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格闘し続ける人。安藤忠雄が語る「光と影」とは。(とっておきの一書・一節②)

「建築家 安藤忠雄」(新潮社)

書名に反して恐縮だが。
私はこの方を、あえて、「建築家」という肩書きで紹介しない。
格闘し続ける「人」。
建築家である前に、人として、いち人間として、格闘する。
誰と?何と?
あえて一つ挙げるならば、「自分自身」と、であろう。

自分は、青コーナーの「限りなき挑戦者」。
ご自身では、そう自覚されているかもしれない、安藤氏。
私にとっては、赤コーナーの「永遠の英雄」である。


こども本の森・中之島。安藤さんが大阪市に寄付された最初の図書館です。

貧しかろうと、豊かになろうと。
無名だろうと、賞賛を浴びようと。
そんな毀誉褒貶など、彼の眼中には、全く映ってない。

周囲ではない。環境ではない。自分だ。

自分という「人間」の力を、信じることだ。
また、社会という「人々」を信じていくことだ。
それによって、人も、世の中も、見えてくる。

人間の持つ、しぶとさというか底力、
もっと言えば生命力と言おうか。
それをそのまま体現した人ともいえよう。

「人間」を信じ、愛している人。
だからこそだ。
ある面においてはどこまでも厳しく。
そして、人として、どこまでも温かい。
自分にも。他人にも。

本書は、彼の生い立ちから始まり、俗に言う「世に出る」までのエピソードを、ご自身の言葉で、建築作品とともに語っている。
(「世に出る」なんて言い草は、ご本人が聞かれたらご立腹だろうが。
不勉強な私には他の表現が思い浮かばず、失礼を承知で使わせていただく。)

これは、建築作品の紹介書ではない。
彼自身の、まさに半生伝である。

その一環として、設計に臨む段階での、安藤氏の思考の過程が記されている。
だからこそ、彼の作品の本質がよりくっきりと明確に映る。
その意味では、単なる建築作品集より、はるかに雄弁で詳細だ。


本書の中で、特に印象的な言葉を紹介したい。

「最初から思いようにいかないことばかり、
何か仕掛けても、
大抵は失敗に終わった。
それでも残りのわずかな可能性にかけて、
ひたすら影の中を歩き、一つ掴まえたら、
またその次を目指して歩き出しー。
そうして、小さな希望の光をつないで、
必死に生きてきた。


兵庫県立近代美術館。


「何を人生の幸福と考えるか、考えは人それぞれでいいだろう。

私は、人間にとって本当の幸せは、光の下にいることではないと思う。

その光を遠く見据えて、それに向かって懸命に走っている、無我夢中の時間の中にこそ、人生の充実があると思う。」


「君は、どう生きる?どう戦う?」氏のまなざしは、そう語りかけてきます。
もっと真剣に生きねば。力を惜しむな、出しきれ。
この表紙写真をみるたびに、そんな緊張と励ましをいただけます。。

人は、誰かの成功という光をもてはやし、羨む。
また人は、誰かの失敗という影をあざけり、蔑む。
その栄光も泥濘も、人間・安藤忠雄は知っている。
かつ、彼は弁えている。
「光も影も、見え方の問題。人間本体そのものは、同一である」と。

彼のもたらした華やかな賞賛。
それのみに目を取られていては、彼という人間の本質は、永遠に理解できない。
そして彼が作品を通して、今なお訴えんとするメッセージもまた然りだ。


ちなみに本書が著されてから数年後。
彼は、私財を投じて、大阪市に図書館を寄付している。
日本の、世界の未来を案じてか。
自分を育ててくれた大阪というまち、そして人々への報恩か。
彼の願いは、さまざま込められていることであろう。
それもまた、彼という人物だからこそ、出来たことだと思う。
自分の生き様の一端として、当たり前のようにできるのではなかろうか。

安藤氏は若き日に、丹下健三のピースセンター(平和記念公園)に触発され、モダニズムについて深く学んだ。
きっと、そのご恩返しという思いも重ねてるに違いない。

科学の便利さに踊るあまり、満たされることがデフォルトになってしまった現代人、ことに、日本人。
そんな日本に根深くはびこる、快楽主義の風潮。
そこに問題提起すらしうる、一石となりうる書ですらある。
いな、本書が、ではない。
人間・安藤忠雄という、彼の魂が、叫んでいるのだ。

2024.11.17

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