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【アジャイル】これこれ仕事から思うこと(第四章)

市谷氏の「これまでの仕事 これからの仕事」(略して「これこれ仕事」)を読んで思ったこと・感じたことを何回かに分けて書いていこうと思います。

今日は第四章を読んで思ったことを書きます。先日は第三章を書いています。

「アウトプット」から「アウトカム」へ

(人命に関わるものは除いて)極端な品質重視、目標が変えることもなく、また何のためにやるかも問うことのない仕事の仕方をしていると何をアウトプットするかで完結してしまうことがあります。しかし大事なのはそのアウトプットとして出したものによって価値を享受される人(顧客や次工程の人など)にどういうアウトカム(成果)をもたらすかが大事です。

作り手側としてコントロールできるのはアウトプットまでで、それによって価値があったかどうかなどのアウトカムまではコントロールできません。特に最近は答えが明確に決まってないものが多いので、一度決めたアウトプットが正しくアウトカムに繋がるかどうかも見えにくくなっています。

見えない中で従来の仕事の仕方を続け、アウトプットを作り続けることにムダが生じる場合もあります(もちろん全てではないです)。「考えすぎのムダ」「作り込みすぎのムダ」「継続するムダ」というアウトプットを変えられない場合に起きるムダです。

特に継続するムダはたちが悪いです。市場や顧客の状況が変わっても一度決めてしまったこと、これまでかけてしまったコストを考えると変えられないと判断されがちです。そうなると世の中に出しても成果を得られないものでも作り続けようとします。出してみて売れなくても他者より機能が足りないのが問題だ・新しい機能を足せばイケるのでは?などの判断で再び「考えすぎのムダ」「作り込みすぎのムダ」を呼び込んで地獄のサイクルが生まれてしまいます…

問うべきはアウトカムが出るかどうか?

正解がない・見えにくい時代に問われるべきは「アウトプットが正しくでているか?」ではなく「アウトカムが得られるかどうか」になってきます。

色々仕事をしていてもアウトカムとアウトプットの違いを理解している人は少なく感じます。何のためにやっているのか?誰をどうしたいのか?などの問いがなく、上から落とされたもの、決まってしまっている目標に対して何故やっているかを問うことなく仕事をしているとアウトプットにしか目が行かなくなるでしょう。

もし職場でアウトプットしか知らされてない、アウトプットを出すことを目標や目的にしてしまっている場合には、何故そのアウトプットが必要か?そのアウトプットで期待しているアウトカムは何か?を問い直す場が必要になってきます。

目的を問う

もちろん全てにおいてアウトプットを出すことを目的にしてはいけないわけではありません。不確実性が低く、アウトプットをしっかり出すことを求めることで余計な判断やブレを無くすことが価値である現場もあります。

しかし先程も書いたように、アウトプットを求めているだけで問題ないか?アウトプットの先にあるアウトカムに注目することが本質なのか?を問うていくこと自体が組織やチームの中で醸成されている必要はあります。

そしてアウトプットには2つあり、一つは完成品のアウトプット。もう一つはアウトカムに辿り着くために試すためのアウトプットがある。そしてそれぞれを求めていく仕事の仕方は大きく異なるということです。

不確実性が高いのは自分達でコントロールできないアウトカムであり、そのために試すこと、探索と適応による仮説検証が必要になってきます。もちろんアウトカムを検証し評価するためには仮説だけではなく、価値を提供するアウトプットも必要になります。事業やサービスのフェーズ毎の狙いや状況などでどのようなアウトプットが必要か?アウトカムとして何を期待しているのか?を問うていく必要があります。

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