「鎧武」にみる、キャラの行動原理

「仮面ライダー鎧武」という作品

私にとって「仮面ライダー鎧武」とは、ライダー作品にただいまを言ったきっかけの作品です。鎧武が面白いようだという噂を聞きつけ、急いで合流。年末からの急展開リアルタイム視聴にどうにか間に合ったのでした。

はじめのとっかかりは、主人公葛葉紘汰(佐野岳)がなんでもないただのフリーターであった点。なにかに選ばれたり特殊な能力を持つわけでもない「等身大の若者」。それでいて優しさやお人好しさが彼の魅力として光り、主人公としての素質をのぞかせる。

当時中学生だった私は、彼をひねた目で見ていたため、バカだなぁと思って見ていました。笑
呉島光実(高杉真宙)のような理知的で現実思考な方が、世の中ではうまく立ち回れる、そう思いました。
駆紋戒斗(小林豊)がこだわる「強さ」の定義も曖昧で、こいつ言葉の割にいっつも負けてんなと呆れていました。

というのは、見始めた当初の感想です。


キャラクターの積み立てが見方を変える

私は「物語の魅力=キャラの魅力」だと思っています。大切なのは、作劇上キャラクターが無理なく行動できていること。
反例として挙げるなら、「仮面ライダービルド」でしょう。私はあまりこの作品が好きではありません。キャラの行動原理に不自然な点が多すぎるからです。こういう場面を描きたい、こういうセリフを言わせたいが先行して、キャラが軸足のない行動をするからです。

キャラクターを作り込んでいけば、物語の展開に応じて各々がどう動くのか、考えるよりも前に見えてくるはずです。俗な言い方をすれば、「キャラクターが勝手に動き、話す」ような感覚。それによって自分の予定していた展開と変わってしまうのであれば、それを受け入れるのが善手だと思います。

鎧武に関して考えてみましょう。

葛葉紘汰は普通の青年。目立ちたいし、意識せずとも楽な道を選んでしまうこともある。一方で性格としてはお人好し。他人本位でいつも誰かのために動き、戦う。

対して駆紋戒斗。彼のハードな生い立ちから、常に強者であることを望み、弱者を許さない。すべてを支配するために動き、戦う。

もう一人。呉島光実。家柄による圧力、自己矛盾。権力を欲し、人を操る能力に長けている。(と、自分では思っている。)現状維持のために動き、戦う。

誰に共感するか

私はかれこれ鎧武を5周ほどしてますが、毎回違った楽しみ方ができます。それは、誰に感情移入して物語を追っていくか。

上述の3人に加え、ユグドラシル組、パティシエ組、葛葉姉など、見るたびに違った視点に気付かされます。

初見、終盤でもっとも嫌いだったのは呉島光実です。ヨモツヘグリのくだりで死んでくれないかとさえ思いました。それほどまでに嫌い。理由はわかりませんが、おそらく当時の中学生らしい、陰湿陰気自己中心的な思考がのさばるのが、許せなかったのだと思います。

ただこの歳になって見返すと、彼の行動原理はかなり理解の及ぶものでした。楽しい時間がずっと続いていくために自分は努力を惜しまなない。でも楽しい時間は永遠に続いていくものじゃない。彼はまだ子供だった故に、そのことに気付けなかったんです。

とくに、ヘルヘイムの侵略という緊急時においては、なんでもない日常でさえも取り戻すべき平和の象徴(これはダンス要素が担っている)となってしまう。紘汰をはじめ、みんなが選択を迫られて、みんなが自分の意志で決断していった。そうしていくうちに、なにも選択せずその場に踏みとどまった光実だけが、現実から取り残された人間になってしまった。

こう書くと、誰しもに起こりうることだと思います。大人になるというのはどういうことなのか。とても考えさせられます。

「大人」という皮肉

鎧武の面白さの多くを支えているのは、やはり大人たちの存在でしょう。
ユグドラシルの面々、凰蓮さん、坂東さん、葛葉姉。
なかでも印象的なのは、呉島貴虎(久保田悠来)、戦極凌馬(青木玄徳)、シド(波岡一喜)でしょうか。

貴虎には、おそらく鎧武のキャラクター人気で一二を争うほどの魅力があるのではないでしょうか。本編で彼の登場した期間や戦線にいた時間は決して長くはありません。しかしこれほどまでに人気なのは、「迷う大人」という点。
葛葉紘汰と比較するなら、「等身大の大人」とでも言えましょうか。そして何より強い。ここはめちゃめちゃ大事なポイントです。

戦極凌馬。彼がいなければお話は終わっています。しかし人として難がありすぎる。自らの力で神に至る強さを獲得させ、王の座に導く。マッドサイエンティスト、とはいうものの、理性的で軽口を叩く姿からどこか憎めない。妙に説得力がある。貴虎との関係も一筋縄ではいかない。

シド。大人、と最も口に出していたのは彼でしょう。しかし知恵の実を前に発露した本音は「もう誰にも舐めた口を聞かせねぇ」でした。大人のフリをした子供だったわけです。世の中にはいっぱいいます、そういう人。笑

鎧武は、「青年たちが、自ら選択しなければならない状況に巻き込まれていく」話です。
決断をすればするほど、彼らはどんどん成長し意志を確固たるものにします。大人たちはいつしか、いくつもの選択を迫られた彼らに追い抜かれていくのです。

ユグドラシルは、人類全員を救う可能性を諦めました。つまり、リスクをとっても進むべき、という選択をしなかったことになります。
それに対して紘汰は、自らがオーバーロードになっていくことを知りながらも、極となって戦い続けました。
この対比は、現実と理想の対比です。

しかし、私は紘汰の理想こそが本来あるべき世の中の姿ではないかと考えます。理想に届かない今を「現実」という言葉にしてしまえば、それを理解している自分を「大人」として安住できる。そんな風では、いつまで経っても前には進めない。そう思います。

さいごに

葛葉紘汰が残した言葉。

『変身だよ! 貴虎、今の自分が許せないなら新しい自分に変わればいい』
『いつだって未来は闇の中だ。だからこそ、光を灯しに行く価値がある。』

未来に希望をもって生きること。
私が鎧武から学んだ、いちばん大切なことです。

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