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(ピアノ日記)悪魔の声に乱されない。ピアノの神様に嫌われる、最大の天罰。

今回は、辛口だよ!
ご注意くださいね。


よく、「あの人は、バッハの◯◯を何秒で弾けてた、すごい!」
なんて口走る声がsnsから、聞こえてくる。

そういう言葉にむやみに振り回されるのは、はっきり言おう。
良くない。いな、危険である。
もちろん、発した声の主に悪意はないだろう。
スピードというものを全否定するつもりもない。
でも、あえて言おう。

それは悪魔のささやき。控えめに言っても、諸刃の剣だ。

重ねていうが、声を発した主が悪魔なのではない。念の為。
発せられた

言葉自体そのもの、文言、字面に、悪魔が宿ってる。

と言った方が正しい。


誤解のないように、もう一度、断っておく。

その、もてはやす声の主が、悪いのではない。

ましてや、速弾きの名人本人が悪いのでもない。

もうわかるだろう。
そう。

そういう言葉にそそのかされる本人が悪い。

よこしまなピアニスト本人が悪いのだ。


もちろん、すでに速さというテクニックを備えている人は、それに越したことはない。
ただし、勘違いしてはならない。
ピアノはスピード自慢ではない。
そもそも、人に自慢したり承認欲求を満たすためのピアノというのは、個人的には、あまり感心できたものではない。
ましてや、最初からタイムを縮めることを意識して弾くのは、実際良い事はないと思う。
確かにピアノはスポーツに似ているけどね。
だからって、水泳のスプリント競技で記録を目指すようなモチベーションは、なんだか不自然さを感じる。

承認欲求を求めるようなめあてを掲げてしまうと、

かえってピアノが嫌いになる。


そもそも、それだけの速弾き技術を持ってる人は、スピード自慢をひけらかしてるわけではない。
そんな断片的な魅力以上よりはるかに豊かな、卓越した演奏としての美しさ、クオリティを備えている。
その前提の上で、その表現に見合ったスピードが伴うことによって、演奏表現としての味わい、理想度が増すのであれば、それはもちろん価値的だと思う。

あくまで、表現を磨く鍛錬があった上で、結果的に授かったご褒美である。そう考えるのが妥当であろう。

ただしスピード至上主義というのは、諸刃の剣である。危険もある。
例えば。
ピアノに限らず、大衆的なポップス、ロックにしたって、bpm144、アレグロのものが仮にbpm200で、ギターでもなんでもいい、仮に弾けたとしよう。
本人達もノリノリで、のぼりつめられる限り、ガンガンにイッちゃったとしよう。
ま、動画snsで1.5倍速や2倍速にして聴いた場合を想像すればわかりやすい。
さて、それを聴受する人間の生理的感覚として、スピード=スピード感、あるいは爽快感と、感じられるであろうか?
ま、やや極論めいているが、言ってみればそういう話である。
せっかちすぎる曲が、スピード感以上にせせこましさを感じさせてしまう場合だってある。表現としての音楽力というのだろうか。そういう問題にも及んでくる。
スピードを磨くあまり、その時に身につけるべき感覚をさておきにしてしまう場合もある。
私が言いたかったのは、そういうことだ。
その意味で、

スピードだけ切り取って論ずるのは、聞き手のセンスの稚拙さの表れだ。

そう誤解されてしまっても、文句は言えない。
(おおっ、今回は手厳しいね〜。苦笑)


速さというのも、長年の練習の賜物。

要領に走り、恩恵だけを受けようと欲張る「邪念」は、おそらくピアノの神様から、恩恵どころか、思わぬ天罰を受けるだろう。

例えば、腱鞘炎とかの怪我。痛み。とかね。

そして最悪の天罰。

それは、「ピアノを嫌いになってしまうこと」。

よこしまな気持ちでピアノと交わろうとすると、ピアノの方から嫌われてしまう。

いやこれ、結構本気で信じてるんだけど、私。
まあ、そんな神様が、実在するかどうかは別としてさ。

それが宇宙というか、世の「道理」というもののような気がするんだ。

あくまで、私個人は、だけどね。


とはいえ!
やってみないとわからないこともある。

あえて実際検証してみた(やるんかい笑)。

てわけで、今日のピアノ日記その1。

あるバッハの曲。
1:4分05秒。2:3分35秒。3:3分34。4:3分17。5:3分16。6:3分12。7:3分10。
・・・・
もういいや。
飽きた。
何よりも、手首がチクっと痛くなってきた。
変な筋肉痛を感じる。
ほれほれ、言わんことではない。危険だ。やめよう。

反省:
スピードが気になる割には結局、タイムは大して上がってない。
最悪なのは、運指がバラバラになる。
焦る気持ちが出て、運指に集中できない。
指の落とす場所を、偶然のみに頼ってる。コントロールできてない。

(ちなみに私は、鍵盤を見ないで弾いている。タッチミスも、耳だけで感じ取る)


さあさ、メニュー変更。
こーゆー練習は、はっきり言って、嫌いだ。
いつもの、パート練習にさっさと切り替え。

今日のピアノ日記その2。

いわゆる「aメロ」のみ。苦手な運指箇所を数回。
一旦中断。
その後、自分で考案した、4指の間隔トレーニング。
指幅トレーニング。ドファドソを連続20回両手。
またパート練習に復帰。
ミスが減る。成果あり。

反省:やはり自分の指幅とか音感をしっかり掴んで、一歩一歩練習する方がいい。少なくとも自分には合ってる。

で、やっぱりこれが原則だ。

練習はゆっくり着実に。

速さを意識するのはムダ。
その分のエネルギーを、耳や運指力に集中させていくべし。

他曲に応用のきく力を、着実につけていく。


あとがき、余談。

あ、ちなみに。
ピアノの神様、ってのは、私の勝手な創作ね。
ものの例えですからね。
別に、変わった信仰ではないよ。
変に、暗示とか、取り憑かれた気持ちになりませんように。

ただね、ある尊敬するアーティストさんのアルバム名に
「ピアノが愛した誰々」っていうタイトルがあったんだ。
それ思い出して、なんとなく妄想してね。
「ああ、もしかしたらピアノも人格とか魂を持ってるのかもね」
なんて、ちょっと空想してみただけ。

でもね、当たらずといえども遠からずというか。
なんとなく、言ってることは、理解できなくもないでしょ?

2024.9.20

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