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学校の勉強が頭に入らない理由_2022.05.27

朝からCT画像と睨めっこした。一丁前に画像を観察するが何が何だかわからない。中学・高校からそうなのだが授業中に習うことは決まって理解しようとする気力が起きない。これは何故かというと、学ぶ目的やその使い道が想像できない状態で先生から熱心に定理や定義を教わっても、それは子守唄や呪文にしか聞こえない。

一方で、『この物理法則を学べば将来ロケット開発で使えるかも…!』とか『細胞の構造を学べば僕たちの体の仕組みが少しづつわかってくるんだよ…!』とイキイキとした表情で熱く一言言ってくれさえすれば、その瞬間、黒板の白黒の文字が鮮明な色へと変わる。生徒も自然と前のめりに授業を聞くようになる気がする。中学・高校の授業もそうやってほしかった。そしたらもっと楽しく学べたのに。

落合陽一氏が大昔の『weekly ochiai』という番組で、「先端研究に取り掛かってから一般教養を学ぶべきである」とおっしゃっていた(気がする)。当時中学生の僕は何を言っているかわからなかったが今は理解できる。

確かに、一般教養を一通り学ばせることは教育の観点から非常に効率が良い。大学・大学院へ進学する場合に絶対にぶち当たる事柄(微分積分とか化学物理とか)を最初に学んじゃおうという発想は理解できる。中学・高校の一般教養の学びに関しては概ね賛成である。が、それと同時に"少し先の将来を見せること"を忘れてはいけない。もしそこを怠ると、あくまで学問の一般教養は「将来の研究や学びのための土台である」ということを忘れてしまう。すると今自分が目の前で学んでいることが全て無意味な記号に見え始め、そこに自分を映し出すことは難しくなる。そして気づいた時には先生が言っていることが全て呪文となり心地よい子守唄になってしまう。

….

また、大学からは先端研究に取り掛かってから一般教養を学んだ方が良いと思う。その理由は、知識の現場を知ってから必要なものを学ぶ方が学問に対して切実になれるからである。

実際に研究を行うと必ず大量の"わからないこと"が出てくる。データ分析の際には統計の知識が必要になるし、人工知能開発の時には微分積分・行列・ベクトルの知識が必要になる。バイアスによるデータの偏りに気を配るために歴史的背景も考慮したくなる。それらの"わからないこと"にぶち当たる度にGoogleや教科書を参照し、自分で情報を取りに行く。研究はそれを繰り返す。

実際に僕も、

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