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副業の道は、あせらない!着実に開拓を。(しくじり先生)(夢を叶えたいなら)

今回は、私のしくじりネタを紹介。
でも、それだけじゃ、つまんないので。
この投稿の文末にオススメ本のリンク、貼りました。
気になる方は途中スルーで、お先に、そちらをどうぞ。(ステマじゃないよ。)


日本人の働き方そのものが、大きく変わりつつある。
昭和・平成の時代は、終身雇用が当たり前。
「寄らば大樹の陰」と、大組織に忠誠を誓い、滅私奉公のごとく、全てを投げ打つ。それがあの時代の常識であり、社会人としての信用の証だった。
しかし、令和になり、時代は大きく変わった。
日本の経済力は国際的にも失速。国も企業も、経済力を失った。
国民や社員を、組織が、養いきれなくなったのだ。

だからこそ、多くの人々が、今、会社一本槍という働き方に不安を感じている。
副業という新たな収入源を求めねば、今も将来も食えない。
この副業ブームは一過性のものではない。
今後の我が国において、必然的に求められる生活手段だ。

しかしながら、だ。
人は副業副業と騒ぎ立ててこそいるが、ただ不安を口にするのと裏腹に、実際、副業と呼ばれる収益形態は、そこまで着実に浸透してるだろうか?
実際どれほどの人が、副業収入により、豊かな余裕ある生活を体現できてるのか、かなり疑わしい。
事実、兼業・副業禁止の雇い先はいまだに多い。
政権が変わる気配があっても、世の中、物価や家計のついて、晴れ晴れした様子など、まるで伝わってこない。
世情は相変わらず鬱々としてる。
国民・市民の不安は色濃くなるばかりだ。

まあ、改めて考えれば、それもそのはずだ。
つい昨日まで、雇われ先一筋に粉骨砕身してきた私達が、今日の明日でいきなり「自分で稼げ」と言われたって、そう簡単に仕事が見つかるわけがない。
ましてや、この不景気と格差化、貧困化だ。
かりに「これで食いたい」という天職らしき気配のものが見つかったとしてだ。
「食いたい」のと「食える」のは違う。
「やりたい」のと「できる」のは違う。

いくら理想ばかり高くても、肝心の顧客がいなければ、食いっぱぐれや廃業は、目に見えている。
デザイナー。ラーメン屋。寿司職人。理髪師。美容師。建築士。庭師。ミュージシャン。ユーチューバー。トレーダー。エッセンシャルワーカーでさえそうだ。保育士、介護士。看護師。いくらでも挙げられる。
どの業界だって、一枚裏返せば、死屍累々だ。
古参も新参も膨大数の人が、負けている。


しかし、だからこそ、今日のメインテーマだ。

副業開拓は、焦ってはならない。
着実に、時間をかけて、準備を進めていくしかない。

私も今、いろんな夢がある。
目の前の生活もある。
だからこそ、今改めて、そう自分に言い聞かせている。

仕事というのは、相手があってこそのものだ。
顧客のニーズや事情だって、当然重なってくる。
自分の理想や夢だけを掲げ、ああなりたい、こうなりたいと望むだけでは、失敗するのは目に見えている。
youtube投稿者の大半は、1000人のチャンネル登録者という収益化ラインのはるか手前で、もがき苦しんでいる。
億万長者どころか、明日の家計の足しにすらならない。そりゃそうだ。まんじゅうだか豆だかみたいな女の子に口パクさせて、どうでもいい情報をしゃべらせて、それでメシが食えるなら、人生苦労しない。まぐれ狙いのギャンブルと同然だ。
まあ、もっとも、サクセスストーリーなんて、いつの時代だって、茨の道だ。ゴールドラッシュをはじめ、一攫千金のうまい話なんて昔からある。自分の好きなことでメシを食うなんて、はたで傍観者が言うほど、きらびやかで簡単なことではないのだ。


さて、こんなことを私が言うとだ。
「そんな考えは、慎重すぎるというか、臆病ではないのか?」
「それでは、時代のスピードについていけないのではないか?」
そんな声が返ってくるのがわかる。

まあ、当事者以外の他人は、気軽にそういうでしょう。
すでにゴールインできた人もまた、気軽に言うでしょう。
先行参入者も、そうかもしれない。
喉元すぎて熱さを通り越しちゃった成功者は、「どうってことないよ」と軽く言い放っておけば、嫉妬を買わずにすむ。謙遜しておけば、自分の有能さを暗に誇示だってできる。仮に「もう二匹目のドジョウなんていないよ」と知ってたって、黙っていればいい。「信じていれば夢は叶うよ」と言っとけば、少なくとも自分は何も損しない。
愚痴や苦労自慢をこぼすよりは、その方が爽やかな善人だと見てもらえるからだ。

