未来はこうなるかも②自分の寿命を自分で決める
そんな時代が来そうだ。
まあ要するに、尊厳死などの問題が絡んでくる話。
天命をまっとうする、ということ。
それが自然の摂理であることは、まあ、多くの人が納得できるでしょう。
ただ、現実は、だ。
生きることにネガティブになってしまう要因もまた、人によっちゃ、多い。
そういう中で、「生きる」ということを選択する、というのは・・・?
なかなか勇気のいるケースだ、ってのも、ある。
それ以前に。
体力、労力、経済力だって、求められる場合だってある。
で、私が予想しているのは、さらにそこから一歩深く、踏み込んだ未来。
つまり、寿命年齢を、60歳なら60歳、40歳なら40歳、と。
自分で、決められる・・・ようになるかも?
ということだ。
もちろん、これは、いいとか悪いとかの、是非の問題ではない。
そうなりうる未来が、現実に近づきつつあるという、事実である。
その上での予想、という意味。
予想ね。期待じゃなくて。(主観は抜き、ってことね)
まあ、逆に「期待してない」とも、言えないけど。
もちろん「現代の」常識感覚で言えば、これは衝撃的な話である。
当然、不謹慎に感じる人も、多いことであろう。
ま、その是非はさておき。
未来において「今の常識」が、どこまで常識であり続けるか。
こればっかりは、わからない。
私は、預言者でもなければ、未来が見えるわけでもないから。
ともあれだ。
寿命とは何か。
天命とは何か。
生きる価値とは何か。
これには、さまざまな考えが伴ってくる。
哲学的、倫理的、社会的、経済的。
あらゆる次元で、論議や自問自答を重ねる必要が出てくる。
生死って、実は人間の根本問題だからね。
また、制度でコントロールし切れるか、というと、それまた難しそう。
いろんな意味での「悪用」の問題だって、きっと出てくるだろうし。
そもそも、何が善で、何が悪なのか。
それ自体が根本的に問い直されることにも、なりかねない。
ただ、善悪とか是非とか、価値観の問題はともあれ。
すでに事実として。
自分の寿命を選べるという物理的、医学的な技術は、構築されつつある。
あとは、それがどこまで、一般化、実用化されるか、だ。
その門戸は、これまで以上に広くなるんじゃないかな。
想像だけどね。
とうぜん、模索は続くであろう。
寿命とは、人生時間のコントロールの問題だ。
極めて重要な問題である。
そんなにカンタンに、答えがスパッと出るとは思えない。
また、たったひとつの結論になんぞ、収束できるはずもない。
そもそも。ある主体の寿命をさ。
まず、誰が決めるの?
本人だけで、決定できるの?
何を基準に、決めるの?
たったこれだけでも、なかなか難しい問題だ。
まあでもね。
生きるという価値を根本的に問い直す、ってこと自体は、建設的な話だと思う。
そういうムーブメントというか、流れそのものは、これからも、さらに重みを増していくんだろうな、きっと。
その上で。これは個人的な勘なんだけど。
究極的には、やはり「こころ」の問題に、帰結するのかなぁ。
そんな気がしている。
ともあれ。
今の常識が、未来の常識であるとは、限らない。
変わりゆくもの。
変わらないもの。
一旦変わったが、一周回って、元に戻るもの。
価値観もさまざま変転、多様化、することであろう。
さあて、どうなることやら、だ。
・・・あ!
てかさぁ、その前に。
私は、そもそも、どうしたいの?
・・・おおっと。
自分に意表をつかれた質問をされてしまったぁ。
いやいや、これは意外と・・・。
そうスンナリ、答えが出ないぞ。
今置かれてる年齢や状況によっても、変わってくるかも、だし。
むむむ〜、こりゃ、ムズカシイなぁ。
ま、「🎵そのうち何とか、なるだーろーおー・・・」
・・・じゃ、だめ?
こまったねえ。(←いやいや、こまってないでしょ)
あはは。
2024.12.20