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不安があるから人間らしく生きられる。希望は待つものじゃなく、発掘するものだ。

ある音楽家がかつて語った。
「不安があるからアーティストなんだ。不安がなくなってしまったら、それは単なる芸能人にすぎない」と。
また、ある著名な学者はこういった。
「今の時代は、不安不安というが、じゃあ不安のない時代なんて、かつてこの世にあったのか。」と。
「先が読めない。結構じゃないですか。だから面白いんですよ、この世界は。」
と。


人に合い、ちょっと打ち解けた話をすると、
途端に「不安」「見えない」「希望がない」という言葉が聞かれる。
かつてないほど、多くの人の口から聞かれる。

待て待て。
「不安」と「見えない」は分かる。
だが、「希望がない」のは、ちょっと違うのではないか。

希望は、自分で発掘するものだろう?
希望という旗は、自分でかざすものだろう?
希望という帆は、自分で張るものだろう?
受け身になってる場合じゃない。

夢見る宝島が、即、希望なんじゃない。
黙ってても自然にもらえる、得られるものじゃない。
宝島を夢見て進む、その自らの動力源こそが、希望なんだ。

不安の波浪があるからこそ、希望を自分で探せるんだ。
そして、人生を深く思考することができる。
それがあるから、希望ある今を、生きられることに感謝できるんだ。

悪いが、希望がないってのは、単なる弱音にしか聞こえない。
生きることへの後ろ向きさ、泣き言にしか、聞こえない。
這いつくばってでも、探してみろよ、って、
もう一人の自分が対話相手だったら、そう言ってやりたいな。
例え自分が不安で転覆しそうとも。
強がり、痩せ我慢であろうとも。


「希望は一番最後に死ぬ」との箴言を、ふと思い出す。
そうだ。
だから私は、今日も1日、いくつも挑戦する。
自分という魂の器は、いいところも面倒なところもあろうが、
自分という魂の乗り物を、今日も全力で操舵するんだ。
不安な波浪の押し寄せる、この世界という大海原を。

2024.8.24

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ぼっちスト・茶凡頃(ちゃぼんごろ)
申し訳ないです!まさかチップをいただけるなんて、思ってませんでした。ありがとうございます!