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時代が変わろうと、まず自分という本体を磨くべし。(SNS時代とその後を生きる上での心得)
いきなり俗っぽい話題だが、私も、SNSによる収益は、将来的にはもちろん考えている。
何をテーマにするかは、いくつか案があるが、まだ決まってない。
とにかくいずれにしても、ニーズに耐えうる、質の高いコンテンツを提供する実力そのものを、まず自分の中に築き上げること。それが何より重要だ。
その意味では、あせるべからずだ。
そう自分に日々言い聞かせている。
今、多くの動画配信がなされているが、フォロアーを着実に伸ばしている発信者は、誰もがやすやすと真似できるようなものではない。
その人ならではの、確かなキャリアやスキルを備えている。
そこを蔑ろにして、発信の方法だけ小手先で真似しているようなコンテンツは、側から見て、似たり寄ったりにしか感じない。
瞬間的には目に入るかもしれないが、どうしても印象には残らない。
ましてや、ユーザーの限られた可処分時間をいかに惹きつけられるかとなったら、薄っぺらいものは、後回しにされる。
一人一人の人生の持ち時間が、お金以上に、重きを置かれる時代になった。
その傾向は、これからますます加速していくだろう。
個々が自分の人生をより充実させ、あるいは生き残っていくためには、自分の人生時間という貴重な財産を「単なる暇つぶし」に無為に散財させてる場合ではない。
つまり、必要性の低い、「あってもなくてもいいもの」は、どうしたって後回しにされてしまう。
また、今は収益性の高い動画となると、どうしても例のあのプラットフォームを中心としたものを思い浮かべてしまう。
しかしこの先、時代はどう動くかわからない。
動画配信という情報媒体から、さらに進化する可能性だってあるだろう。
それにより、今まだ誰も気づいてない、全く新しいスキルが求められる可能性もある。
かといって、もちろん、動画配信という伝達手段がすぐに消えて無くなるかといえば、まずそれはあり得ないだろう。
無くなるということはない。
それ以上の影響力のある情報手段が出現し、それに凌駕される。
いわば、飲み込まれるのだ。より大きな波に。
テレビは自ら縮小したのではない。
SNSという大波に飲まれ、結果として、相対的にユーザーが減ったのだ。
今後は、もしかしたら、映像情報というものが自体が、それ以外の波に飲まれるかもしれない。
否、情報発信というものをさらに超える、人と人とを繋ぐ手段が出現するかもしれない。
そうなると、情報発信というものの重要性が、今より副次的な位置にくだる可能性もあるだろう。
まあ、あくまで憶測だが。
ただし、だ。
時代がどう変わろうと、だ。
発信者本人に、確たる実力があれば、
その魅力が消え失せることはない。
媒体が変わろうが、発信者本人に対するニーズ自体があれば、引き続き人々を惹きつけていくだろう。
魅力のある発信者は、テレビからSNSへと時代が変わろうと、引き続き支持される。
逆にいえば、そういうものがなければ、今は良くても、いずれ淘汰されゆくだろう。メッキはいつか剥がれるものだ。
話を戻すとだ。
私もそうだが、まだ本格的な発信活動を始めていない者にとって大事なこと。
一つは、情報発信について、さまざま学ぶこと。
もちろん、これはこれで大事だ。今すぐ軽んじられるものではない。
ただし、それだけでは不十分だ。もっと重要な要素がある。
充実したコンテンツを発信できるだけの本物の実力を磨くことだ。
これは、前者より遥かに重要である。
そして、こちらの方が、育てるのに時間も労力もかかる。
だからこそ、時代の変化にも揺るがない、確かな実力となって我が身を助ける。
要するに、
本物の実力を、地道に磨くべき
ということだ。
うわべだけの方法論だけに目を奪われて、本末を転倒させてはならない。
2024.9.1
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