でも、現実はシビアだ。
言ってくれてる人たちの厚意には、それはそれとして感謝するにしても、だ。
その甘い言葉だけを真にうけて、夢に酔いしれるだけでは、現実は何も変わらない。
本屋で平積みに売られてる、サクセスストーリーのようには、誰もがうまくいくわけではないのだ。
奇しくも、私自身は、はるか前から、その手のサクセスストーリーに触れてくる機会が、多かった。私もまた、潜在的にはそんな成功願望があったのかもしれない。
まあそれはともあれだ。
少なくとも、失敗事例ってやつは、人よりは多少よく知っているのかもしれない。

紀伊半島のぼっち旅のひとコマ。世界は広いですね。
つらいときは、大空を仰いで深呼吸しましょうか。

まあそこで。恥ずかしい話だが、私のしくじり例をあげよう。

言っちゃなんだが、私はなかなかの「しくじり先生」ぶりだ。
しくじり先生の教員免許があるなら、結構な数の免許状になるだろう。
どれも、致命的でない程度の小さな失敗ではあるが、数だけはけっこう経験してる。


過去に私は、あるイラストの学校に通っていた。
自分はちょこっとだけイラストを描けるし、そこそこ、自信もあったからだ。
ある年、仕事を全て辞め、貯金を崩して、その学校に通おうと決めた。
プロのイラストレーターとして身を立てたい。そんな願望があった。
仕事を辞めて、貯金を崩し、一日中、絵を描き続ける日々があった。

さてしかしだ。

この時点で、もうお気づきの方も多いことと思うが。
これ、すでに、典型的な失敗パターンにハマっているのだ。

なぜか。

①お金が持たない。

貯金なんて、貯めるのは大変だが、消えるのは、あっという間だ。
数百万円なんてお金は、瞬く間に消えていく。これが現実だ。
挑戦している1日1日だって、食事はとる。
雨露凌ぐための屋根はいる。
電気・水道・ガスだっている。
日の当たらない下積みの毎日を送るにしたって、当たり前だが、刻一刻、金は必要なのだ。
その財源である収入を、だ。
辞職して、自ら絶つなんていうのは、まさに自滅行為だ。
仮に人並外れた才能があったとしたって、それじゃ、続かない。
夢を実現するというのは、時や運を待つための、持久戦でもある。
持久戦には、時間がいる。
時間を稼ぐには、その分、金がいる。
よほどの巨万の富、遊んで暮らせるような財産をすでに持っている人間ならまだしも、資金や収入がなければ、時間を稼ぐ前に自分が干上がる。夢を叶えるなんて、はるか以前の問題だ。

②時間が稼げない。

今行ったことと、重なる面もあるが。
金がなければ、チャンスが巡ってくるまでの時間すら稼げない。
自ずと時間切れ、ゲームオーバーとなる。

今日の明日で、「あんたのスポンサーになろう」なんて誰かが突然現れる?
そんな大富豪が明日現れるなんて、この私が実は天才であったと分かる確率なんかよりも、さらに低い。
そもそも実際、今自分の周りを見まわして、「そんな人いますか?」って話だ。
チャンスが「転がってくる」のは、紛れもなく運だ。
「チャンスは引き寄せるものだ」なんて言う人間は、殊勝であるが、無知で傲慢だ。
あらゆる人の営みは、相手あってこそ、自分がある。
この世界は「縁」で成り立ってるのだ。
仕事などはその最たるもの。
相手がいてこそ、活躍できる場がある。
自分の価値を買ってくれる相手が現れて初めて、自分のベストパフォーマンスができる。
YouTubeだって、視聴者のニーズに合致しなければ、内容問わず、見向きどころか、その存在すら知ってもらえない。

逆に言えばだ。
運が訪れたその瞬間に、自分の最高の力が出せるか。
自分の一番輝いた姿を、運の転がりこんだタイミングで、どこまで売り込めるか。
またとないチャンスを逃さず、ガッチリつかむ。
そこに注力することの方が、はるかに大事だ。

それまでの、日の当たらぬ下積みの時間もまた、そのためにあるといっても過言ではない。
だからこそ、やはりカギになるのは、時間だ。
チャンスが巡ってくるまでの時間。
戦いの舞台の上に、リングの上に、居続ける時間。
投資でいうなら、市場に居残り続ける時間。
全て、時間、時間、時間だ。
その時間を、どうやってもたせるか。
それは、成功のために避けて通れない課題なのだ。

③心が、もたなくなる。

金もない、時間もない。
そうなってくると、今度は、心が萎えてくる。

ちょっと前まで意気揚々としていた自分の志。
そしてそれを支えていた自信。
それが、みるみるうちに、萎えてくる。
不安。焦り。
心が削られていく。何もかもが悲観的に見えてくる。
こうなると、最悪のパターンだ。
蟻地獄というか、大渦のようなものだ。
一度足を取られると、ぐんぐん加速度的に引き込まれる。
もがけばもがくほど、より苦しみは深まる。
このループにハマってしまうと、脱出は、日増しに困難になる。
その結果、どうなるか。
いつしか、自分を破滅させる。経済的にも。社会的にも。
最悪の場合、犯罪か自死にすら、至る場合だってある。
(まあ私は幸いそこまではならなかったが。)
いずれにしても。
「心が疲弊することは、破滅への道と、ひとつながりである。」
と言うことだ。

