薪を拾いあげる孤児

「僕たちを苦しめるのは、厄災それ自体ではなく厄災に与える畏れや悲しみなどの解釈だ。人は何も持たず生まれ何も持たず死ぬ。失ったとか奪われたとかいう嘆きは見当違いだ。僕たちは現世を旅しているに過ぎない。どうせ終焉に向かうならすべての過去を愛して刹那を生きようと思う。」

薪を拾いあげる孤児

「僕たちを苦しめるのは、厄災それ自体ではなく厄災に与える畏れや悲しみなどの解釈だ。人は何も持たず生まれ何も持たず死ぬ。失ったとか奪われたとかいう嘆きは見当違いだ。僕たちは現世を旅しているに過ぎない。どうせ終焉に向かうならすべての過去を愛して刹那を生きようと思う。」

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【正義】他人を「自分が幸せになるための手段」として利用していいのか?

まず結論からいうと、「他人を手段や道具として利用してはいけません」と哲学者のイマヌエル・カントは言っています。 カントの哲学は難解と言われています。しかし、カントの革新的な哲学は、哲学に関する知識がなくて頭が真っ白な状態だと意外とすんなり頭に入ってくると思います。とはいえ、カントの哲学は内容が濃くてずっと難しい文章が続くので匙を投げたくなるのです。そこで「他人を手段や道具として利用してはいけません。」とカントが言う理由にのみ焦点を当ててお話します。 さてまず他人を手段や道

    • 【正義】集団の利益のために個人が犠牲になってもいいのか?

      「私に対するクラス全員からのイジメは甘んじなければならないの?」 「仕事できる私ばっかり残業…不公平じゃない?」 「私一人が損してみんなが幸せならいい…?」 社会全体の幸福と不幸の度合いを比較して、幸福の度合いを増やそうとする考え方を功利主義といいます。例を挙げれば、クラスにいじめっ子の集団と一人のいじめられっ子がいて、複数のいじめっ子達の幸せの度合いといじめられっ子の不幸の度合いを数値化して、クラス全員にとってより幸せになるほうを選ぼうとする考え方のことを言います。だから