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スタートアップの農耕民族化について考える

混迷を極める現代社会の病巣に、臨床医学的な見地から軽妙洒脱な筆致で快刀乱麻にメスを入れるサブカル産業医・大室正志と、特にメスは入れていない朝倉、ビジネス芸人のThe Breakthrough Company GO三浦崇宏が考える、スタートアップの農耕民族化について。

スタートアップは農耕民族化しつつあるのか

大室:今回は、「スタートアップにおける組織文化の多様性について」話していきたいと思います。先日、NewsPicks Studiosの代表を務めていた佐々木紀彦さんと、「今までは、『大企業対スタートアップ』といった構図があって、『大手町と渋谷』みたいなざっくりとしたカルチャーの分け方をしていたよね」という話をしました。

でも、ここ数年急速にスタートアップの中でも、SaaS型のビジネスが広がってきている。SaaSビジネスは、これまでのスタートアップのイメージである狩猟民族っぽい感じとは少し異なったタイプの人が向いていたりするように思います。

たとえば、SaaSビジネスで1年半くらい継続してもらえないと赤字になるビジネスモデルだと、常に継続課金が求められる仕組みでやっているから、昔ながらの「スタートアップ」という言葉で想起されるやんちゃな人たちには向いていなかったりする気がします。

そうなってくると、SaaS型ビジネスを取りいれている会社のカルチャーは、今までやんちゃだったスタートアップのカルチャーとも違う雰囲気になるわけです。

分かりやすい例でいうと、人事向けのクラウド型ソフトウェアを提供しているSmartHR。あの会社は、社員みんなで頑張ろう、社員のために頑張ろう、という雰囲気が大きいですよね。いい意味で、農耕民族っぽいというか。そういう風に、きちんと一年単位で収穫をしていこうと計画している会社は、スタートアップに狩猟民族的なものを求めてやってくる人たちとのアンマッチが起きているのではないかと思います。

つまり、スタートアップと一言でいっても「この会社のカルチャーは農耕民族型か狩猟民族型か」を見ないといけない時期にきているのではないかというのが僕の仮説ですが、いかがですか?

三浦:農耕型スタートアップの日本代表でいうと、元リンクアンドモチベーションの取締役で今はKnowledge Workを起業した麻野耕司ですよね。

大室:そうそうそう。麻野さんみたいな人たちは、昔でいう「スタートアップ、ウェーイ!」的なノリとは全然違うんですよね

三浦:昔、村上龍が「人間にとって最後の商業は売春婦か小説家だ」と言っていたんですが、それに近いものが以前のスタートアップにはありましたよね。
たとえば、堀江貴文さんやドワンゴの川上量生さんみたいな、一般社会では生きていきづらかった人が一発逆転のパワーや可能性を示してやる、っていうのがこれまでのスタートアップだったのかもしれない。

農耕民族的な人物が秘めた野性味

大室:従来のスタートアップにはそういうイメージがありますよね。それとは真逆の日本のビジネスモデルのど真ん中にあるのがトヨタでしょう。以前、トヨタの人事の上層部の人から、「トヨタは農耕民族型でどこまでやれるのか、農耕民族の可能性を探りたい。だから、突出したスタープレイヤーを生み出さないようなやり方をしている」という話を聞きました。

今流行りのSaaS型のビジネスモデルを取り入れている会社と、農耕民族型の人たちは相性が良いってことだよね。

朝倉:SaaSビジネスは、自転車操業の狩猟型ビジネスではなく、種を蒔いてきちんと刈り取れる畑を作っているようなものだということですね。

大室:そうそう。SaaSビジネスは、「あっちにマンモスがいたぞー!」ってなったら、急に落とし穴に落とす作戦に変える、みたく、どんどんやることが変わって、いろんなことが起きる狩猟民族型のイメージとは違うんだよね。

朝倉:なるほどね。ただ、僕は表面的に見える経営者の「農耕民族的」キャラクターと、裏に隠し持ったフツフツとした野性味みたいなものは、一人の個人に共存すると思いますよ。

