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「忘れる習慣」が、人生時間を、より楽しくしてくれる。

まーた、変なこと言い出したね。私。笑。
でも、そういうことなのよ。
てわけで、今日のテーマ!

「忘却は正義」。「忘却は幸せのとびら」。

って話。


たとえばよくあるのがさ。
「あ、今、けっこういいこと言ったよね、私。」
って思う瞬間があるよね、誰でも。
でも私、そういうのって、せいぜい5分後には忘れてる(笑)。

だから、自画自賛しようとか自分を飾ろうとか、そういうの、ないんだよね。
だって忘れてるから。笑

いい人ぶることなんか、必要ないんだよ。
だってホントにいい人なら、周りの人が、そうだと覚えておいてくれるから。
自分が覚えない分、人に覚えておいてもらった方が、単純に、楽ちんでしょ?笑
自分の仕事じゃないことは、いちいち抱え込まない。
その担当者一人が、覚えてればいいの。
仕事だってなんだって、おんなじだよ。私は、そういう主義。

え?「自分の長所を知っておかないと、自信がない?」
そういう人は、自分のイイトコロを覚えておくのも、いいんじゃないかな。
自分の人生にとって、自分が得をするんなら、価値的だと思うよ。

私については、記憶という余計なお荷物が邪魔だから、ポイポイ捨ててるだけ。
別に人にも自分にも、いい人って思われたいって欲がないから。
だから、ぼっちストって名乗ってるの。
一人が好きな人間だから。
勝手といえば、勝手なもんだよ、我ながら。

でもいいんだよそれで。
だって、究極はさ、

人は誰だって自分自身の幸せのために生きてるし、生きるべきなんだから。
そのために人間は、誰しも、自由意志を持ってるんだから。

もちろん、

「人を幸せにすることが自分の幸せになる」って、
そういった、いわゆる善的価値とかも、含めた上での話だよ。


まあ、とにかくね。話を戻すとさ。
私がのんきに生きてられるのって、そういう「忘れる」習慣が、いつの間にかついているおかげなのかもしれない。
だって、こーゆー人間だと、多分、鬱とかならないと思うよ。
まあ未来のことは、わかんないけどね。

とにかく。
記憶ってやつを、極力、軽量化する。
余計なことは忘れる。
捨てられる記憶は、さっさと捨てちゃう
(というか、ほったらかしとけば、触れなければ、すぐ消える。笑)
そういう習慣が、いつの間にか身について、もう長いことになるかな。

別にそれでも大丈夫。
本当に大事なことは、忘れたくても忘れられないから。

ちゃんと記憶に焼きついてくれてるから。
でも、必要じゃないことは、いちいち残す必要はない。
私の、脳内SSDか、あるいはハードディスクか、も、極力、ミニマムにしておきたいのだ。

記憶も捨て活。記憶も掃除。
私は、そんな習慣で生きてる。
だから幸せなのかなぁ。
(そういうのは、「能天気」というのかもしれんが。笑)
まあ、みんなが真似する必要はないと思うけどね。


だから、自分の決意とか目標とかも、そう。
いちいち覚えない。書かない。

どうせ瞬間瞬間、揺らぎに揺らぐから。
波に翻弄される小舟のように。

本当に大事なこと、心の底から決めた決意なら、書かなくても覚えてるでしょ。
忘れても、また心の底から、芽生えるでしょ。
そういうメモとか書き置きをいちいち残しとくと、膨大量になっちゃうから。
邪魔だから、最初から残さない笑。
あと、
ホントに忘れて困ることは、その場ですぐやる!記憶から消える前に!
その習慣さえあれば、困ることって、ほとんどない。

記憶とか文言とか、自分の心のもっと深いところ、無意識の次元で、本当に大事なものとか、自分の生命に根付いているもの、しっかり骨の髄まで染み込んでいるものならば、いちいち記憶なんかしておく必要はないでしょ?
だから、余計なことは忘れる。
あえて「忘れよう」とも努力しない。気がついたら、忘れてる。
それって、心の防衛本能なのかもしれない。
そういう習慣って、健康な心を保つために、必要なものなんだと思う。


例えば、肉体的にだってそう。
亀仙人の修行みたいに、ダンベルか何か背負いながら日常生活送ってたって、いずれ、腰かヒザを壊すのが、オチでしょ。いくら「それが健康のためなんだ!」なんて強がろうと。
心も同じだよ。

いくら大事なものだろうと、それが辛いとちょっとでも思うのなら、さっさとパージ(笑)しちゃった方がいい。
(※カンケーないけど、ガンダム界隈で使われてるパージって、おかしな使い方だよね。だってpurgeって「放出する」とか「不要なものを切り離す」って意味でしょ。よく知らないけど。)


あ、ちなみに。
ウソをつくのも嫌い。
なぜか。

ウソをいちいち「創作する」のが、めんどくさいから。

別に、いい人を装おうとしてる訳じゃないんだよね。
「私、絶対ウソはつきません」なんて、水戸の御老公様みたいに、私は言わない。
自分が生きるのに必要なウソなら、どこかでついてると思うよ、多分。
そう、正義だとかどうとかじゃなくってさ。

単に、ウソという作り話、ストーリーを作るのがめんどくさいだけなのだ。

だって一度ウソをつくと、それ自体、一つの「架空設定」を作るってことでしょ。
それと辻褄を合わせるために、また、さらに、新設定のウソをつむいで行かなきゃいけない。
そういう前提の設定を覚えておくのが、めんどくさい。
もちろん、新たに創作するのも、めんどくさい。
それが理由だ。
そんな疲れてまでウソなんかつくくらいなら、最初からつかないほうがマシだ。

そんな私だから、私は絶対に、ストーリーメーカーには、なりたくてもなれない。
私は、漫画家には絶対なれない。イラストレーターなら、まだわからないが。
だから漫画家になりたい夢は、小さい頃から諦めていた。
もう昔から、自分でわかっていたんだ。
そういう性格なのだ。しょうがないのだ。

だから、結局、
清廉潔白に行動してるのって何がいいかって、
とにかくラクチンなんだよね。

別に、清く正しく美しく生きようとしてる訳じゃない。
究極のおーちゃく者なんだ、ってだけの話だ。

例えばね。
プールのコインロッカーに、置き忘れの100円がおいてあっても。
100円ぽっち、いちいちパクったりしない。
あとあと、めんどくさいことになるから。
あとは、なくした人の気持ちになると、ちょっと心が痛むから。
受付の人にさっさと届けるか、忙しい時だったら、みなかった事にしてスルーする。
別にそれって、いい人を演じてる訳じゃないんだ。
めんどくさいことに関わりたくないだけなんだ。


ちょっと飛躍した話でまとめるけど。

人生とは時間だからね。

金や貯蓄でもない。
仕事の成果でもない。

人は、生きる時間がある限り、
そして、生きようって気持ち、死ねないって気持ちがある限り、
生き続けねば、ならないものだからね。

ただ、時間を長く生きれば、その分、いろんなものがひっついてくるよね。
記憶なんかも、その一つ。
そういうのを、削ぎ落としていこう、身軽にしていこうってこと。
どうせ、イヤでも、生きてく上での重荷なんてひっついてくるんだから。
それが、80年なら80年、100年なら100年の人生時間を、よりお気楽に、楽しく生きられるコツだと思ってる。

2024.11.08

追伸。
・・・もうみなさん、わかってるかもしれないけど。
あまり私の言ってること、真に受けないでくださいね。
こーゆー、いい加減なことばっかりほざいてる人間なので汗。

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