自殺報道は積極的に!
自殺報道を抑えるべき、避けるべきみたいなことを言う有識者みたいな人たちがいるが、死にたい当事者からすれば間違っていると思う。
自殺報道を積極的に行うことで、死にたい理由を開示してほしい。その理由が社会で解決できるものであれば、解決策を実行すればいい。
一方、社会では解決できないものもあるはず。例えば治療法のない病気の苦しみ。そういう病気で苦しんでいる人はどうすればいいのだろうか。
数年前、京都で難病ALS患者の女性が、医者に130万円払って安楽死した。本人は生前SNSに安楽死したい旨を何度も発信していた。でも今の日本では安楽死は認められていない。では、どうすれば彼女を助けられたのか。
本人が「死にたい」と言っているのに、今の日本ではまともに取り合ってくれない。むしろ考え方を変えさせようとするばかり。それでは死にたい人は相談できない。自分の苦しみを理解してくれそうにないわけだから。死にたい人が言い易い環境を作るには、死にたい気持ちを認める必要がある。だから希望者には安楽死を認めるべきだと思う。
安楽死を認める事で、死にたい人は死ぬ事を相談することができる。死にたい理由も相談で言うことができる。
今の社会は、死ぬ権利を認めないから、死にたい人が相談できず、死にたい理由も自殺者の3割ほどしかわからず、社会はまともな対策を打てていない。それどころか、自殺を止めるだけの対策で、死にたい人の苦しみを理解しようとはしない。それではいくら経っても、死にたい人は生きている限り救われない社会が続くだけだ。
自殺の報道で、死にたい理由、そしてその理由への社会的な対処が検証されることで、相談しても助けられない人たちをどうするのかの議論が深まると思う。
自殺を止めるだけでは死にたい人は救われない。
死にたいほどの苦しみを止めて初めて救われる。
死にたい人がなぜ自殺をしたのか、そして社会はどうできたのか、できなかったのか、ちゃんと検証する必要がある。
そのために自殺報道を積極的に行い、皆が考える必要がある。
今みたいにまるで臭いもの(自殺)にフタをするような、自殺報道の抑制は絶対に間違っている。
真面目に考えればわかるはず。今の社会状況では救えない人がいること。苦しみをなくすためには、安楽死など死ぬ権利を認めるしかないことが。そして、死ぬ権利を認めないことで、苦しむ人を自殺するしかない状況に追い込んでいることに。
死にたい人の最期の声なき声を拾い上げ伝える義務が自殺を防げなかった社会にはある。
死ぬ以外に苦しみをなくす方法がない人がいることを無視するのはやめにしよう。
サポステとの闘いで郵送代などが色々かかっています。親にはサポステに行っていることを内緒にしているため支援もなく苦しいです。少しで良いのでご支援していただけると嬉しいです。