たとえば麻野さんは、すごく人あたりのいい素敵な方ですが、一方で、セールスフォース・ドットコムの創業者であるマーク・ベニオフが書いた『クラウド誕生』という本を、SaaSのビジネスモデルに目をつけるプレイヤーが増えるのを防ぐために、ずっと本屋で買い占めていたという逸話もあるわけですよね。

『クラウド誕生』はAmazonで中古品でも出回っていないんですが(注・今はAmazonに在庫があるようです)、それは、「SaaSビジネスが世の中に知られたら自分たちは駆逐されてしまうから、他のスタートアップの人たちには見られたくない」という考えのもと、麻野さんがぜんぶ買い占めているからだと。多少盛られた話かもしれないけど、それくらい競争環境を意識して苛烈に行動なさっているということですよね。

大室:農耕民族が文字通り、自分の畑に我田引水をしたんですね(笑)。

朝倉:いい経営者はインターフェイスが穏やかでも、内面までそうとは限らないと思いますよ。

三浦:ある種の狂気が宿っていると。

朝倉:僕は、起業家にとってある種のパラノイア、狂気は重要な資質だと思います。だから、農耕型だからといって、必ずしもこれまでのスタートアップとは全然違うということではないと思います。

スタートアップは大企業病化しているのか

朝倉:もう一つ、狩猟民族・農耕民族的に関連しそうな話を挙げましょう。今年の夏、マイネット代表の上原仁さんのツイートが、スタートアップ関係者の間でちょっとした話題になったことがあったんですね。どんな内容かというと、

界隈で誰も共感しない話をしよう。東京スタートアップコミュニティの“大企業病”はもう始まっている。同じ共通言語で、同じ教科書に則り、ルール通りのステップルート。すべてレールが敷かれ、そこに集まる東大早慶。加速度的に洗練され、外れ値は村八分。そして君臨する偉そうなおっさんたち。
ネット市場の成熟が進みピラミッドは固定化。係長、課長、部長のように格付けされたプレイヤー。地上波テレビが‘90年代に成立したフォーマットやお笑い四天王をそのまま30年続けたような時間が始まろうとしている。
私が今20歳だったら、こことは違うコミュニティを自ら切り拓くことを選ぶだろう。

というツイートです。これはおそらく、大室さんが指摘する狩猟系と農耕系の区分けにも似た話なんじゃないかと思います。

上原さんはスタートアップ・コミュニティの中ではベテラン的な存在であり、スタートアップの世界に対して強い愛情を持ってらっしゃる方ですが、そんな上原さんの目に、スタートアップを取り巻く環境がそんな風に見えることはわかりますし、おっしゃっていることの気持ちも分かる気はします。

僕も2010年にリーマンショック後の頃に手探りでスタートアップに関わった者として、スタートアップへの参画がキャリアの一つの選択肢になりつつあるということは大きな変化だと思っています。たしかに、「東大早慶」が象徴するような、エリートキャリアの人がスタートアップに参入しやすくなりましたよね。
また同時に、起業やスタートアップ経営の方法論もより多く語られるようになりましたね。

昔からやっている人たちがそれを見て、なんかつまんねぇな、小さくまとまってるな、と思う気持ちも半分分かる。分かるんだけど、一方でそれは、回顧主義じゃないかと思う部分もあるんです。

というのも、本当にスタートアップの数を増やしていこうとしたら、ノウハウをきちんと共有していかないことには、なかなか世の中に定着していかないんじゃないかとも思うんですね。
それに、スタートアップって、何も破天荒に振る舞わなきゃいけないってもんでもないじゃないですか。今まで存在しなかったようなプロダクトや事業を世に問うて、大きな産業を作っていくものなんじゃないかと。

結果的に、そこにエリートと呼ばれるキャリアの人たちが集まってくるのは、そんなに変な話ではないと思うんです。

エリートがスタートアップに参入することの意義

朝倉:僕自身も、エリートキャリアに括られる人間なのかもしれませんが、2010年当時に起業というキャリアを選択していたマッキンゼーの人間て、クラウドポート創業者の柴田陽と僕くらいでした。ですが、今のスタートアップにはマッキンゼー出身者はごろごろいますよね。それは歓迎すべきことなんじゃないかなと。

