素敵な関係づくりは、相手の魅力を「まず一つだけ」知ってあげることから。
人間って、ほんと、いろんな顔があるよね。
それについては、この前の記事で書いた。
自分のリンクを貼るのって、なんだか手前味噌で気恥ずかしいんだけど。
要するに、言いたかったことは、この表題の通り。
で、今日の話題。
他人のよさを、たった一つでいいから、まず「知ってあげる」といいね。
って話。
今回は、そこを掘り下げていこうかな。
まず相手の一面を「認識」する。「評価」は後でもいい。
人って、ある面だけを見て、尊敬されたとしても、また別のある面を見て、幻滅されたりする。
でも、それが普通なんだよね。
その人の全てを愛せるなんて、極めて難しいこと。
もちろんそう言う愛着や愛情というのも、あるだろうけど。
誰にでもそれを求められるかというと、それは難しいと思う。
まず、たった一つの側面や取り柄でいいから、相手のそれを「認識」してあげる。
つまり「知っておいてあげる」ってこと。
「認識」は、「評価」とは異なる。
つまり、尊敬するかどうかとか、許すかどうかとか、そういう価値判断とは別。
ちょっとややこしいが。
人を評価する前に、まず認識する。知ってあげる。それが第一歩。
これ、逆の立場で言うならば。
自分の全てをわかってもらおうと、期待しないこと。
全てを認識してもらう必要はない。
ましてや、評価してもらう必要はない。
ある一面だけでも理解してもらえれば、他のことはまだ分かってもらえずとも、仕方ない。
そもそも、誰か一人の人間のことを、全て分かろうなんて、無理だよ。
自分自身のことでさえ、全てとまでは分からないのが、むしろ普通じゃないかな。
でも、それでいいんだと思う。
その方が、人生、楽に生きられると思うな。いろんな意味で。
例えを出すならば・・・・
例えばねぇ・・・うーむ、難しいなぁ。
具体例を挙げたいたんだけど、あんまり具体的すぎると、ナマナマしいから。
しょうがない。じゃあ、やっぱり私自身のことを例にしようか。恐縮ながら。
これは別に、自画自賛したい訳じゃなくって。
例えば、私って、旅行やスポーツが好きだったりするから、そこだけ見れば、アクティブで外交的そうなキャラに見えるかもしれない。
でも実はある一面、すごく人見知りで臆病で、内向的な私がいたりする。
前々回の投稿の通り、こどものころは怖がりで、まったく情けないキャラだった。
ま、それで幻滅されちゃうのは、しょうがない。
だけどね。
そんなダメそうな人間でも、一つくらいは「面白いじゃん」って思ってもらえる何かが、あるんじゃないかな。
そういうものが一つ見つけてもらえれば、他にダメなところがいくつあったって、「まあまあいいじゃん」って許してもらえるんじゃないかな。
そうやって、その人の輝く一面というか長所を、まず知ってあげることが、お互いの関係深化のカギになるんじゃないかな、ってこと。
その意味で、あの橋渡り冒険の時に出てきた仲間たちは、みんな、そういう見方を私にしてくれてたんだよね。もちろん、他の仲間同士でも。
だから何があったって、最後は助け合える。認め合える。
ケンカになったって、失敗したって、いつの間にか、笑い合っている。
きっと仲間一人一人の良さや長所をどこかしら、お互いに分かってたんだろうな。
だから、ああいう関係になれたんだと思う。
「知っててあげる」こと自体が、見えない優しさ
だから人間お互いに、一つや二つ、ダークな顔を持ってたって、それを知られちゃったとしても、別に大丈夫だと思う。
そもそも、人間って、社会に出ている時点で、すでに一人の「演者」だからね。
社会というステージで「オモテの顔」を演じている。
裏返して言えば、一旦ステージから降りれば、まったく別の顔がある。
そんなの、誰だって、当たり前だよ。
大事なのは、裏の顔がどうであろうと、
オモテ舞台で見えてる面だけでもいいから、
たったひとつでも、一瞬でも、
きらきらっと輝くものを持ってるんだってことを、
自分も周囲も知っててあげること。
それだけで、十分素晴らしいことじゃないかな。
その人のベストシーンを、はたで見ている人自身が、しっかり「知っておいてあげる」こと。
それが大事だと思うんだよね。
それが、見えない思いやりであり、人としての真の優しさだと思うな、私は。
人をディスるのは、不安の裏返し。
ところで、なんでこんなことを語りたくなったか、っていうと・・・。
昨今のメディアとか世論を見てると、なんだか殺伐としてるでしょ?
