ササる言葉は、書き手の生き様の投影
「刺さる」とほぼ同じ意味だが字ヅラが不穏なので、あえて「ササる」と表記する。
ノートを読む時、私はざーっとスクロールするようにしている。
そこで「おっ」と興味が湧くようだったら、再読。
そこで初めて、精読する、といった感じだ。
これは、ノートの記事、独特の特徴でもある。
それゆえに自然とこういう読み方が身についたものだ。
つまり、一瞬のスクロールでも、
その字ヅラというか言葉から滲み出てる雰囲気から、
「もう1回読みたい」となる記事がわかる。
特に、自分の心にグッと入ってくる言葉、つまり「ササる」言葉。
そういう言葉を放てる人は、他の記事を見ても、何か惹きつけるものがある。
なぜだろう。
もちろん言葉選びのセンスがある、というのはわかる。
でも、それだけじゃない気が。
これは想像だが、おそらくだが、
やはり、投稿者自身の「生き様」が、自然と投影されているんだろうね。
なんとなくだけど、そんな気がする。
もし、「自分も注目される記事を書きたい」と望む人がいるのなら、
そういう視点で、自分の記事を読み返してみるといいかもしれない。
しかし、自分の記事の再読だけで、自分の良さを知るって、なかなか難しい。
だから私は、まず他の投稿者の記事を読む。
そして、自分の記事に立ち戻る。
この際、できれば、ずいぶん前に書いた、忘れかけているような記事の方が良い。
「なんじゃこりゃ」という駄作もあろう。
逆に、「自分で書いた割には、結構いいね」っていう記事も、見つかるだろう。
そうやって、見比べていく習慣をつけていくようにしている。
参考になるかどうかわからないけど。
ちなみに、
私は、フォロアー数とかは、正直、気にしてない。人のも。自分のも。
フォロアーの少ない方でも、魅力的な記事を投稿している人は多い。
私自身、ちょっとでも面白いと感じたら、即座にフォローバックする。
まあ、中にはどうしても都合によりできない場合も、まれにある。
(サムネの図柄とかね・・・どうしても都合で。ごめんなさい。)
もちろん、その人たちの投稿や中身を否定するつもりは、全くないですよ。
あと、表題や文章の長さも、大した問題ではない。
よく、短ければ良い、長い文は悪い、なんて思われがちだが。
必ずしもそうとは限らない。
惹きつけるものがあれば、長い文章でも再読する気になる。
まあともあれ、ノートを通してそういう素敵な記事に出会うことで、
「今日は何を書こうかな」というモティベーションやアイデアを、
ふと、もらっていたりする。
だから、ノートのトップページ(ブラウザ版)は、
必ず目を通す習慣になっている。
サムネの図案。そして表題。
いろんなアイデアや、ひらめきをもらえている。
(皆様に、感謝です)
またこれからも、いろんなトコロから、刺激をいただきたい。
2024.8.30
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