スタートアップを取り巻く環境は大きく変わったと思いますが、スタートアップというものが殊更目新しいものではなく、当たり前の活動として世の中に浸透していくにあたって、起こってしかるべき変化なんじゃないかと思っています。

三浦:上原さんの発言でいうと、コミュニティという概念なのか、Wayという概念なのかだと思います。スタートアップコミュニティの中での一つの勝ち方が、Wayとして決まっているのは起きるべき変化。

そこではない、誰がすごいのか、誰が偉いのかを競い合うWayができたのはすごくいいことなんじゃないかな。それによって、一部の天才だけではなく、秀才や凡人が勝ちあがる可能性が飛躍的に高まっているわけだから、それはそれでいいと。

それとは別に、野獣とか天才とか狂気じみたやつが別のやり方を見つけるWayがあってもいいんじゃないかという話なんだと思います。

朝倉:そうした人たちは、序列から外れて勝手にやっているんじゃないかな。たしかに、何もWayがなかったところにスタンダードなWayが確立しつつあるのだけど、そんなものを踏襲せずに、自由に別のWayを模索する人は、それはそれで出てくるんじゃないですかね。

「パワー・ドリブン」か「パーパス・ドリブン」か問題

三浦:僕がちょっと思っていたのは、農耕・狩猟という視点や、エリートコミュニティと野生ルートという分け方はあると思うんですけど、最近はパワー・ドリブンなのか、パーパス・ドリブンなのかという見られ方もあると思っていて。

スタートアップの起業家は、社会的に短期間で成功することもあって、人によってはロックスター的に見られる人もいますよね。

どうしてもなにかやりたくてやっている、だとか、俺はこれしかできないからこれをやることだけが俺の生きる道だ、みたく、人生において達成したい目標があって、それを達成する手段として選べるのが起業以外なかったという。

そういう人たちは、昔だったらもしかしたらミュージシャンとして野垂れ死んでいたかもしれないし、小説家として首を括っていたかもしれない。でも、たまたま起業やビジネスという手段があったから成功できた、みたいな人もいますよね。
具体的なパーパス・ドリブンのイメージでいうと、家入一真さん。家入さんは、もともとご自身が引きこもりで、弱者の言葉を届けるということがやりたかった人。昔だったら太宰治とか石川啄木みたいな人だったのかもしれない。

パワー・ドリブンは、とにかく影響力を持ちたい、有名になりたい、自分が世の中に影響力を持って何か事を成したいという人たち。昔だったら、田中角栄みたく政治家になるような人で、代表的な例でいうとSHOWROOMの前田裕二さんとかはこれにあたるのかもしれない。

そういうパワーで経ちあ上がった人なのか、パーパスで立ち上がった人なのかで分かれるなと思いましたね。

大室:よく朝倉さんとも話すけど、ヤンキー属性の方達って内容にはこだわらない傾向があるんですよね。つまり、みんなで集まって気合いが入れられればジャンルは問わない。だから、目の前にあるのがよさこい踊りだろうが、ラーメンづくりだろうが、ロックでの成り上がりだろうが、なんでもいい。ロックやラーメンは代替可能で、ただそこにあるからやっているだけなんだよね。

朝倉:今だとロックじゃなくてHIPHOPなんでしょうね。50年前だったらキャロル・永ちゃんだったのが、今だったら舐達麻になる。

大室:そう。だからパワー・ドリブンというところはちょっとある気がします。音楽の業界だと、音楽は成り上がるための手段(=しのぎ)である、という人と、自分の好きな音楽に耽溺していたいという、ちょっとオタク的とも言える、音楽それ自体を目的とするパーパス・ドリブンの人がいるでしょうね。

ただ社会を変えるという目的をど真ん中にを掲げて出てくる人は、昔だったら政治家とかになったのかもしれない。そういう人たちがスタートアップに集まってきているような、いないような。どうでしょうね。

