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週報特別篇 親父が死んだ日

親父が亡くなりました

20240611

 令和6年6月11日、午前5時42分、親父が死去しました。最初胆嚢炎と死亡診斷書に書かれてたのですが、後に死亡診斷書を書いたのとは別の、主治醫に「申し譯ない! 胆嚢炎は治つてたのに診斷書書いた人がカルテ誤讀して間違へた死因になつてた、直します」と云はれて、結局誤嚥性肺炎による死になりました。まあ、最期は割と息がしんどさうだつたのですが、安らかになつたし、正直死因は何うでも良いかなみたいな。靜かな生からの死を初めてリアルタイムでみたので、結構貴重なものを見たかもしれないです。

 親戚縁者にLINE等で連絡できる人にはそれで、さうでない人には電話で連絡しつつ、家から一番近い葬儀場に連絡したら、なんか今日はAホールは豫約で一杯なので、そこから2番目に近いBホールにとりあへず安置しませうみたいな感じになつて、親父の乘つた車について病院から出發。そこで打ち合はせ。

 刑部の「實家」は一應創価學會なのですが、親父は別に信じてなくて、「枕経要らんやろ」「いや必要でせう」とかなり母と喧々諤々となつたのだけれども、葬儀の担当の人が「淨土眞宗本願寺派のお寺さんでよければ紹介します」と云ふので宗教關係は全然二人とも詳しくないので、唯々諾々としておながひしますつて感じで、あとはやはり少し狭いBホールより家の近くのAホールの方が良いと云ふ母の要望により通夜と葬儀が一日伸び、次の日の通夜と葬儀で使ふ遺影とかに使へる寫眞の提出とか求められたり、尼崎に住む親父の一番下の弟を徳山駅まで迎へに行つたり、叔母や伯父が「場所が田舎すぎて分からん」といふ電話に「ですよね」と云ひながらインターチェンジ近くのコンビニまで迎へに行つたり、ラジバンダリといつた感じで、とにかく忙しかつたです。はひー。

20240612

 午前中に親父の弟を祖母(97歳で存命である)の面會に連れていき、ついでなので一緒に行つたら「そちらは、**さんのお嫁さんですか?」と看護師さんに聞かれてしまひ、「孫です!」と元氣良く言い放つワイ。まつたく、おばあちやんを置いてくなんてひどい息子だよ。親父め。

 Aホールにて行はれた通夜には、主に晝間は仕事で來られない親父の仕事關係の人が來てくれて、マジで感謝しかねえです。親父が鬪病してた事すら知らなかつた人も割と多くて(といふか割と容態が三日くらいで急變してしまつたので近親者でも知らない人が居た)申しわけない感じもなくはない。

 ホールで寢泊まりする親戚を尻目に、後飾りの臺(四十九日まで遺骨置く所?)を置く場所を確保する爲に母と朝まで和室の掃除をしました……死んだ……いや死んだのは親父なんだけど……。

20240613

 葬儀にも結構沢山の人が來てくれて本當に親父愛されてんなつてなつたよ。母が喪主だつたんだけど、挨拶がしどろもどろで草。あんまり喋るの得意ではないんだよね、母。

 お花を伯父と小父が少し良いプランで買つてくれて、お棺を閉める前に入れるお花はいつぱいあつたので良かつたよ。親父は派手なのが好きだつたから嬉しかつたと思ふよ。

 いよいよ親父が火サロ、ではなく、火葬される某火葬場へ移動。ついでに皆身内が集まるし寫眞撮つたろ、と思つたら撮影禁止の張り紙が。くそー。火葬場は大盛況で、爐が10機あるのかな、それがかなりフル稼働だつたさうで、いやはや混雜ですなつて感じだつた。親父に最期にかけた言葉なんだけど、少し輕い感じで「また來世!」だけやつとかけられた。

 燒いてる間に仕出しの飯を出すんだけど、今囘の辨當は當たりでそこそこ美味かつた。席の關係で私は親父の舊い知り合ひと坐つて話をしながら焼けるのを待ちました。他の地域ではあまり仕出し辨當とか出したりしないつてマジ? この邊は精進料理とかでなく普通の辨當が出ます。お刺身とか。

 焼けた親父を骨壺に拾つていくのですが、渡し箸だとかもしません。長い箸で、一人づつ足の方から骨壺マイスターのチョイスした厳選された部位を入れて行くのです。全部は入れないのです。絶對入れるのは喉仏と云はれる部位と頭蓋骨の上の方かなみたいな感じ。足はしつかり殘つてたのに頭があまり殘つてなくて、へえー頭蓋骨つてあまり残らないこともあるんだとか色々學びがあつた。

 親父を箱に収めて貰つてる時に、少し親父側の親戚と話したんだけど、「うちの親父は骨もイケメンでせう」と云つたら笑つてくれた。良かつた。すべつたら何うしやうかと思つたよ。ちなみに骨壺を運搬する白い布を忘れられた。自分等も後日氣が付いた。ウケる。すまんの親父。

20240614

 親父の弟を徳山駅まで送つてから、やうやく一息つけた感じ。

 葬儀屋が家に來てお支拂いをする、時に、「あつ、ご遺骨を包む白い布きちんと取つてありますね」と云はれた時に初めて「そもそも布がなかつた事」に氣が付いたワイら。草。

餘談

 何故か5kg肥えました。やはり食ひすぎ。葬儀太りである。流石に危機感を覺えて4kg落としました。急激に太ると、手がパツパツになつて痛い。あと、初七日が火曜日だと二人とも勘違ひしてたのを叔母が月曜に「今日は初七日ですね」とメッセージくれて初めて二人で「さうだつたんだ!」つてなつた。何も知らなすぎて駄目です……。

 あとあまり觸れたくない話題だけど周圍から「刑部しきみは婿を貰ふべき」といふ事になり、「えー、私家事下手くそだから、いつそ眞面目に働くから家事が得意な人が良い、あと猫付きだともつと良い」などと云つたら普通に默られた(なほ既婚者の友人がワイの嫁に立候補してくれた、ありがたいねえ)ので、やはりこの田舎で婿を迎へるのは嚴しいのかもしれない。

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 こんなんやつてます。

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