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東武練馬でただ散歩をば。

 キンキンに寒い2022年の1月2日、訳あって東武練馬駅周辺を散歩することになった。駅周辺と言っても、人込みが苦手で尚且つADHDの私は極力人のいない方へと自然に流れていった

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 まだ33歳になったばかりだが私は誰もいない公園が好きだ詫び寂びというか、つい数分前、数時間前でも、かつてそこに「人の感情」が存在した場所に胸が締め付けられるのだ。過去を想像できるからか、そういった場所にとても魅力を感じる。神社やお寺、廃墟、寂びれた公園。私のこの「過去への執着」は何なのだろう。いつかわかる日が来るのだろうか。その日がもし来たら、自分のルーツを廻る旅にでも出ようか、なんて。
 とりあえず私はこの公園に来た証を残そうと思い、DAIGOのロックステップをしてInstagramに投稿したのであった。このロックステップ、意外と難しいのである。

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 その日私は気づいたことがある。私はてっきり東武練馬の周辺、住所でいうと「北町」は板橋区だと思っていたが、実際はなんと練馬区だったのだ
 それを知って私は安心した。私は「練馬区」がちょっと好きなのである。私の中で練馬区のイメージといえば、「ナンバープレート」「品がある」「お金持ちが多い」「イメージカラーは水色(西武線?)」「気候がちょっと違う」諸々。33年生きてきてあまり悪いイメージが無くむしろ綺麗な印象がある。強いて言うなら光が丘の治安がイマイチだったということぐらいか。実際、高校の頃光が丘から来ていた同級生の男は、顔の皮膚が薄くやや筋肉質で、見事なまでに三白眼だった。いわば平和主義なわけがない顔立ちであった。

 偏見と価値観は紙一重である。それを聞いた人が不愉快に思うかどうかの違いしか無いのだ。私は何事も曇りなき眼で見定めている。根拠のない、他人から聞きかじっただけのイメージは受け付けないし口にも出さないように心がけている。ただ板橋区民には申し訳ないが、お隣の北区赤羽で生まれ育った私には、板橋区はハッキリ言って良いイメージは無い。
 私の中での板橋のイメージは、「下品」「治安が悪い」「イメージカラーは赤(東上線?)」「不真面目」「空気が淀んでいる」「女性は恋愛体質」「股が緩い」諸々。一見どう考えてもただの偏見だらけだが、残念ながらこれらを覆す要素に出会わないのである。同じ赤羽出身で元受けで働いているある女性は、1年ほどであろうか中板橋に住んでいたが、「板橋はもう住まないかな…」と言っていた。理由はハッキリとは言っていなかったが、私が「品が無いですよね」と言ったら、苦笑いしながら黙って頷いていた。

 こういう話をすると必ず「みんなが当てはまるわけではない」といった趣旨の発言が出てくるが、そんなことは当たり前なのである。従ってそういう発言は無意味なのである。「ブラジル人はサッカーが好きだ」→「好きじゃない人だっているよ」→当たり前だ。

 こういった「偏見」ともとれる話をする際は「客観的」にみてくれれば、イライラもしないしトラブルになることはないだろう。だが、「客観的に見る」ということができない人もいる。もしこれを誰かに言うと、きっとその人は「誰でもできる」と言うだろう。しかし残念ながら、これが意外と多いのだ。
 ではそういう人々はどう生きているか。それは「感情的」であり「反射的」に生きているのだ。それでいて価値観を持たない、「他人の代表」の意思決定に無意識に従い、条件が揃ってやっと感情が生まれる。
 先日あるInstagramの投稿にあったもので、普段なら鼻くそを穿りながらスルーするような記事ながら、後に妙に納得してしまう記事があった。それは、「他人を気遣って生きられる人は、過去に複数回人間として一生を過ごしたことのある人。他人を気遣えない人は、前世が動物か虫だった人。」というような内容だった。
 私は「超」が付くほど現実主義だが、「前世」の存在は信じている。理由を述べると長くなるので別の機会にでも綴ろう。意味深かもしれないが簡潔に述べると、「なぜ”性”の知識があるはずもない幼稚園時代の石井が、同級生の女の子の素っ裸を見て一瞬で勃起したのか」ということだ。「は?」と思うだろう。その反応は正解だ

 結論として練馬区北町は割と好きだ

以上

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