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「宗教」とコミュニティの境目はどこなんだ問題

混迷を極める現代社会の病巣に、臨床医学的な見地から軽妙洒脱な筆致で快刀乱麻にメスを入れるサブカル産業医・大室正志と、特にメスは入れていない朝倉による、「宗教」とコミュニティを巡る放談です。
(編集:代 麻理子)

宗教とコミュニティの境目はどこなんじゃい!

大室正志:昨今、なにかと「コミュニティ」がブームですけど、「コミュニティ」と「宗教」の間というか境目がどこにあるのか、という制球が難しい問題について話してみたい。

朝倉祐介:それはまた、人の琴線に触れそうなお題を……。

大室: 2018年にはすごくブームになったと思うんですけど、サロンをはじめとした「コミュニティ」って熱量が高くなればなるほど「宗教」っぽいと言われる。本来、宗教が悪いものではないはずなんだけれど、悪い文脈や批判の形容詞としてよく使われる。
こうした批判に用いられる「宗教」というのは、カッコして、(カルト)宗教って意味だと思うんですけどね。

朝倉:そうだよね。宗教ってものすごく昔からあるもので、実際に信仰心によって救われている人も多くいる。どうも日本人は宗教に対する嫌悪感が強い傾向にあるし、「宗教」って言った瞬間引くっていう人が多いけど。

大室:宗教で日本人が普通に受け入れるのって、「ミッション系の学校行ってるんだ」とか、「駒澤大学って仏教系の学校なんだね、へぇー、そうなんだ。」とか、せいぜいそのぐらいですよね。だからなかなか宗教というものに対して馴染みが少なくて、アレルギーを持ちがちな我々なのかもしれないですけども。

朝倉:やっぱり新興宗教にまつわる問題が過去に度々あったからなんでしょうね。

大室:新興宗教の中に排他的な部分があったりするのが一つの原因としてあるんでじゃないかと思うんですけども。確かにコミュニティっていうのも、内側に向くエネルギーが強いと、本人達にそのつもりは無くても、外から見ると排他的に見えたりとか、内部だけで盛り上がってると、同じ思想にみなさんが染まりがちというところが、ある種宗教っぽく見えてしまいがちだったりするかと思うんですが。
同じ考えを持っている人が、その場で一体となるのって、人間気持ちがいいんですよ。

朝倉:そうだよねぇ。

大室:やっぱりある種の自我の境界線が曖昧になるというか、セックスの快楽もそこに結びつくと言われてますが、自我の境界線が曖昧になること、それが集団でみんなが同じところに持っていけるっていうのはある種の快楽だし、それ自体は否定しないんだけれど。
例えば、癌の末期の患者さんなんかだと、やっぱり最後まで前向きな気持ちを持ててる人は、信仰心がある方が多いとされているように、不安を和らげる作用もあるし。だから僕ら信仰心とか宗教自体を否定しているっていう訳ではないんだけれど。

朝倉:うん。それで本人がハッピーであって、周りの人たちが迷惑被ってなければいいよね。
とまぁ、宗教そのものが悪いものじゃ決してないよねという、長い前置きでした。

ストーリーの受け皿としてのコミュニティ

大室:2016年にベストセラーになったユヴァル・ノア・ハラリさんの「サピエンス全史」っていう著書の中で、『人類が発達したのはフィクションを信じる力があったから』とあるんだけど。それがネアンデールタール人以下と他の生物を分けたものだという説を著書の中で唱えてられてますけど、宗教ってその最たるものじゃないですか。

朝倉:そうねぇ。

大室:その一方で、人類が克服しなければならない最も重要な課題の一つが戦争かと思うんですが、戦争ってほとんど宗教が起こしてるんですよ。

朝倉:はい。

大室:だから、人間はフィクションを信じる力故に進化したんだけど、フィクションを信じる力故に色々な問題を起こすという側面もあるから、宗教というのは非常に取り扱い注意物件というか……。

朝倉:そうですね。

大室:で、得てして日本人の場合は、ざっくり言えば仏教なのかもしれないけど、信仰心は比較的そんなに高くないという人が多い。これはお国柄と言われてますけど。

朝倉:まぁ、日常生活にイベントとして溶け込んでるんだよね。お正月は初詣に行くし、お葬式だって仏式であげることに何の違和感もないし。

大室:そうですね。元々、お寺と神社を隣同士にして、神仏習合折で違和感なくやってきたけど、これなんかも国によっては宗教対立が起きていたかもしれない。けど、日本の場合はハロウィンだってクリスマスよりも大きなイベントになっているように、「一緒にしちゃえばいいじゃん、なんでもありだよ」っていう、ある意味寛容とも言えるし、そんなに信仰心が無いとも言える。
こんな宗教とは薄く広く付き合ってきた日本・・・という中で、さて「コミュニティ」ですよ。これはよく言われる、世の中に大きな物語が無くなった表れかと。今、小さな物語を色んなところで作っていかなきゃいけないっていうのは社会課題だと思うんだけど、そこの受け皿としてのコミュニティの役割って今後もすごく大事になってくると思う。

