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(ピアノ)ピアノソロの魅力。そして何を追求すべきか。(独論つれづれ)
ピアノソロ独自の世界というものがある。
これは、比較の問題ではない。
ましてや優劣の問題ではない。
例えば、ピアノアレンジはどうしたって、原曲の感動には追いつけない。
特に、オーケストラを代表とする集団演奏の場合は、そうだ。
まあ、そりゃそうだ。
そもそも、追いつけるなら、はなっから、頭数はいらないだろう、というお話になる。
というか、追いつけるかどうか、ってのも、言い方としてヘンだ。
ソロ演奏と、集団演奏では、次元軸が違う。
そう、次元軸。そういう言葉のほうが、わかりやすい。
ましてや、ピアノソロとその他の演奏に、優劣など、あるはずがない。
ピアノという単一楽器の音色でリテイクする醍醐味。
ましてやピアノソロは、演奏するピアノそのものも1台だ。
特に、私のように、ピアノの音色そのものに、他の楽器以上の傾倒と執着がある者がいる。
彼らにとって、それは惹きつけてやまない世界だ。
ピアノソロには、ピアノソロの感動やときめきがある。
その世界は、オーケストラのそれとは、もはや別々の次元だ。
さて、その楽しさとは、魅力とは、何か。
聞き手の印象として、どこのフレーズが一番ササるか。
それをピアノの音色に置き換え、重ね合う。
一人の個人のセンスとしてリテイク表現する。
それがピアノソロの楽しさだ。
そして。
その「ササる」フレーズを、取捨選択するセンス。
そして、それを、時に素ばやく弾ききる技能。
それが、ピアノソロアレンジャーに求められる力だ。
私は、そんなふうに解釈している。今のところは、だが。
ところで、なぜ今さら、そんなことを見直す必要があるのか。
それは、
自分の追求したいピアノとは何か。
その目標を、さらに分かりやすくイメージしたかったからだ。
つまり、
①耳と感性の鍛え。
ササるフレーズとはどこかを、時にはディテールで聞き取り、また時には引いて、アタマと耳をフラットにして捉える。
②音を的確に押さえきり、弾き切る。つまり肉体的次元での技術。
その両立こそが、私個人の今の理想。そして追求すべき課題だ。
ついでに、補足しよう。
弾き手の感情、情緒は、音楽表現には不可欠だ。
さもなくばが、人間の奏でる音楽は、味気ない、ただの音声のコピーとなろう。
音楽とは、そんなアウトプットとしての音声、空気の波動分析にとどまるものではないはずだ。
まあここは、いわゆるオンチを責めたがる多くの日本人にとっては、理解できない世界なのかもしれないが。
感性を磨く努力をしなければ、技術だけでは、おのずと限界がこよう。
何より、聴き手以前に、表現者である本人が、楽しくない。
それはもはや、芸術活動、芸術行為とは言えない。
ただの装飾品だ。
ライブや生のコンサート、リアルな音楽に、
収録物がどうしても追いつけないのと同じだ。
表現者は、直接目には見えない感性を磨くこと。
つまり、「耳を磨く」ことが特に不可欠だ。
そのためにも。
多くの異ジャンルの曲に幅広く興味をもち、常に新鮮に聞き取ろうとする。
その弛まぬ努力を、私も、続けていきたい。
2024.8.22
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