心の破綻は、結局、誰かを不幸にしてしまう。
自分か、周囲の他人か、あるいはその両方を、だ。

苦節のあいだは、永遠に続くトンネルのようにも感じる。
(紀伊半島のぼっち旅の一コマから)

結論。

だからこそだ。
目の前の仕事。目の前の生活。
いくら夢が大きくたって、それらを軽んずることは、絶対にしてはならない。
それは、自分が思っている以上に、自分の人生を危険に追い込んでしまうからだ。つまり、「地道さ」「着実さ」は、いつであれ、鉄則だ。
おそらく、これに例外はない。

副業の話に戻すと。一口に、副業といっても、さまざまだ。
ちょっと就職活動さえすれば、意外とたやすく叶えられるものもある。
youtubeで成功しようとか、投資で大金を掴もうとか、遠い夢物語だってある。
ローリスク・ローリターン。ハイリスク・ハイリターンだ。
甘く、きらびやかな夢であればあるほど、当然、ハードルは高くなる。
ましてや、この社会環境だ。
時代は過酷だ。いな、これから、ますますその度を強める。
だからこそ、だからこそだ。
現実の一要素一要素をしっかり見つめ、着実に、地を踏みしめていかねばならない。
破滅してしまったら、全て、ゲームオーバーだ。
破滅の苦しみ。悲しみ。絶望。
ある意味、これは、体験したものでないと、わからない。
でも、いざ、そうなってしまってからでは、もう手遅れな場合が多いのだ。

勘違いしてはならない。
夢は、いくら大きくたっていい。

夢を願うのは個人の自由だ。
成功することを、誰も止めやしない。止められやしない。
描きたいなら、大きい夢を、手を伸ばし切って、でっかく、のびのび描けばいい。
そしてそれをつかみたければ、今この瞬間から、走り始めればいいんだ。

そして、だからこそだ。
今日1日を、着実に、地道に、生ききって終えること。
今日を、生き残ること。
そこを絶対に甘くみてはならない。
丁寧に、臨まねばならない。
夢が大きければ、大きいほど、だ。
今日1日を無事平穏に生き切ること。明日から3ヶ月を、1年を、生き残ること。
地道に、日も当たらない平凡な毎日を、生き残り続けること。
その貴重さを、また、それに対する感謝を、絶対に見失ってはならないのだ。
自分の心のうかつさや油断、感謝の欠如。
音立てず忍び寄る魔によって、心に隙をつくってはならない。
現実という激流に、渦に、足をすくわれてはならない。
毎日の生活や、当たり前に1日を終えられることへの感謝。
丁寧に1日1日を生き、乗り越えていける真摯さ。
それを、絶対にないがしろにしてはいけないのだ。

何度でも繰り返そう。
夢の実現は、決して焦ってはならない。
焦りたくなる心の熱量を、目の前の現実に、より多く注入させることだ。

もしかりに、今日、チャンスが転がり込んだとしても。
夢に酔いたい気持ちと、今の現実をしっかり見つめる気持ち。
そのどっちも、手綱を緩めては、ならないのだ。

母校の小学校にて。ぼっち旅の一コマより。
機関車のようにエネルギッシュに。
そしてかつ、地に足をつけて、地道に、丁寧に!
そう進みゆくことが大事ですね。人生も。

おまけ。最後は笑いのネタで締めようね。

まー、こうはいってたって、湿っぽく終わるのは、私の性に合わない。
何があろうと、カラカラ、キャハハと笑って、人生を終えたいのだ、私は。
てわけで、笑いつつ、かつシビアに、人生を見つめるための本を2冊紹介。

「天才」といえば?と尋ねられたら、この人は、真っ先に思い浮かぶ一人。
笑いの神様の陰の姿は、努力と覚悟、そして思いやりの人。
この本で、そんな志村さんの素顔が垣間見える。
特に、ドリフの付き人時代のエピソードに、励まされます。

いや、私、オーケンさん大好きなのよ、実は。筋肉少女帯も。
みんな、筋少って、ただ笑って通り過ぎちゃうかもしれないけどさ。
あの人たちの音楽センスもテクニックも、ずば抜けてますよホントに。
その味わいが、噛めば噛むほど、よくわかってくる。
陰キャの人、劣等感に悩む人。自称ダメ人間、自称ボンクラさん。
そんな方々は、励まされると思いますよ。
肩の力がホッと抜けて、生きづらさが軽減されると思う。
「こんな自分でも、生きてていいんだ。」
「そう分かっちゃうと、人生って、けっこう楽しいかも。」
と、私も、ずいぶんこの本には救われました。
(ステマじゃないですからね、念の為。)

2024.11.05

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