朝倉:うん。

カルト宗教がカルト化していく構図

大室:ただ、これが行き過ぎると問題も出てくる。さっき言ったように、宗教は大事なんだけどカルトになってくるとね。
例えばオウム真理教なんかもそうでしたけど、その境目って何かなって考えた時に、オウム真理教って内部に向かって、自分たちの物語の辻褄を合わせて正当化するために、やっちゃいけないことを色々やり始めたんですよね。

朝倉:はい。

大室:あと、事実を曲げ始めたというか。例えば松本サリン事件が起きました、地下鉄サリン事件が起きましたっていう時に、オウム真理教の場合は、みなさんに疑いの目をかけられる。そうすると上祐さんなんかが出てきて、「そんなの事実無根でこんなの意味ないですよ」なんて言って。

朝倉:テレビ出て、手に持ったパネルを放り投げてたもんね。

大室:そう、パネル投げてた。質問には答えないわけですよね、聞いてる側は事実確認をしてるのに答えない。理系男子が多かったから、事実確認って得意な質問な気もするのに・・。その一方で自分たちの思いとかは饒舌に語ってましたよね。

朝倉:これって、以前に話した、嘘の辻褄を合わせるためにまた嘘を積み重ねていくっていう結婚詐欺の構図と割と似てるよね。

大室:似てますね。だからその中で、本質的な事実確認をせずにやってくると、みなさんがますます怪しいと思って色々ツッコむわけですよ。で、そうすると今度、麻原総師は言うんですよね。「今までイスラム教だってキリスト教だって、世界で本物になった宗教は全部迫害されてきた。我々は今迫害されている。が、故に本物だ」と。

朝倉:世界宗教にとって迫害された歴史っていうのは、ものすごいポイントだよねぇ。迫害されることによって自己と他者を明確に分けられて、「他者に対して自分たちは団結していかなければならない」っていうのが、より一体感を高まる。

大室:一体感を高める作用もあるし、あとやっぱり迫害を受けてるが故に本物だと言えば、全てが丸められてしまう。この論法って宗教としてはすごい強いんですよ。

朝倉:キリストもそうだし、日蓮なんかもそうだよね。

大室:日蓮なんかもそうかも。あの当時は日蓮宗も完全なる新興宗教ですからね。で、いわゆる事実確認みたいな質問には答えずに、尚且つ「迫害されている。時代の変革期には本物は迫害されるんだ」という論法にすり替えてしまう、こういう論法のことを僕は「オウム論法」と呼んでるんですけど。

朝倉:なるほど。

大室:「コミュニティ」の中で、この「オウム論法」が始まってしまうと、やや注意が必要な気がするんですよね。

朝倉:外の世界と完全に隔絶されて、コミュニケーション不能状態になってしまう。

落合陽一さんに見るコミュニティとカルトの境目

大室:特に宗教と違ってコミュニティですから。例えば身近なところだと、何度も共演させて頂いている落合陽一さんって、とかくあの見た目もそうだし、一見するとすごくコアなファンが多いから、落合さんのことを知らない人って宗教っぽいと思うそうなんですよ。

朝倉:黒ずくめだし、オーラや独特の雰囲気あるよね。

大室:雰囲気ある。コミュニティっぽいこともしてますし。で、だいぶ前に落合さんが古市さんとの対談で、介護の問題とかに言及したりしたんだけど、色んな有識者から事実ベースでちょっと違うところを指摘されてた。そうしたら、ちゃんとそこの誤りは認めて、ちょっと言葉が足りなかったことは認めて、その上で「だけど僕の思いはこういうことなんです」ってことを説明したじゃないですか。

朝倉:すごく真面目にね、noteまで書いてね。

大室:そう。だからあれは宗教じゃないんですよ。あそこが境目かなと思いました。

朝倉:あぁ、なるほど。

大室:あれ、「魔法使いの人間宣言」ですから。

朝倉:たしかに、過ちを認めるというのは人間宣言だね。

大室:ああいう外部からの批判を全部無視せずに、そういうところは真摯に受け止めて。僕はあれすごく落合さん素晴らしかったなと思います。

朝倉:うん。世間との折り合いをつけた感じがしたね。

大室:僕あれで好きになりましたね、ますます。

朝倉:なるほど。今回の大室先生は言葉を選んでる感じがありありと窺えましたね。

大室:デリケートな話題なんです!(笑)

本稿は「論語と算盤と私とVoicy」の放送内容を加筆修正したものです。

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