動画SNSとか見ててもね。
それが気になったから。
みんな一見、正義、正論ぶったことを言ってるんだ。
でも、よく聞いていると、なんだかねぇ。
「そこまでいうか?」ってくらい、過剰に、重箱の隅をつつきまくってる。
なんだか無理やり、炎上化させようとしているというか、煽っているというか。
その背後に「売れたい」とか「注目されたい」とかあさましさすら感じる。
要は、不安なんだろうね。そういう人たちって。
生きることへの、漠たる不安。
そのはけ口を求めてるっていうか、焦ってる気持ちが、見え隠れしちゃう。
騒げば騒ぐほど、それがバレちゃう。自然と滲み出ちゃうものなんだ。
そういう事例が多い気がするな。
まあ、ある面では、わからなくはないけどね。そういう心理も。
ただねぇ。そういうのって。
どんなに正論振りかざして誰かの鬱憤を晴らしているようでも、
実は、全く別のところで、
他の誰かを傷つけてたり、泣かせていたりするような気がする。
本人の悪意とかじゃなくってね。
知らず知らずのうちに、そうなっちゃってる気がする。
いやもちろん証拠とかはないけどさ。
本能的に、直感的に、そう感じる。
結局、どこかで、自分達のエゴから脱却し切れてないからなんだろうな。
騒ぐ人も、群がる人も。
おのおのの小我というか、ちっぽけな我欲しか感じないんだよね。
温かくないんだ。心がないというか、浅はかというか。
そうやって、いつでも誰かに矛先を向けようとする人たちって、
単純に、「そんなふうに生きてて、疲れない?」って思っちゃう。
「自分の人生、本当に、楽しんでますか?」ってね。
余計なお世話かも知れないけど。
人のことあれこれ言ってるヒマがあるなら、自分の人生を楽しく変えた方が幸せでしょ。
自分の人生時間がもったいないなぁ、って、私なら思うけどな。
まず目の前の人のことを一断面だけ知ってあげよう
そこまで人のことが気になるのならさ。
まずはもっと地道に、相手を「知ってあげる」ことから始めればいいのにね。
「あげる」なんて言い方、ちょっと横柄に聞こえるかも知れないけど。
でも、人を認識するのって、結構な心のエネルギーがいるからね。
だからあえて、そういう言い方をするんだ。
やすやすとできることじゃないから。
有名人だとか偉い人だとか、面識もない遠くの人じゃなくてもいいと思う。
まず目の前の人。身近な人。
その人たちのことを、ちょっとでも気にかけてあげること。
小さなことだ。
今すぐだって、誰にだって、できることだ。
でもその方が、はるかに有意義で、建設的な気がする。
自分にとっても、相手にとってもね。あるいは他の誰かにとっても。
「面白いところあるな」「いいとこあるじゃん」って、その人の、今までよく知らなかった別の側面を、ほんのちょっとでも知ってあげる。
そうすれば、自ずと、その人への評価も変わってくるはず。
とかく、相手のことを分かっていないうちに、先に評価しようとしてる場合が多いよね。
順序が逆だよ。
そして、「いいことだけを思い出そう」っていう心の姿勢。
これ、ある尊敬するアスリートの言葉なんだけどね。
全く、その通りだと思う。
人間、やなことなんて、いくらだって揚げ足取れるんだから。
でも、そういう見方は軽薄だし、知的じゃない。
そんな見方だと、やがて、自分自身の人生までつまらなく見えてきちゃうよ。
人に対しておおらかになれなければ、自分の価値すら認められなくなる。
人の素敵なところを見つけられる、目利き、達人になれれば、理想的だよね。
まとめ。
今回もまた、かなり理屈っぽくなっちゃったかな。
ともあれ人と人って、時代が変わっても本質的にはそうそう変わるものじゃない。
時代がどう変わろうと、他人の魅力にいつでも敏感でいられる自分でいたいね。
2024.10.14
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