noteが続くマイルール。「愚痴をさらす」。
今日は愚痴についてのお話。
まあ今までもちょろちょろ触れてきたので、同じ内容も重なっちゃうかも。
その前に、今日のお話の大前提。
今回は、かなり微妙なお話も絡んでくる。
だから、以下のことを前提に話を進める。
まず、絶対のお約束。ルール。大前提。
特定の個人・団体を非難中傷する愚痴はダメ!!
愚痴るなら、あくまで自分自身のことね。
そしてさらに。
以下に述べることも、もし追試、実践するならば、あくまで自己責任、個人の責任で行なってください。
その上で話を進めるね。
さてさて、まず。
愚痴は、話し言葉で「聞かされたら」こりゃ迷惑。
だって、耳にフタをすることはできないからね。
ましてや、聞きたくもないのに耳に入ってくるような愚痴は、うんざりでしょう。
だけど、文字で語るとなると、これは話が別なんじゃないかな?
だって、読む読まないは、読み手の自由。
読み手は、避ける権利がある。
イヤな文章は、触れなきゃ、読まなきゃいい。
愚痴は、口で言うのは、迷惑行為かもしれない。
ただし、文字で語るのは、人畜無害だ。
まあ、内容により例外もあるけどね。(他人への攻撃とかね。冒頭でいったけど)
あとは、よほどの押し売りメールとかとなってくると話は別だが。
また、
「愚痴のつもり」で書いた文字が、読み手に愚痴として伝わるかどうかは、わからない。
文字というものの持つ、独特の不思議な特徴だ。
意外な化学反応を起こして、実は読み手にとっちゃ、「面白い」と映るかもしれない。
つまり。文字情報の場合、
「愚痴 ≠ 不快な情報」
という場合もある。
(※ ≠は、「ノットイコール」と読むそうです。初めて知ったのだ・・・)
つまり不快な場合も、そうでない場合も、両方あるよ、ってこと。
たとえば。
今でこそ国民的スターとも言えるお笑い芸人が、30年ほど前に著作を出し、それがベストセラーになった。
あの本、確かに面白かった。痛快だった。
だけど、一歩引いてみると、あの内容。
ある箇所によっては、結構グチというか個人の勝手な感想を書いてたりする。
(もちろん全部が全部じゃないけどね)
ところが、だからといって、イヤな気分にならないんだな、なぜか読み手は。
愚痴なんだけど、面白かったりする。
愚痴なんだけど、エンタメになってる。
何よりそういう絶妙な化学反応を起こさせることのできる、
書き手自身が持ってる、天性のウィットとユーモアがある。
そういうことなんだよね。
愚痴というのは、見方によっちゃ、書き手の「叫び」とも言える。
一番、なまなましく、鮮烈に言葉がささる。
そういう、ある意味、特徴というか長所がある。
ならば、その特質を逆手に取って、利用すればいい。
また、愚痴というものの本来の意味は、
「言っても意味のないことを、言葉に発して嘆くこと」
という意味だそうだ。(by Google先生)
それならば、
「言葉に発する」のが不適切なら、活字にすればいい。
同じように、
「嘆く」のが相手に不快に響くのなら、
感情の部分だけを「塩抜き」して、残った「出がらし」だけ使えばいい。
てことじゃないかな。
不思議と、話し言葉を文字に刻むと、アクが抜ける場合ってある。
まあそりゃそうだよね。考えてみれば。
話し言葉が言葉と共に表出する感情的ニュアンスは、そもそも、文字という具体物に、物理的に直接変換されるわけではないからだ。
文字として書き刻まれた物を、読み手がその文字と意味から想像する。ここで想像する主体は、読み手本人だ。感情を湧き起こす。快・不快の感情をもよおすのも読み手本人の所作だ。
つまり、書き物を読み手が読んで不快になるのは、書き手のせいじゃない。
基本、読み手のせいなのだ。
(まあ、この事実は言葉づらだけだとそれを悪用される可能性もあるので、あまり大きな声では言えないけどね。あと、倫理・モラル的な影響もあるし。変な話、「何を書こうが書くのは自由、読んだアンタが悪いのよ」てのは危険だ。言論の暴力になっちゃうし。まあそれは多少別次元の話が絡んでくるので、ここではこれ以上は触れない。)
ま、そんな小理屈はともあれ。
要するに、
文字に表すという行為は、良くも悪くも、書き手本人が思っているほど、感情が投影されにくいということだ。
感情を投影するというのは、ある意味、一つの技がいる。書き手のウィットがいる。天性にもよる。
誰もが、ただ不満をダラダラ書けば、そのまま伝わるってわけでもない。
逆に言えば、愚痴の不快感をリアルに読み手に伝えられ人って、一つの才能とも言える。(喜ばれることじゃないだろうけど)
まあ、やろうとしたって、なかなかできるものじゃないと思うけどね。
なんだか話がずいぶん広がっちゃったね。
さて、最後にぐぐぐっと立ち返って、投稿の話。
こう考えてくると、ちょっと気楽になってくるんじゃないかな?
なーんだ、愚痴って、文字にしてしまえば、思ってるほど害悪なものじゃないんだ。
ってね。
さっきのお笑い芸人さんの話じゃないけど、
その書き手の人の個性でさ、
愚痴として書きなぐってる(笑)文字が、
意外と、笑えちゃうものとして、伝わる場合だってあるんだよ、事実。
「じゃあ実際、自分の言葉は、どう伝わるのかなぁ?」
それはやって見ないとわからない。
もし興味があるならば、やってみればいいじゃないかな。
不評だったり反応が薄かったら、やめればいいじゃん。
後から削除したっていいんだし、その投稿だけ。
ちなみに、しつこく言うけど、
特定の個人や団体の愚痴は、絶対に、やらない方がいい。。
非難・中傷は、場合によっちゃ、名誉毀損とかの法的問題になるからね。
愚痴るのは、あくまで、自分自身のことにとどめましょう。
noteの投稿も、筆が止まっちゃう時って、どうしてもあるよね。
生活の中で起こる、いろんな気持ちとか揺れ動きにもよるし。
そんな時、
書くネタや気分で困ったら、
まずは、その愚痴というか悩み自体をだだーっと
書きつづっちゃうのって、結構いいと思うよ。
何より、自分がスッキリする!
書いてるうちに自分の思考も整理されてくるからね。
例え、読み手さんの反応が悪かったとしても、あまり気にしなくていいと思うよ。
逆に、愚痴によって、読み手の誰かが安心してくれる場合だってあるし。
(これも今まで何度も言ってきたけど)
とにかくイチバン言いたいのは、
まずは、心の壁、心のハードルを「捨て活」するといいと思うな。
身軽にする。
「書きたい」って瞬間のスタートダッシュをいかに効かせるか。
そこに小さな工夫をかさねていく。
愚痴も含めたあらゆる感情の迷いにとらわれず、ぐんぐん書き進める。
バンバン吐き出しまくれる。
そういったコトバのフットワーク、身軽さを獲得していくといいと思うな。
あとがたり
愚痴ってテーマだけで、グダグダと、気づいたらこんなに長く・・・苦笑。
でもほんと、みんな、そう感じないかなぁ?
いや実は、今現在、この私自身が、語りたいグチが、たまりにたまってるのよ。
もうなんとなく、わかってもらえてると思うけど笑。
でもね、そういうモヤモヤの反動で、一気に書きまくっていった文章の方が、意外とストレートにメッセージが伝わる場合が多い気がする。
だから、今回つづったようなことも、本音で、おすすめしてしまうのですよ。
2024.9.12
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