note投稿によって、自分という人間のあしあとを編集し、再考察している。(随想)
最近、noteで、これまでの自分を振り返る記事が連続している。
その理由も、自分の中では、おおむね分かっている。
自分という人間が何者なのか。
それを、もう一度、きちっと振り返っておきたいのだ。
きたるべき再出発、新たな挑戦を、目前にしているからこそ。
そう、すべては今と未来のためだ。
人間の記憶というものは、なんともあいまいなものだ。
自分自身のことでさえ、意識しないと、気づいたら忘れてる。
その意味で、このnoteに自分の半生を綴っていくことは。
気づいてみたら、なかなか、いいことだったりする。
自分という人間像を、とりあえずここで一度総決算する。
自分自身の足跡のコンパイル作業は、けっこう有意義に感じたりするのだ。
だから、万一の場合に備えて、私自身の投稿h、ワードファイルとしてコピペして保存し始めてる。
まあそっちは、それこそ手間の問題で、飽きるかもしれないが。笑。
ともあれ、そういう「自分アルバム」「自分総集編」というものが、なかなか結構、元気をもらえたり、自分の長所短所や得手不得手を、客観視できたりするのだ。
まあ、回顧だ、ノスタルジーだと笑う人もいようが。
それも否定はしない。
それだけ、そこそこ長く、人間を演じてきてしまったのだ。
自分総集編、ってやつを見たがる欲求は、正直出る。
若いうちは、まだまだわからないだろう。
無理はない。
それ以上にまぶしくキラキラとした、明るい未来と、やりたいことで、頭の中がいっぱいだろうから。
ただ、私は、過去への執着に留まるつもりはない。
私は、墓に入りたくない。そう思っている人間だ。
どのみち、100年も経ったら、自分が存在したという跡形すら残らなくなる。
そんな人間がいたという事実すら、気付かれすらしなくなる。
そんな小さな存在である、自分という人間の記録なんて、大した価値はない。
だから過去なんて、所詮は、未来への踏み台だ。
今の自分のための。乱暴な言い方ではあるが。
終わったことを、いちいち振り返ってる余裕もない。
また、そもそもニワトリ頭人間の私は、そんなことはできない。
こういう、強引な作業で、視覚化して残さない限りは。
むしろほっといたら、忘却の彼方にほったらかしにしておくタイプだ。
(正直、ちょっと前の投稿内容とかも、もう忘れてたりする。笑)
そんな人間だからこそ。
こういうメンドウな作業も、時によっては必要なのだ。
2024.11.21