【メルカリ創業者】山田進太郎(しくじりJAPAN#1-2)
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■「代表やるなら進太郎だよね」
転機は早稲田大学教育学部に進学して訪れた。
早稲田大学のサークル『早稲田リンクス』の代表となったのだ。
時はインターネット黎明期。早稲田も学生のインターネット利用を強化し始めた時期で、山田は入学した年の夏、大学のパソコン授業で初めてインターネットを体験。
衝撃を受け、即座にパソコンを買ってネットに接続した。
■「居場所」となるサークルが誕生
その頃時を同じくして、ウェブメディアの運営を中心とする公認サークル「早稲田リンクス」が誕生した。
テレビ局や新聞社などに内定した4年生が、『人と情報の交差点』を標榜し動き始めた。
創設メンバーの一人、現ユーザーローカル社長の伊藤将雄は、
『ヤフーが丁度サービスを始めた頃で、我々も学生のポータルサイトを作ろ
うと思った』
と語っている。つまり、運命とタイミングと想いが交錯した瞬間だ。
山田は1年生の終わりに、知人の紹介で早稲田リンクスの門をたたいた。
一足先に入部した同学年の矢嶋聡は
『朴訥としたオタクが来た』
と受け止めたが、後に
『こんなすごい奴がいるんだ』
と先入観を改めることになる。伊藤もこう言う。
『彼は、やり手。そして巻き込む能力が非常に高い人』
ウェブサイトやメーリングリストの構築や管理に長けていた山田は、技術面で大活躍を見せる。
そして2年生の時、山田はリンクス3代目の代表となった。
■代表になったのは、たまたま。
先輩が就職活動に入るので代替わりを早めたいとなったが、2年生を見渡せば、男子はたった2人しかいない。
「もう一人」の男子だった矢嶋聡は、当時をこう振り返る。
「広告研究会の縦割りや体育会系のノリが合わないなと思っていたところに、新しいインターネットというメディアで面白いことをやろうとしていて、フラットで牧歌的な雰囲気のサークルがあると知り、入ったんですね。広研にいた女子もドサッと引き連れて。だから僕も女子もオアシスを見つけたような感覚で、ガツガツやる感じではなかった」
「でも進太郎はサイトのデザインとかリニューアルを率先してやっていて、代表やるなら進太郎だよね、と必然的に決まりました」
■ふりかえり
インターネット時代の黎明期に大学の授業でパソコンに触れる
衝撃を受け、引きこもりながら自宅でウェブ関連の技術を鍛える
たまたま同期が2人しかいないサークルで代表に指名される
だんだんと経営者、創業者に共通する「運」と「好奇心」、「行動力」が垣間見えるフェーズに入ってきました(笑)
やはりこれからニーズを生む業界に対していち早く関心を持って、楽しくのめるこむ程に夢中になり、自然と身に着いた技術が役に立つというのは、
これから副業ややりたいことを見つけたい人には参考にすべき話でしたね!
今週の過ごし方は自分次第、楽しいも辛いも自分の行動と感情次第です。
ぜひ自分の人生は自分で作っていきましょう!それでは良い1日を!
Have Fun!
ジョブログでしたー