ヤンキー的メンタリティーの社会的意義

朝倉:その点に関して言わせてもらうと、よく会社にとって、ミッションやパーパスが重要だって話があるじゃないですか。それは全くその通りだと思いますよ。と同時に、糊口をしのぐためのなりわいとして、自分で商売すること、事業を起こすことというのも、とても尊いこと、大事なことだと思うんです。ミッションなんかなくても、決して否定されるものではない。

今どき、教科書的な、スタートアップ的始まりではないかもしれないけど、やっているうちに、自分たちが実現したいことが見えてくること、世に問いたいものが見えてくることもあるわけだし。そういった意味で、「ヤンキー的」なるメンタリティーを僕は否定したくないし、むしろ、めちゃくちゃ重要だと思いますよ。

大室:僕が昔からよく知っているエス・エム・エスの創業者の1人である田口茂樹さんは、「介護士や看護師の人材紹介はリクルートは絶対やらないだろうからやろう」と言って会社を始めたんですが、今やエス・エム・エスは医療業界における人材紹介会社として最大手です。

今そこにあるチャンスとして、医療には全く興味がない二人が始めているわけです。だけど業界の第一人者として、徐々にきちんとした社会的責任を帯び始めるという。そんな風に、後から社会性が出てくるケースのもありますよね。

朝倉:共同創業者である諸藤さんには以前、直接お話を聞いたことがあるけど、初期の頃の資本政策はめちゃくちゃだったとおっしゃっていました。

資本政策の意味も分からず、いきなり株式の過半数をとられちゃったとか。幸いにして、出資した方も、乗っ取ってやろうとか、悪意を持ってやっていたわけではなくて事なきを得たそうですが。お互いが善意で、素人同士でファイナンスしていたということなんでしょうね。

医療関連事業の前はカレー屋を始めようとしたそうで、事業自体はなんでもよかったんだと思いますよ。だけど、ここなんじゃないか、と試行錯誤しているうちに、日本を代表する押しも押されぬスタートアップに成長していった。だから、ヤンキー的なメンタリティーの創業にも、十分に社会的意義があると思うんですよね。

大室:諸藤さんは、学生時代からトイレの中に四季報を30冊積んでいたというくらいのビジネスおたくで、まずはとにかくビジネスをやりたいという目的があったんだと思う。そんな風に、ビジネスで何かをやりたい、という理由で始めるスタートアップもあるんですよね。

音楽が好きだから音楽をやりたい、みたく、ビジネスが好きだから、という人。つまり、ゲームが好きだからゲームの会社を始めて、会社が大きくなってきて社会性を帯びてくるパターンもあるということですよね。

『こち亀』から『ダイの大冒険』への跳躍

大室:三浦さんがさっき言ったような、ロックスターぽいというか、「とにかくを俺を認めてほしい」「『俺』を出すための手段としてのスタートアップ」というか、どこまでいっても俺、という人もいるじゃないですか。昔だと飲食経営者に多かった気もするけど。

「俺」が好きな人のお店の看板は、ラーメンの横の「俺」がだんだんでっかくなって、店が1店舗増えるたびに2ミリずつ身に着けている腕時計が大きくなっていく(笑)。

朝倉:ありがちだね(笑)。個人的にはちょっとお付き合いするのはしんどいかもしれませんが、出発点はそれでもいいんじゃないですか。

三浦:僕も思っていることがあって。それは、立場が人を作るということ。最初は野心や、やんちゃな気持ちで「とにかく金が欲しい」だとか「俺を見てくれ」と始めた人が、人を雇って、立場ができると変わっていくことは往々にしてあると思う。

僕自身も以前は広告のクリエイターとして、「今回はJINS」「今回はコカ・コーラ」みたく、一話完結型のこち亀みたいな世界観でやっていたのが、経営者になってから変わったんですよね。

こち亀的な世界観から、ダイの大冒険的なストーリー型に人生の設計が変わったということがあって。昔のように、賞が欲しいとか、俺のクリエイティブを見ろとか、俺が一番優秀だというマインドが少なくなった。

それよりも、GOという組織に対する愛情とかプライドが先に出るんですよ。昔から僕を知っている人からは「三浦は経営者になって包容力が出たよね」と言われたりするくらいに。

