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コードと色。「言葉で表しにくい」その共通点について。(考察)(ピアノこぼれ話)

コード、つまり和音について、人にどう説明しようか。
そんなことを、ふと考えていた。


そもそもコードとは何だろう。
自分では、何となくわかってるつもりでいた。
しかし、いざ人にそれを説明しようとすると、これは非常に難しい。


これは、色という存在についても同じだ。
つまり、感覚的に、知覚、受信はできている。
しかし、それを言語化しようとすると、途端に難しくなる。

例えば、「黄色という色を説明せよ」と求められたとする。
「バナナみたいな色」「とうもろこしみたいな色」とか、具体物に例えることは簡単だ。
ググっても「大判、小判のような色。」とかでてくる。
しかし、例えを用いずに説明しろと言われたらどうだろう。
どう説明すれば良いかわからなくなってしまう人がほとんどではなかろうか。
つまり、色という概念は、言語化して説明するのが非常に難しい。
ましてや、その美しさを説明すると、なおさら難しい。
個人個人の美的価値観、好みまで絡んでくるからだ。

コードも、それに似ている。
「何でここの始まりは1度なの?」
「5度のセブンスの次は、どうして1度が似合うの?」と、尋ねられたら、なんて説明すればいいのだろう。

そう、言葉で説明しようがない。感じてもらうしかないのだ。
「聞いてみてごらん、なんか、心地いいでしょう。」
「なんとなく綺麗でしょう。」
と言ったように、理由の説明に、なっているようで、全然なってない。
コードという概念もまた、言語的に説明するのが難しいのだ。


そう考えると、逆にこう思いつく。

色の美しさを説明するように、コードについても説明できるのではないか。

と。

例えば、コードと色の共通点を探してみると。
双方とも

異なる色あるいはコードを、集合・連続させることにより、一層美しさが引き立つ

という特徴がある。
色もコードも、適切な場所あるいは位置に配置し、それらを総合的・連続的に捉えることで、それぞれの色あるいはコードの持ち味というものが初めて分かりやすく認識される。いわば他の色やコードとの対比、対照により、その味わいがより増すものであるといえよう。


あとは、

使う色数あるいはコードの種類がより多ければ多いほど、表現の幅が広がる

というのも、似ているところだ。

例えば、赤青黄の三原色。
RGBなんてカラーインクの配合方式があるように、一応理論上は、この3色があれば、あらゆる色を作り出すことが可能だ。(とされている。)
まあ、無理に色を配合しなくとも、この3色の絵の具さえあれば、大概のものはカラーで描画することは、何とかできるであろう。
しかし、もっと手軽に、もっと多様な表現を展開したいのならば、当然、絵の具の色数は、多く持っていた方が便利だ。

コードも同様だ。
とりあえず、1度、4度、5度の和音さえ知っておけば、その調(キー)においては、あらゆる旋律(メロディ)に伴奏をつけることは、理論上は可能だ。もちろん違和感のない程度の伴奏、という最低限のものではあるが。
ただし、同じ旋律でも、「もっと独特の味わいを持たせたい」とか「雰囲気を変えたい」とか考えるのであるならば、多くのコードを使った方が、表現するのに便利だ。三和音だけでなくセブンスとかディミニッシュとか(よく知らないけど)、さまざまな和音を使いこなせた方が、楽曲としての彩りが広がったり深まったりできる。


他にも色々共通点があると思う。探してみるのも面白い。
さてそれについては、一旦、ここで一区切りするとして。
そもそもの話。

なんでそんなことを説明する必要に迫られたのか?


その動機は単純だ。

コードというものの概念と、そして面白さを分かってもらいたかった

からだ。
逆に言えば、ここまで説明してきたように、それを言葉だけで表現するのが、実際のところ、本当に難しい。
説明を受けている側からすれば、言葉だけで聞いているうちは、
「なんのこっちゃ??」であろう。
でもそこで終わってしまっては、もったいない。
何とかして、その魅力を伝えられないかとあれこれ考えた。

そして、そうやってモヤモヤ考えているうちに、結論が出た。
単純なことだ。
それは、

色も、コードも、感じてもらうしかない。

ということ。
言葉でなんか、説明できない。それが今の所の最終結論。
とかく我々現代人は「何でも言葉で説明できる」「何でも言葉で、論理で理由が知りたくなる」と欲しがちである。
しかし、この世界には、言葉による理由なんか、説明しようのない概念、果ては感情に至るまで、いっぱい溢れてる。

何でもかんでも「理由を述べよ」「説明責任を果たせ」なんて言ってるのは、ある面から言えば、何となく文明病のように見えなくもない。

まあネガティブな話はさておき。
ともあれ、色だって、コードだって、逆に、その魅力が分かってしまえば、その楽しさや奥深さは、それこそ無限である。計り知れない。

余談だが、今私がかなりハマっているピアノにしたって、これまでを振り返ると、その大半は、「いかに美しいコードをピアノで表現できるか」という、いわばコード探しの旅のようだったとも言える。
まあいささか大袈裟だが。
それを知らずにいるのは、もったいない。

だからこそ、その魅力を伝えるために、言葉以上に有効な説明方法を獲得しておきたい。
そんな動機から、「もしかしてコードって、色に置き換えて説明すれば、もっと分かってもらえるんじゃないかな?」なんて、ふと思いついたわけだ。


うーむ、やっぱり何だかうまくまとまらない。
私は直感と本能で生きてる人間だからね。
こういう理詰めな文章を背伸びして書こうとすると、ややこしくなる。
何となく、伝わっているかな?・・・自信ないなぁ笑。

2024.9.10

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ぼっちスト・茶凡頃(ちゃぼんごろ)
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