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自分を卑下するコミュニケーションスタイル


なんとか臨時職員的な感じで働けそうなので、1年にも及ぶ無職生活ともどうにかおさらばできそうで一安心だ。


と共にこの下品、極まりない記事も載っている僕のNoteが偉い人にバレた時のリスクも少し心配だが、まぁ別に法を犯しているわけではないのでバレた時に考えよう。


自分を卑下すること

先日友人と久しぶりに会い、その時に僕のコミュニケーションスタイルの話になった。

僕が良くやるコミュニケーションの取り方には決まったパターンがある。

それは自分を卑下するコミュニケーションの取り方である。例えば初対面の人と話す時によく使う会話の例。

「私なんて運が良かっただけで、大したことないですよ。笑」

「自分なんて木偶の坊なだけで、笑」

「たまたま〇〇高校に合格できただけです。笑」

「家庭環境はめちゃめちゃ貧乏ですよ、笑」

「今までいじらキャラで、結構バカにされてきて生きてきましたよ、笑」


最後に「」が付いているの最たる特徴である。薄ら笑いを想像して頂ければ一番イメージに近いと思う。要するに

「自分はこんなにしょうもない人間なんですよ。」
「あなたより低い立場の人間なんですよ。」
「自分はかわいそうな人間なんですよ」

自分を傷つけ卑下する事で相手に取り入れられようとするコミュニケーションスタイルである。

藤木クンのイメージがしっくり来ると思います


このコミュニケーションスタイルは男性相手には非常に有効で、相手に優越感を持って貰うことでコミュニケーションが円滑に進む場合が多い。特に年配の男性相手には効果大で、但し同年代の場合、対等な関係とは見なされず、舎弟の様な関係性になる可能性もはらんでいる。

逆に女性相手にはこのコミュニケーションスタイルはあまり有用ではない。マッチングアプリで対峙した初対面の女性の方の反応を見ると引き気味の反応が多く、「何かおもしろいね。」と言ってくれた方も数回会う内に私のコミュニケーションスタイルに辟易してそれっきりとなってしまうのである。多分女性はマッチョイズムの強い男性に性的魅力を感じるのかもしれない。


ではなぜ僕はこのコミュニケーションスタイルを取るようになったのだろうか。

答えは中学の時に「いじられ」キャラになったことだと思う。

振り返ると僕は中学の時にはすでにこのコミュニケーションの取り方をしていたと思う。今でこそ大男になりましたが当時は150cm程度の体格で、イケてるサッカー部やバスケ部の生徒から段々と「いじられる」ようになった。彼らは中学生にしては大柄で先生からも異性からも同性からも人望もあった。

その時の僕は自分が「いじられる」ことで

「スクールカーストの上層部に目をかけてもらえる」「自分の居場所を確保できる」

と考えていた。何とかして自分の場所を確保することに必死だったと思う。自分が「いじられ」キャラになることで自分の居場所を確保していたわけだ。自然界ではネズミにはネズミの生存戦略があると言う。僕には僕なりの生存戦略があった。


そして自分が「いじられ」キャラを演じるに当たり、このコミュニケーションスタイルは非常に役に立った。相手に優越感を感じてもらう事で自分の「いじり」へとつながり、「いじり」が自分の居場所の確保に繋がっていたからである。中学時代のサッカー部のパシリみたいな「いじられ」キャラ想像してもらうと分かりやすいかもしれない。

しかし副作用ももちろんある。もちろん自分が「いじられ」キャラ的な立場からは絶対に抜け出せないというのもあるが、一番は本当の自分が良く分からなくなるということだ。

デパス

実は「いじられ」キャラにも序列がある。イケてる連中はその時の気分で新しく「いじられ」キャラをを作ろうとする。そうなってくると僕の立場が揺らぐわけだ。そんな時は自分から積極的にあえて「いじられ」を狙う事が良くあった。時には過激なことをしたりもして、どうにか自分の居場所を保とうとしていた。

「いじられ」と「いじめ」の境界線は本人次第と良く言うが、視野の広がった今、当時を振り返るととっても愚かだったと思う。当時の自分にとっては学校は日常の大部分であり、居場所の確保に必死だったのだ。

学校ではそれで良いが、家に帰ると「学校での自分」と「家での自分」の乖離に苦しむことが良くあった。本当の自分はどちらなんだろうという気持ちである。

そして次第に「いじられ」キャラが本当の自分だと考えるようになった。学校で過ごす時間の方が長いし、メインを「学校でのいじられキャラ」にしておくことで、切り替えの負担が少なくて済むと感じるようになったからである。そしてそれは高校を卒業するまでずっと続くことになり、本当の自分が分かった現在でも、自分のコミュニケーションスタイルに強く影響を与える事となった。

アメリカにもスクールカーストあるらしいですよ


言葉は言霊


実は僕の体に染み込んだこのコミュニケーションスタイルはある危険性を孕んでいる。それは自分の自信、プライド、自尊心に強く影響を与える可能性があるという事である。

このコミュニケーションスタイルはとっても楽である。自分を一度下げることで相手を相対的に上の立場に強引に持ち込むので、どんな人もそこまで嫌な気持ちはしないし、自分を下げることは簡単で特段自分で何か努力する必要もない。自分のことを自信満々にアピールし相手と打ち解けるよりも、自分を下げる事の方が段違いに簡単である。

しかし言葉は言霊である。口にしたことは本当になる。自分を下げる発言をしていく内に本当に自分が取るに足らないつまらない人間だと感じるようになる。そして結果として自己肯定感の低い人間の出来上がりである。また一度下がった自己肯定感を元の水準まで上げることは難しい。


僕は結果として自己肯定感の低い人間になり、今もこのコミュニケーションスタイルが抜けきらない。自己研磨するよりも圧倒的に自分を下げるほうが楽だと感じてしまっている。

でも、もし同じような立場にいるキッズが今いるとしたら本当の自分を大事にすることを考えてほしいと少し思う。仮の自分を続けることは将来の自分の自信に大きな影響を与えてしまう。本当の自分をさらけ出してみて、それが学校で受け入れられなくても、外の世界では受け入れられる可能性があることを知ってほしい。


自己肯定感が下がった人生は辛いのだ。