そういう風に、組織や立場が人を変えることもあるから、スタート地点はなんでもいいのかもしれませんね。その後に、正しい変化のきっかけが訪れるような環境があるかどうかなんだと思う。

大室:そうなんだよね。例えば、銀座のクラブのナンバーワンホステスの人がママになったら、今度は自分が後ろに立って周りを出していく立場になるみたいに。ママとは、監督の立場だから、そうなった上でも周りのスタッフが辟易としてくるくらい、「代打わたし」が前に出てくると、しんどくなる。

会社でいうと、社長があまりにも「俺、俺」でメディアに出たりすると、社員が会社から出ていっちゃう問題みたいに。社長も前に出てるんだけど、その立場によって社員である自分たちのことを前に出そうとしてると感じられる塩梅というか。

だから、変化も、例えばホステスからママへ、プレイヤーから社長へ、とかあるけど、上手い具合のバランスが必要なんでしょうね。

「カリスマ」は何が違うのか

朝倉:そういった変化は必要だよね。たまたま昨日、オンラインで東大の集団OBOG訪問みたいなイベントがあったんですよ。僕も参加したんですが、学生さんが「スタートアップに興味があるんです、やりたいんです」という話をしていて。それを聞いた先輩の社会人が、「スタートアップをやりたくてスタートアップやるって、考えがおかしいんじゃないか」という指摘をしていたんですね。

「やりたい事業がある」とか、「解きたい課題がある」という中身が先にあったうえでやるもんだろ、みたいなまじめな話をしていたんですね。たしかにそれは正論なんだけど、形から入って始めた結果、後からついてくるものもあるわけですから、あんまり小賢しく順番を気にしなくてもいいんじゃないかと思うわけです。

繰り返しになるけど、ヤンキー気質というか、一旗あげたい、自分で何かやりたいという人は、僕は好きですし、大事なことだと思いますよ。
一方で、大室さんが指摘するように、何かを始めた後に変化できるか、進歩できるかという点は重要ですよね。熱量を持った人が、「俺、俺」のままで進歩しない時、残念な気分になることはあるかもしれません。

三浦:朝倉さんは投資家として、その人が変化するところを見たいという気持ちがあるんでしょうね

朝倉:人が変わり得るということに期待を寄せているのかもしれませんね。実際に変われるのかどうかは分かんないけど。

三浦:変わるということに対して、蓋然性が設計できたらいいんでしょうけどね。

朝倉:なかなか分かんないよね。

大室:変わらない人はなかなか変わらないしね。

三浦:ダメな人は自分のために仕事をする、普通な人はクライアントのために仕事をする、イケてる人は世の中のために仕事をする、本当にすごい人は自分のために仕事をしているのに、結果世の中のためになっている。という話もしたことがあるんだけど、そういう規格外の天才も中にはいますよね。

大室:いるね。そういう人は、時代との妙なシンクロ率を誇っているんだよね。カリスマと呼ばれる人は、全部自分のため、なんなら彼氏・彼女のために書いた歌詞でも、100万人の人が「これは私のために言われている」と思えるようなものを生み出す人なんだよね。

矢沢永吉さんとか尾崎豊さんとかそうなんでしょうけど。二人称の、「You」が複数形になってしまう感じ。何を言っても、自分に言われていると、みんなが思えるようになる人。それに近いのかな。

朝倉:天然で集合的無意識にシンクロしちゃっている人ね。

大室:そう。そういう人がスターであり、カリスマと呼ばれるけど、起業家でも本当は自分のためにやっていることが、世の中のためになっている人がいる。シンクロ率が高い人はスターだよね。

朝倉:僕ら3人とは思えないほど、まともな話になってしまったけど、農耕民族であれ狩猟民族であれ、いろんなキャラが増えてきたということは、ダイバーシティが豊かになってきたということで、喜ぶべきことなんじゃないかと思いますよ。


本稿はVoicyでの「論語と算盤と私とVoicy」の放送に加筆修正した内容です。

ライター:栗原京子 編集:代麻理子

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