枠に囚われずに生きる。日本と海外。
今、とても海外に行きたい。
こんな時だから、というよりは、いつも思っていること。
最低でも年に一回は行きたい。
どこでもいいといえばいい。
海外のどこに行っても思うことは、まじで日本の食は素晴らしいってこと。
米の美味しさは世界一、味噌汁の美味しさは異常。納豆は日本の宝。
そして便利で、清潔で、本当に快適で、住みやすいったらない。治安もいいし。
海外は、基本常に危険と隣り合わせで、スリとか犯罪の手口が往々にして広がっているから、危ないことが多い。所持品には絶対に目を離してはいけないし、肌身離さず身につけて、南京錠は必須。
だけど圧倒的に日本にない体験や感覚を味わえる。
そして何より、日本特有の生きづらさから解放される感覚。
日本は、こんなにも住みやすくてご飯も美味しくて、
便利で街も綺麗なもので溢れているはずなのに、
何故自殺者数が世界一なの?
「日本人=自殺」
とまで言う外国人もいる。
これが日本の生き辛さを感じることと直結している。
人が幸福を感じるには、お金でも便利な生活でもなくて、
心が愛で満たされてることが必要。
孤独じゃないこと。そばに助け合える、愛する、信頼できる人がいること。
時に泣いたり怒ったりしながら、沢山笑うこと。
それが絶対に必要だと思う。
日本人は基本的に優しいし、人に親切だ。
だけど、日本人は、圧倒的にコミュニケーションが上手じゃない。感情的になること、感情表現が恥ずかしいこととして思われる。
基本的に、ネット上でだけは、強気だ。
匿名になってしまえば怖いものはないといったように、感情のままに言葉を放つ。
だけどリアルでは、
右へ倣えが正解で、出る杭は打たれる。
勿論、社会の規則、ルールに忠実に生きることはとても大切なことだけど
そればかりに囚われすぎてしまいがち。
あと、〜系、〜枠等のジャンルに嵌めたがりすぎる。
これは何でなの???笑
〜系ファッションとか、〜系メイクとか、〜系女子とか男子とか、
カテゴライズ、ラブすぎないか。
カテゴリーに嵌らなきゃ、人じゃないみたいな。
きっとそういう考えが、人は
その何かに自分が当てはあることが、安心に繋がってるんだと思う。
でも、それが結局は、自分たちを苦しめることにも繋がると思うのだけど。
私は、小さい頃、色々な枠に嵌らない自分にとてつもない孤独感を覚えていた。
自己紹介で名前を口にすればクラス全員が振り返るし、
クリスチャンで幼少期にピアスを開けていただけで、先輩や同級生達にいじめにあう。
母親が外国人だからわからないことだらけで、みんなのようにうまくいかないことばかり。私自身が親代わりにやることも沢山した。
辛かった。
みんなと違うから。
「普通になりたい」
みんなが羨ましい・・・
何度も、何度もそう思っていた。
大人になった今じゃ、逆にそんな体験も全てが特別で、貴重な経験や学びをありがとうって、心から思えるけど
そう思えるまでは、時間がかかった。
たぶん、自分が歌手という仕事をするようになってから、ハーフだったり、人と違うことは武器になるんだということを感じるようになったから。
歌を歌っていなかったら、いつまでも孤独で疎外感を感じ続けていたかもしれない。
私は日本という国が大好きです。
この国にいる大切な人たちのことも大好き。
だから日本に住んでいるし、これからも住み続けると思う。
だけど、現実的な生き辛さというものは、確かにある。
だからせめて年に一度は、日本では味わえないようなコミュケーションをとりに海外に行きたくなる。
日本でも、自分らしさをより尊重することや
個性を重んじる傾向がより強まり、
喜怒哀楽が恥ずかしいことじゃないという意識が
強まってくれたらいいな、と心から思う。
今日は、個人的な思うこと、でした。
コロナ問題が落ち着いたら、どこに行こうかな。
では、また!
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