UCLA留学記①入国審査でまさかの拘束
7月中旬、ついに留学開始です。どれほどこの日を待ち望んだことか。
早めに成田空港に到着したので、出発までラウンジで時間を潰します。
予約していたのはJALのビジネスクラスですが、コロナの影響でビジネスラウンジは閉鎖中です。代わりに、ファーストクラスのラウンジを使うことができました。
実はファーストクラスのラウンジは初めて。ゆったり座れる上、鮨や各定食、ラーメンなんかも楽しめます。約1時間、とても贅沢な時間を過ごすことができました。
そして機内へ。窓際の席で、隣は空席。
早速シャンパンが運ばれてきます。
時間と空間をゆったりと使いながら、約3年前に留学を決めてから今日までの長い道のりを振り返りました。これから降りかかる災難を露程にも知らずに…
ロサンゼルス国際空港に到着したが午前11時。ホテルのチェックイン予定時刻2時には余裕で間に合いそうです。悠々と席を立ち、入国審査に向かいます。
審査前の数人の列を待って、カウンターに呼ばれます。担当官は名前と顔からして中華系のようです。彼は極めてフレンドリーで、和かに渡航目的、滞在期間、帯同家族等を聴いて、笑顔で頷きながら聴いてくれます。昨今厳しいと聞いていた入国審査もこれで余裕…と思いはずめていたところ、彼は「I need to call another angent」と徐に呟きました。
彼が一本電話をかけると、屈強な(しかも銃を帯同した)エージェントがどこからともなくやってきて、私の隣に立ちます。「It doesn’t take much time」と彼は言ったものの、そんな簡単な用事ならこんなマッチョを呼ぶ必要がないことくらいは私にも分かりました。
彼は私を入国審査場の奥のほうにある別室に連れていきます。中に入ると、数え切れないアラブ人、ヒスパニック、黒人、アジア人とマイノリティ達がいずれも疲れ切った顔で待機しています。椅子もあるのですが、どうにも人数が多すぎて座り切れず、立ったり床に座ったりしている人もいます。
さらに奥に3つほど、アクリル板越しの面接ブースがあります。刑事弁護の接見を思い出しましたが、今度は自分が取り調べられる側だと思うと身の毛がよだちました。
アクリル板の向こう側に壁掛けのパスポートケースがあり、そこに赤色の日本のパスポートが見えました。周りを見渡すと日本人は私だけなので、さっき取り上げられた私のパスポートに違いありません。
そして待つこと30分。ようやく誰かの名前が呼ばれます。どうやらヒスパニック系の男性で、面接開始直後から担当官と激しい口論が始まります。彼には待つ家族がいてどうしても入国しなければならないようでしたが、ビザが有効でないとのことです。15分ほどやりとりが続いた後、彼はさらに奥の別室に連れてかれました。その後は神のみぞ知るです。
その後、待っても待っても私の名前は呼ばれません。担当官は全くやる気がなく、コーヒーを飲みながらおしゃべりをして、時折思い出したように誰かの名前を呼び、詰問します。
2時間が過ぎたころ、JALのLAスタッフが私を探しにこの部屋まで入ってきました。どうやらバッゲージクレームに荷物が長時間放置されていたので、保管場所を知らせにきてくれたようです。
そして3時間が過ぎました。ようやく、私の名前が呼ばれました。何を聞かれるのか、3時間たっぷり頭の中に想定問答集を作り上げました。株主総会の想定問答より緻密だと思います。ところが、発せられたのはたった一言「You are free to go」。
後日聞くところによると、ランダムにビザの有効性をダブルチェックする運用があるようです。運悪くこれに当たってしまったとしか思えません。かくして、私の夢の留学は波乱の幕開けとなりました。今後どんなトラブルが発生するか、思いやられます。