に繋がっていて、それが外に溢れているのか、開けて確かめてみたいと思うかも知れない。が、恐らくは新しい皮膚・・・・・同様、直視出来ない何かが潜んでいるだろう。人魚の肉、そんな言葉がふと浮かび、何故だか分からないが、両目に滲んだ涙で視界が曇るに違いない。とは言え、私は不幸せでも幸せでもないかも知れない。トランクの表面に耳の貝殻を寄せると、うねっている深い海のうねりの、その向こうから、子守り歌の唄声に似た、身体中の血と水を震わす波動のごとき音が……、いや、聞かないだろう、あるいは、聞かなかった。――

 人魚の愛を裏切った人間の魚は目を開けたまま夢を見るのだろうか。

 机を前にして椅子に座っており、手には既にペンが握られている。十二月のカレンダーの風景は見覚えのないものだ。遠浅の砂浜の、波打ち際から大分引っ込んだところに置かれた卓を挟み、彼女と彼・・・・でも彼ら・・でもない、あなたと私が向かい合わせに座っている。白い卓布の上には皿やグラスが二人分並べられている。グラスの中は空っぽだ。七時を少し過ぎたところだ、と思う。私は給仕を待っている。瞬きしないあなたがグラスに手を伸ばせば忽ち私は溶けてあなたになり、あなたは溶けて私になる。けれども、給仕がいつまで経っても現われないので何となく取り残された気分になる。誘惑する引き潮の海は蜃気楼の都市と同じで、触れる事が出来ない。腕時計に目をやる。今が十日の七時三分である事を確かめ、真っ新なカレンダーの十日のところに印を付け、少し考えてから、まだ何も書かれていないノートブックの表紙にペンを走らせる。

 

 今朝方、船内の図書室で見付かったこのノートブックは、私が海洋生物研究所の研究員として着任する事になった身上を話した時に船長から託されたものだ。船長によれば、一週間前、同じ研究所の研究員で、このフェリーの一等船室に荷物と靴を残して失踪した人物がいたらしく、その人物かどうかは分からないものの、どうやら研究所の誰かが忘れたようなので私が預かり、持ち主が現われなければ島の警察に届ける事になった。その人物の風体を尋ねると、「奇妙なのですが、誰の記憶にも残っていないのです。そういう方ってたまにいらっしゃるじゃないですか」と要領を得ない答えが返って来た。

 興味をそそられなくもなかったのでデッキでスコッチを飲みながら退屈凌ぎに読み始めたが、アルコールと慣れない船の揺れが手伝い、若干文字酔いしただけだ。図書室で借りた本もノートブック同様、実に馬鹿気た内容で(人魚の肉を食べて不老不死を得た、とか)、直ぐに放り出した。

 直前の寄港地である瑪瑙島めのうとうを発ち、南西に四時間、フェリーが鰭島ひれしまに近付き、私の船旅は漸く終わろうとしていた。瑪瑙島めのうとうの桟橋から離れる直前、虹が島の上空に架かった。「これは美しい虹瑪瑙イリス・アゲートですね」と背後で声がして振り向くと、気儘な冒険を楽しんでいるらしい新貴族ノビレスから同調を求める仕草を送られたが(真珠のような歯は分かり易い連帯の印だ)、別に美しいとも何とも思わなかった。

 要するに、虹は虹であり、単なる自然現象に過ぎぬではないか。二日前にはこの辺りの海では滅多に見られないシャチの群れに遭遇した。金切り声を上げながら数十分間フェリーと並走していたが、ある女性が下船すると、もう現われなくなった。そんな事があり、乗客たちはその女性を話題にする時には、「シャチの貴婦人」と呼んだ。尤も、私は船旅の最中にその女性を一度も見かけなかったのだが。

 きちんとした白い麻の上下に着替え、船室を出た。張月然ヂャン・ユェランが迎えに来る事になっていた。キメラ研究の第一人者であるライアン・コーエン博士の研究所にいた人物。十二月だと言うのに、容赦ない日差しがタラップに照り付けていて、パナマ帽を目深に被り直そうとした刹那、横風に飛ばされたが、ちょうどいい具合に桟橋で佇んでいた人物が掴まえてくれた。その人物、かなり若く見える中性的な麗人の、濡れたように光る異様に黒々とした瞳に惹き付けられ、また、そのような自分に驚かされた時、強いデジャヴュを、さもなければ、目眩いに似たうねりを感じたのだ、生きとし生けるもの全ての血と水が、ざわめく風とどよめく波に運ばれ、やがては還るであろう遠くで生まれ続ける永遠・・・・・・・・を。


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