交響詩篇エウレカセブン見た
全50話のエウレカセブン見きった.ANEMONEも見た(アマプラにあったので).僕は一旦一度始めると終わりがある場合全部見切らない(ないし読みきらない)と別のことに移れないため結構きつかった.後半の十数話は展開も結構あって面白かったけど,途中は中だるみが激しかったし,サッカーの下りとかわけわからんってなって,本当に見るのやめようか迷った.あれいる?謎の使命感に支えられ(襲われ)ながら見ていたためか,眼球奥がめちゃくちゃ疲れているし,ギター触れなくてもう自己嫌悪も甚だしい.この文章を最後に卒業したい.
アニメ独自の言葉が多くて,それを理解するまでに相当な時間がいる.けど,結構仏教の言葉が多く使われているなという印象があった.あとあと調べたらやっぱり仏教用語多かった.
主題がなんだろうという疑問はやっぱり今でも残っていて,「コーラリアン/人類」の共存か対立か,みたいなところだったのかなと思ったりしている.エウレカがコーラリアンと人類の架け橋的な存在であったと明かされて,エウレカの答えがその後の運命を決める的な.あれ?こういうのあった気がするけど,なんだっけな.
どの結末に向けて物語を走らせていきたいのかが見えづらかったように思っていて,そのせいで間の話もすこし怠惰な印象を覚えてしまった.(僕の読解力のなさのような気もするけど).コーラリアン/人類を対比させるにはコーラリアンの出現まで伸ばしすぎていた気もするし,ボーイ・ミーツ・ガールを中心に持っていくのであれば,レントン間抜けすぎない??
サクヤに導かれてゾーンの先の「約束の場所」にレントンとエウレカは向かうんだけど,その時の二人は「二人一緒なら大丈夫」っていう感じで向かったのに,先が見えなくなった手前お互いにお互いを責めだすのだるすぎた.(これは少年少女の本来だという視点もあるけど,ちょっとアニメでそれやる?って感じ,今までの数十話超えた今だよ?という).レントンに限っては,「僕がエウレカを守る,守ってみせる!!」とか執拗に言っているのに「この先どうやって進めばいいの?エウレカならわかるんじゃないの?なんでわかんないの?」とか責めていて腹立った,嘘つきじゃんね.
あと3人の子どもたちいる?最後の約束の場所に行くときに.
エウレカの犯した業を精算させるために必要だったって意見ありそうだけど,それよりももっとレントンとエウレカの間の掘り下げが必要だった気がするんですよね.
エウレカから羽が生えたときに「綺麗だよ」ってレントンが言うシーンは良かった.僕も好きな人から羽が生えてきたときには絶対言うと誓った.あれですね,好きから愛に変わるのは,その姿が変わっても共にいられるかみたいなところはありそうです.
アネモネとドミニクの関係もあまりわからないまま終わってしまった.おそらく細かいところまで見切れていないからだろうけれど.一度ドミニク・アネモネとレントン・エウレカが邂逅したシーンで「お互い困った人を好きになってしまったな!レントン!」みたいなことをドミニクが言うシーンがあるんだけど,その掘り下げどこ行った?
あとあれだ.最初はニルバーシュの中のコンパクドライブの中の表示に「EUREKA」と英語表記だったのが,最終話直前には「エウレカ」ってカタカナで書いてあって世界観崩壊してて笑った.しかもレントンがニルバーシュtype 3になった後に表記で「レントン」って書かれてるしもう何がなんだか...と思っていたら最後二人は愛に落ちて,月にハートで「エウレカ|レントン」って書いて流石に拍子抜けた笑
どういうこと笑
コーラリアンと人類はわかり合うことができた,までは理解できる.でもハートにお互いの名前を相合い傘みたく書くのはどうなんじゃろか.これも笑ってしまった.話が重かったから最後は笑いで収めようとしたってことなのかな.
同じロボットものとして見るなら,コードギアスとかは一応ぎりぎりになったら脱出機みたいのがあって,必要以上に人が死ぬことはなかったけど,この作品はその辺り普通に人が死んでますね.レントンが人を殺したときに「うわー」ってなってたけど,それよりももっと前から人は死んでいるという.
ハイレボリューション/ANEMONE は,ストーリーも無駄なところ無くてよかった.アニメ版とキャラの性格やドミニクがなぜかAIになっているとかあったけど,僕はすぐ受け入れられた.アニメ版のシーンを重ねるところは良かったなー,一部で繋がりがあって一部では繋がりがないということがすぐわかったし,アニメ版を尊重していることが伝わってきた.
もう少しアネモネのことを掘り下げて,アニメ版ではどうして薬を打つ部分が作られているのかとかその辺り掘り下げてくれるのかなと思ったけど,そうではなくて違う世界線だった.そうだとしても,話としてはしっかりまとまっていた気がして良かった.
最後に比較しなければならないのは,エヴァですね.先述したとおりエウレカは仏教語が多用されていて(ANEMONEでは「涅槃の卵が...」と残されていた),エヴァは聖書からの引用が多かった.
この辺り邪推してしまうと,エヴァとは違うんやでって表したいために引用を変えたのかなって思ってしまった.コンパクドライブは「魂魄」だし,アミダドライブは「阿弥陀」だし.
でも魂の形っていう話でもなかったからどうなんでしょ.
世界系でまとめてしまうのも簡単ですが(世界系とは簡単に書くと男女と世界が対立していて,男女の命運が世界の命運にかかってる的なやつです.天気の子は明らかにそうで,広義で見ればラピュタなんかもそうですね),ちょっとそこにたどり着くまでにこねすぎた感じを僕は感じてしまいました.
ただ好きな人も多いんだろうなって思います.僕はもう少しニルバーシュを掘り下げてくれても良かったかもしれないです.
というか,ニルバーシュがコーラリアンに武装したものだったとか結構エヴァっぽくない?そこは敢えてなのでしょうか...僕にはわかりません.