紙の本が電子書籍より優れているメリット。(もちろんデメリットもあるよ)
どっちかといえば、やはり私は紙の本が好きなんですよね。
いや、もちろん長所も短所も両方ある。
でも、とりあえず順番にいこう。
てなわけで、今回はまず、紙の本のメリットについて紹介。
①結局、速い!
「あ、あの本のあのページ、読みたい」
そうひらめいた瞬間から「よーい、ドン!」。
さあ、電子書籍、バーサス、紙の本。
どっちが、そのページにたどり着くのが速いか?
結論。
紙の本のほうが、断然速いのだ。
何度試しても、いっつも、そうだ。
理由も、はっきりしている。
理由1。
紙って物理的に手にとって存在しているものだから、独特のサイズ、ロゴ、フォント、背表紙の色がある。
タブレットやPCを立ち上げてるあいだに、すでに発見できてしまう。
理由2。
同じく、紙の本って、手に取れるから、本全体のどのへんに調べたいページが位置してるのか、なんとなく覚えてる。小口の汚れとか、折れとか、ページについている読み跡でもわかる。
一方、デジタルでは、これが非常にわかりにくい。正確に数字で、何ページのどこ、っていちいちスクロールする必要がある。
じゃあ、なぜそこまでスピードにこだわるのかって?
これは人それぞれだ。
私の場合は、「ひらめいた」瞬間に、そのページを1秒でも早く見たい衝動に駆られる。
さもないと、浮かんだイメージが散り散りに霧散してしまうのだ。
大袈裟な話抜きで、ホントに「1秒が大事」なのだ。
②ラインが引ける。メモが書き込める。
私は自分の本に、日記帳の如く、自分の感じたことをガンガン書き込む主義だ。
だから、再び開ける時、「あああの時こんなことが閃いたんだな」と感じたり、それが新たな発想になったりする時もある。
そんな本たちだから、私の持ってる本は、愛着があるものほど、ボロボロだ。
とても古本屋で売れるような状態ではない。
そもそも私は、古本を人に売ろうという発想がない。
売るくらいなら、自分で処分する。
もちろん人に貸したりもしない。
自分の日記帳を人に見せたがる人間は、そうそういないだろう。
③いつでもどこでも読める。
タブレットpcというのは、便利なようで、意外と不便なのだ。
結構、重い。
水気にも弱い。
飲み物とかこぼしたり、風呂で読んだりはできない。
さらに、昔買ったものだと、なんだかんだで再ダウンロードが必要だったり。
結構面倒だったりするのだ。
紙の本は、そんな煩わしさがない。
重さは、結局大して変わらない。
風呂でも読める。コーヒーを飲みながらだって飲める。
こぼしたっていい。どうせ自分しか読まないんだから。
人に同じ本を勧めるときは、書名を教える。「貸す」という行為はしない。
④情報が、新しすぎないのが、かえっていい。
最近の洪水のような動画SNSの量を見てればわかるのだが。
情報って、ただ新しけりゃ、いいってもんじゃない。
量ばかり多い割には、そのクオリティが、どうなの?ってものも多い。
はっきり言って、玉石混交だ。
内容が伴っている最新情報はもちろん価値的だ。インスパイアもされる。
だが、ただの金稼ぎとか暇つぶしとか愚痴とか、見てるだけで嫌になるものも多い。サムネを見ただけで、ウンザリってのが目につく。
例えば、人の悪口とか、人の足を引っ張るたぐいの記事だ。
特に最近は、景気が悪いせいか、人の心のすさみのようなものを感じる。
作り手の、人としての軽薄さや卑しさすら感じる、不快なものだ。
仮にどんなにそれが正論であっても、眉をひそめたくなる。
コンテンツとしての最低限の品性とかはやはり必要だし、それが欠落してると、どこか、下衆な雰囲気が、にじみ出てしまうものだ。
まあ、投稿するのは自由だが。
別にこっちが見なきゃいいだけだし。
ただね、あんなもん出しといて、「最近はyoutubeもレッドオーシャンで・・・」とか言ってるのを聞くとねぇ。笑。
いやいや笑。
自分がどんなものを世に出してるのか、ちょっと冷静に振り返りなさいよ、って。
まあ、それはさておき。(長いね、毒舌パートが。笑)
それに引き換え、古い情報だって、いいものはいい。
もちろん古い情報だって、俗悪なものや偏屈なものはある。
しかし、それは時間の経過とともに、いつか消え去ってる。
これはと信用できるような情報は、年月という風雪に耐え、時代を超えて生き残る。
フィンランドの脱ICT教育じゃないが、一周回って、再評価される理論だってある。結局、昔から唱えられてたことの方が正しかった。なんてこともある。
つまり、時代がどう変わろうと、これはと信用できる情報は、年月という風雪に耐え、時代を超えて生き残る。
単純に、情報の新旧で割り切れる問題ではない、ってことだ。
⑤じゃあ紙の本のデメリットは?
ま、みんなに再三言われていることだけど、一応ね。
「場所を食う」こと。
そして電子書籍より、若干「高い」こと。
古い本は、独特の臭いが発生すること。
値段については、まあ、そりゃそうだよね。
紙っていうモノの費用が伴うんだから。
無形のバーチャルなデータの信号より、モノの方が高くなるのは当然だ。
あと、臭いは、部屋の通気や湿気とか日当たりとか、管理の仕方次第では、そこまでひどくはならないかも。
ちなみに捨て活する前の私は、本棚10本分くらい(!)紙の本を持ってたけど、臭いで困ったことは、特に感じませんでしたね。
まとめ
だから、どのくらい紙の本を所有するかは、自分でうまく調節していくしかないね。
自分で主体性を持って判断しようね、ってこと。
「あのミニマリストが、本は全部捨てたから!」だとか。
「あのインフルエンサーが、こんなに本を持ってる!」だとか。
いちいち、人の真似っこやパクリで、受け売りしないってことだ。
どんな有名人だろうが、人は人。あなたはあなた。
自分のアタマをちゃんと使って、自分で判断しようね、ってこと。
まあ、当たり前のことなんだけどね。
これもまた、余談だけどさ。
自分で動こう、自分で考えよう、ってしない人間に限って、文句やクレームを人につけたがるんだよ。
また、そういう人間は、いつも普段から、不満や愚痴ばかり言う癖ができてしまう。
例えば、選挙なんかもそうでしょ。
行かないくせに、社会への不満だけは垂れ流す。
「行かない理由」を探すエネルギーは、あるのにね笑。
要するに、主体性がないんだ。横着なんだ。
人として、根本的な性根の部分で、生きることに対する「怠け」があるんだ。
そういう怠慢さってのは、結局どこかで、自分をみずから卑しめていく。
当然のことながら、まともな人も、寄り付かなくなるよね。
「類は友を呼ぶ」と言われるように。
あらら、最後はまた、辛口で終わっちゃった・・・。
ところで今日さぁ、毒舌ひどいよね、私。笑
「いったいどうしたんだ?」っていうくらいの口っぷり、いや、書きっぷり。
今日だけで、もう4本も投稿したからかなぁ?
たんに、私がテンパってるだけかもしれない。
言い過ぎだったら、ごめんね。
あ、ちなみに。
もうお分かりでしょうが。
私は、電子書籍も紙の本も、併用してますよ。
では次に、「紙の本と電子書籍、どう買い分けるか?」
あるいは「両方買うか?」
その私なりの考え方についても、そのうち、投稿してみますね。
2024.11.2