僕の生い立ちと自己紹介
おはようございます。
今、通勤中の朝の電車の中でnoteを書いています。
今日は自己紹介をさせてください。
名前:松山 仁生(マツヤマ ジョウ)
年齢:29歳
性別:(元女性で手術と戸籍変更済み)現:男性
僕は女性として産まれ、20歳の時に性別適合手術を受けて男性に戸籍を変更しました。
幼少期の頃から自分の性別に違和感を持っており、一般的に女の子らしいと言われるもので好きなものはありませんでした。物心ついた頃から僕が好きだったのはサッカー、新幹線、ミニカー、仮面ライダーといったような、絵に描いたように男の子が好きそうなものが好きでした。
おっと
2駅も電車を乗り過ごしてしまいました
話を戻します。
ちなみに(今のところ)最初で最後にした僕の家出は、5歳のときに、母親にスカートを履かされそうになり、それを回避する為に家出しました。
(コマ無し自転車で🚲)
※15分で帰ってきたそうです
小学生になっても相変わらずサッカーが好きで、放課後に1人でボールを蹴ることも珍しくありませんでした。(僕の周りではなぜかサッカーをする子は少なく、野球が流行っていました)
そんな僕をみて母親が、サッカーチームに入れてくれることになったのです。
とても嬉しかった事を覚えています。
一方で、友達と遊びに行く事が楽しくなってしまい、サッカーチームの練習などをサボるようになりました。
そして、せっかく入ったサッカーチームを辞めさせられることになりました。
不思議なもので、人は失くなると欲しくなるんですね。
サッカーを辞めさせられると、友達と遊ぶ頻度は減り、また公園で1人でボールを蹴る日々です。
そして、また別のサッカーチームに入れてもらえるようになり、そこからは遊ばず真剣にサッカーに取組むようになりました。
もちろんサッカーが好きでサッカーをしていましたが、今振り返ると、サッカーをしている時が唯一、自分が男とか女とか関係なく居られる時間だったように思います。
サッカーをしていたら髪型を短くさせてもらえたり、サッカーの服=私服みたいな状態でも何も言われない事も、僕にとっては大きな副産物でした。
とある中高一貫の学校の女子サッカー部を求め、中学2年生から僕は地元の大阪を離れて、鹿児島の学校へ編入し寮生活をすることになりました。
その学校がたまたま元女子校ということもあり、共学ではありましたが女子の割合が多く、自分で言うのもなんですが、モテました←笑
そして、高校1年生の春
僕の心を救い、僕の人生の転機となる出来事が起こります。
それは、ある夜のこと。
部活が終わり寮へ戻って食堂で1年生として雑用をしていたときです。
ザ!世界仰天ニュースで性別逆転夫婦の話が、たまたま食堂のテレビで流れていました。
それを見ていた同級生の子が「(僕の事を指して)あれなんじゃない?」と言ってくれました。
この時すでに彼女がいたりしたこともあってか、周りも、僕が〝なんか女子じゃない〟事に気付いていたみたいですね。
僕は今まで、自分が周りの女子とはなんか違うことには気付いていて、自分は変なんじゃないか?と思っていましたが、〝性同一性障害〟という言葉を知れたことで、とても心が楽になったというか、納得したというか、性別変更という選択肢があるという事でとても救われた気持ちでした。
そして、高校1年生の夏帰省で自分が性同一性障害であるという事を親にカミングアウトすることにしました。
大阪へ帰省する前日に鹿児島にいるチームメイトや同級生に、「絶対に親にカミングアウトして鹿児島に帰ってくるから!」という宣言をしてから大阪へ帰省しました。
カミングアウトなんてヨユー🤟
って思ってましたから笑
大阪へ帰省してはや4日。
明日の朝の便でもう鹿児島に帰らなければならない。という時になっても僕はまだ親に話を切り出せずにいました。
『もうこの際、タイミングなんて関係あるかい!』
(明日、鹿児島に帰った時、親にカミングアウト出来なかった言い訳を並べてる自分の姿を想像するとダサすぎました、、、💦)
★カミングアウトの作戦★
①僕→父親にカミングアウト
②父親→母親にやんわり伝えてもらう
③どっかのタイミングで僕→母親にカミングアウト
の予定でした。
ちょうど父親と2人きりになったところで、
意を決して父親にカミングアウトしました。
父親の反応↓
・そんなわけない
・まだ分からない
・なぜ自分が性同一性障害だと思うのか
上記3点の言葉を繰り返しながらテンパってしまい、終いには「「おっ、オカアサンヨンデキナサイっ!!」」という状態でした、、、
思わぬアクシデントにより作戦失敗です。
というわけで母親をリビングに連れて行き、父親にした話をもう一度、母親を交えて話しました。
母親の反応↓
👩 うん、それで?
僕 !?!?!?、、、。それで?とは、、?
👩 手術とかすんの?いつ?
僕 え、はい。高校卒業したら、、、
のような感じで話が進み、カミングアウトしたこちらが拍子抜けしてしまうほどスムーズでした。
というのも、母親は僕が性同一性障害だろうと前から薄々感じていたみたいで、驚きもしないし否定もしないし、自分の人生なんだから生きたいように生きれば良いと言ってくれました。
本当にありがたいです。
母は偉大でした。
そもそもなぜ、先に父親にカミングアウトしようと思ったのかというと
父親は僕が小学生になる頃から、男の子を育てるように(今時男の子でも厳しいと思いますが)手をあげられるのは日常茶飯事で、礼儀に厳しく根性論を叩き込まれ、弱音を吐いても慰めたり寄り添ったりしてくれるような父親ではありませんでした。
・挨拶しなければ叩かれる
・泣いている姿を見せると
「泣くな!」と怒られる
・友達の前でもお構いなしに怒鳴られる
・喧嘩売るなら自分より強いやつに売れ
という教育(?)
僕としては、父親は僕の事を男の子だと思い、『どうせなら強い男に!』というような気持ちでそうしているのだと勝手に都合よく理解していたので(笑)、男として生きていきたいという話を受けてテンパる父親に僕のほうが混乱してしまいました。
親へのカミングアウトは、僕にとっても色んな意味で衝撃的な時間でした。
長くなってしまいましたので、
今日はこのくらいにしておきます😊
noteでは、僕の思いや、過去の僕のような悩みを抱えた人のヒントになったり勇気になるような発信をしていきたいと思います^ ^
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