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あらゆるものにいつか「終わり」「別れ」は来る。だからこそ「今」の感謝が生まれる。

どんなに永遠に続けたいことだって、
いつかは「終わりの時」がくる。

それを自覚することだ。

だからこそ、今日を、今を、大事にできる。


今日できることに、精一杯、全力で真剣に打ち込める。
真剣に臨み、真剣に遊ぶ。真剣に働く。真剣にふざける。
あらゆることを、真剣に、全力で、やり切る。
このマインドを、どこまでも大事にしたい。


あらゆるものに「別れ」「終わり」は、必ず来る。
今日すぐには、来ないかもしれない。
けど、万一、来るかもしれない。
それを謙虚に認めることだ。

だからこそ、今日穏やかに1日を生ききれたことへの感謝が始まる。

あらゆるものに、丁寧になれる。
人にも。モノにも。


もちろん、自分から好きこのんで、終わりの幕引きをするわけじゃない。

永遠に、やれるものならやりたいことなんて、いくらだってある。

永遠に、このまま一緒にいたい縁だって、いくつでもある。

永遠の若さ、永遠の命、永遠の縁があるのなら。
いつまでだって、続いてほしい。

だけど、残念ながら、どんなものにも、いつかは終わりが来る。
できなくなることもある。様々な要因で。
別れねばならない時もくる。
人は変わるものだから。人は動くものだから。あらゆる意味で。

だからこそ。
今。
あえて、あらゆるものに「終わりが来る」こと自体を自覚する。
努めて、意識する。

なぜか。
それが、今、ここで感じるすべてへの「感謝」になるから。
それによって、「今が大事」であることを再確認できるから。
「今」できていること。「今」いる人や存在。
「今」という時間を、大事にできるから。


いつか終わりは来る。
あらゆることに、謙虚に、それを悟れる自分でいたい。
嫌な現実から、目をそらしている場合ではない。
そんな了見では、
「今」「もっと」充実させられるものでさえ、中途半端に終わってしまう。

今の一歩を、大事にしたい。

今が最後かもしれない。
今しか持てない思い。今しか持てないモティベーション。
そして、今しか出会えない人や存在たち。

そのかけがえのなさを、どこまでも切実に、感じていられる自分でありたい。
そして、どこまでも真剣に、臨みたい。


今しかないもの。
一歩引いて考えると、大変わびしいこと。
あらゆるものが、そうなのかもしれない。

「でも、それだけでは、むなしいではないか。」

うん、その通りだ。
そう嘆きたくなる気持ちも、当然わかる。
しかし、残念ながら、栄枯盛衰、諸行無常、常住壊空は、世の理(ことわり)だ。
認めたくないが、それが摂理であり、実相だ。

それでも、永遠に存在し続けるものがあってほしい。
そう欲するのもまた、人として当然の願いだ。
もし。きっとそんなものがあるとするのなら。
きっとそれは、心の中にのみ、存在するものなのかもしれない。
だからこそだ。

「心こそ大切」だ。


究極、私がこの宇宙、この生涯で、信じ切れるものがあるとするならば、
きっとこの言葉に尽きると思う。

2024.10.2

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